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抗えない太陽:10

 翌日の朝、ハルは自宅の暖炉前で薬学の本を読み耽っていた。

 ただ、読む度に捲るページ自体に気を取られて中身は入ってこない。死体をまじまじと見たのも初めてだったが、事件を解決した彼女のことは忘れられるものではないからだ。

 事件発生から終局まで、レヴィは死霊術をほとんど使っていない。

 むしろ多く使ったのは異常なものへの知識と薬学だ。死霊術はほとんど付け合わせだったかもしれない。

 それでも彼女は解決へと導いた。

 外法を知る者として、果たすべきことを果たしたのだ。



「ハル、いるか?」



 廊下の扉から父がやって来る。どうにも、神妙な面持ちに見えた。

 オリバーはハルの向かいにあった椅子に腰かけると、時折唸り声を上げるばかりで話題を切り出さない。

 煮え切らない父に飽きれ――はせず、ハルの方から手を伸ばす。


「何か、言いたいことがあるんですよね?」


 レヴィはスティール家のことを知っていた風だった。そして、ハルもネクロマンサーのことを知っているとも考えていたようである。

 ならば、この国の騎士である者の家と、外法を歩む死霊術師の家には存在しているのだ。

 何らかの関わりが。それも、薄いものではない何かが。


「レヴィさんは父さんのこともよく知っているようでした……何が、あったんですか?」


 今ならあの言葉が思い出せる。

『君は、それを知っててここに来たんじゃあないのか』

 父は何を黙って、何を言わなかったのか。

 自分には言えない理由があるとすれば――それは。


「僕の――身体(からだ)ですか」

「……!」


 オリバーは見てわかるしかめっ面を浮かべた。

 当たりなのだ。自分の体と関わりある事。

自分の今を構成したあの瞬間に、関連している。


「……そうだ。お前の、その身体に関係している」

「やっぱり、ですか……」


 思い出せないのに忘れられない四年前がある。

 当時十三歳のハルは父と同じく騎士を志していた。だが原因不明の病にかかり――意識を一ヶ月近く失ったのである。

 目が覚めた時に、ハルの体は別物になっていた。

 意識を集中させ、緊張を解いた瞬間――通常の運動ではなく、戦闘行為による昂りを終えると、四肢に渡る神経に激痛が走って動けなくなるのだ。


 常識では説明できない現象に名前を付けるのならば、『戦い続ける病』。


 一度戦いを始め、それが終われば死ぬ。

 生きるためには戦い続けなければならない。そんなのは、不可能だ。

 それらを理解した後、できあがったのは騎士への道を破壊した体。

 将来を有望視された少年の夢の崩壊だった。


「その頃からか……お前は、期待されるのが嫌になっていたな」

「…………」


 やれると思ったことが完全に閉ざされて、思春期の心は歪に曲がって折れた。

 期待とは彼にとって重圧で余計な同情でしかない。誰もが体のことを心配してくれる有難さと――何も返せない心苦しさが胸を痛める。


「しかし今日のお前は、どこか、生き生きとしていた。自分から何かに応えようとする気持ちが見えたぞ」

「そう、ですかね?」


 黙っていても父にはわかるのだろう。

 レヴィ・シャルロインという人物に出会ったことから生まれた、今はまだ芽の変化が。


「ああ、薬草を見分けている姿は見事だった……なあ、ハル。あの方に関わるのなら、お前には教えておかなくてはならない」


 それは必ずだと言わんばかりの、凄みのある真摯な口調だった。


「お前が意識を失った四年前、命を助けたのはシャルロイン殿の母親なんだ」

「! レヴィさんの、お母さん……!?」


 レヴィと会ったのは昨日の短い間だったから詳しい事は聞かなかった。だから、親族のことなど知る由もない。

 命を助けてくれた人のことも――何も。


「アリッサ・シャルロイン。お前を助けた数ヶ月後に、流行り病で息を引き取られた」

「……そん、な」


 声も届かない。

 失っていた過去の間に、ハルは、もっと大事な何かを亡くしていた。


「今も変わらないが……なるべくならば、ネクロマンサーとの関わりは避けるべきものだという不文律が騎士団や貴族、王宮の関係者には存在する」


 ただ、そんな中で。

 当時も腕利きの信頼ある騎士として存在していたはずの父は、選んだ。


「お前に、生きていてほしかった」


 不文律的に忌避される存在であっても。

 それでも愛する我が子の命が救えるのならば、何でも構わない。


「お前が命を取り留めた時、アリッサ殿はこう仰っていたよ。『ごめんなさい』、と」

「ごめんなさいって……そんな! だって、命を助けてくれたんでしょう!?」


 消えていたかもしれない命を繋げてもらった。それだけで誇れる大恩になる。

 喜ぶことはあっても謝罪することなど考えられない。


「彼女にはレヴィ殿がいた。同じ子を持つ親として……それしか言えなかったのだろう」


 本当に本気で、一人の親として治癒してやりたかった。

 けれど最終的に生まれたのは夢を失った少年の体で。きっと、アリッサは失意の底に沈んだのだ。

 救えなかった未来を、彼女は悲しんだ。


「その時、私は思ったのだ。ネクロマンサーなど、死霊術などという身分を付けるのは相応しくない。彼女達も本当に――許されるべきなのだと」


 先祖の罪を償い続ける子孫。

 王から与えられた十戒の首輪を巻き付けて、非難されながら治政に関わる。

 なんとも身勝手で、傲慢な処置だっただろう。


「それ以降、私はなるべく彼女達への対応を改めるよう努力した。騎士団の仲間には関係上すぐに話は伝わったし、世話になったダイン卿や一部の方々も存じてもらっている」


 個人の感情までは完璧に動かせないまでも、せめて大きな非難は生まれないよう。

 父は騎士として住民を守る傍ら、別の場所でも戦っていたのだ。


「シャルロイン殿には親子ともども、本当に感謝している。お前の命もそうだし、今回のような奇怪な事件にしてもな」


 一般的な事件でない限り、彼女は駆り出されない。

 一般的な事件でないのなら、彼女にしか任せられない。


「お偉い方がどれだけ苦い顔をしても、彼女の手にかかれば解決への糸口は恐ろしく短くなる。それだけでも重宝されるべき才なのだ」


 しかし、とオリバーは別の顔に戻る。

 国の法と騎士としての規律を遵守する男の顔だった。


「……ネクロマンサー。ただ、それだけの称号が、彼女を認めない」


 遵守しながらも板挟みで苦悩する――父と、騎士の顔。

 他でもない息子を救った、大恩ある一族へ向けるには、あまりにも哀しい表情だった。


「ダイン卿が運命と言ったのはこのことだろう。お前とシャルロイン殿は特別だ。助けられた者と助けた者、それにしては関係性がある」


 あの雪の中で、どうしてハルに呼びに行かせたのか。オリバー自身もよくわかっていない。

 ただそれは無意識に――あるいはそれも運命だったのか。奥底に沈んだ心の願いが、表れたのかもしれない。


「死霊術師の罪は時代を経て薄くなりつつある。いずれ消えるだろう。だがその時に孤独であるは当然ではない。それはただの差別だ」


 事実、差別されている。

 父の元にいた騎士たちの怪訝な面持ちは、その一端なのだ。


「しかしだ、そんな時に――時代が変わるからこそ、お前のような者は必要になるのだと私は思う。彼らの血が、いつか真の意味で許される瞬間に――」


 曲がった価値観に震わされていない、彼女達を直視できる存在がもしも生まれれば。

 いつか来る日に、おそらくネクロマンサーは――外法の道から帰ってくるのではないか。


「私はそう信じている。遥か先の、まだ霞む未来かもしれないが……いつか、な」


 そして、父は席を立つ。


「本質を知る人間になれ、ハル。それはとても難しいが、お前ならできるだろう」


 オリバーは急ぐように動いた。どうやら書類か何かを取りに詰所から戻っただけの僅かな時間だったようだ。

伝えるにはあまりにも濃すぎたが、だけどハルには伝わった。

 父の願いと、ハルの今を創り上げた、あの日のことが。


「父さん、実は一つ考えてたんです」


 言わなくてはならないだろう、と思う。

 いつか、いつの日かではなく。今話し合えたこの機会で――こちらからも。


「何をだ?」


 事件の終局時に沸いて出た感情。

 敢えて声に出すことはしまい。何故なら、二人は親子だから。


「特別じゃない。父さんが今話してくれたことと、ほとんど同じだったよ」


 こんなことを言われなくても、いつか自然と自分はレヴィに会いに行っていただろう。

 理由は多すぎてわからない。でも、一つ挙げるなら――見ていたい。

 あの人と並んで、行く末を見ていたい。


「……そうか」


 父は、僅かに微笑み返した。

 玄関でオリバーを見送る瞬間、最後に彼は言う。


「言いたい事は言った。あとは、好きにしなさい」


 思うがままに。成熟しつつある心に向かってそう言い切ると――ハルは、父が去ったドアを再び開けた。







 古い地区のあちこちで雪かきの痕跡が見受けられる。

 他の地区から手伝いできた若者もいて、高齢者の手助けもしているようだった。

 ハルが向かうのはその奥の路地裏。


「……おはようございます。レヴィさん」

「おや、昨日ぶりだね。ハル」


 そこは『〝名前の無い〟花園』。

 シャルロインの営む薬屋だった。


「雪かきですか?」

「ああ、私一人で営んでいるからね。手伝いはいないし、好き好んで来る人間もいない。気楽だが面倒なところもある」


 せっせと雪を除ける彼女の姿は、どこか滑稽に思えた。

 これがアレキアの歴史、その裏にいたネクロマンサーの末裔。そう言うには、どことなく似合わない。


「……ああ、そう言えばどうしてここに来たんだい? またお父上からかな?」

「いえ、そうではありません」

「ふむ? なら何かな」


 ハルはほんの僅かな、とてもゆっくりに感じる空気を吸い込んだ。

 深くなく浅い普通の呼吸。だけど、それが一歩に違いない。


「ここで働かせてもらおうと思いまして」

「ふーん、ここで働いて……――はぁ!?」


 その時、屋根に積もっていた雪がどさりと落ちた。

 粉状に散らばった部分がレヴィの黒髪を叩き、目を丸くする彼女を何故だかひときわ目立たせる。


「……冗談だろう?」

「冗談じゃありません」

「……学校は?」

「冬ですから、長期休暇中です」

「……働く理由が」

「薬草の瓶、割りましたよね。弁償です」


 初めてここに来た時、男を倒して薬瓶を割った。

 あれは確か希少な種類だ。値段も高い。


「しかしだね、あの弁償はあの男がすべきことで……君じゃない。ほら、気にしなくていいぞ」

「じゃあ別の理由です。レヴィさんの薬学知識に心酔しまして、ぜひ弟子にしてください」

「で、弟子? 私は弟子など……」

「何でもやりますよ。ほら、そのシャベルを貸してください」


 ハルは雪かきをしていたシャベルを奪い取ると、慣れた手つきで雪を積み上げる。

 戦いはできなくなった。だが、身体を鍛えるのはやめていない。


「参ったな……だが、私は知っての通り」

「ネクロマンサーでしょう?」


 わかっているのならばと言い淀むレヴィの前に、シャベルを突き立てる。

 漆黒に満ちる黒髪がびくりと跳ね上がった。そんな彼女を見ると、ハルは、父の意見にますます賛成したくなる。


「関係ありません」


 そう、関係ない。

 先祖がどうであれ、レヴィ・シャルロインという個人は変わらない。

 ハロルド・スティールにとっては薬学のエキスパートであり、人々の対処できない異常にも立ち向かうエキスパートだ。

 それが単純で、それが全てでしかない。


「忘れましたか? 僕の夢は薬師になることなんですよ」


 例えばそれは、今のハルも。

 戦う事を失っても、薬師を目指す今の自分こそが全てなのだ。

 以上も以下も無く。ただ、『今』は。

 目の前の彼女を見ていたくなった、『今』が。


「お願いしますレヴィさん。駄目でしょうか?」


 シャベルを脇に除けて、ハルは頭を下げる。

 しばらくの間、レヴィはどうしたものかと悩んでいたが――やがて諦めて、昨日も何度か見せた笑みを零す。



「私の仕事に付き合うのは大変だぞ?」



 ハルも、それに笑顔で返した。

 抗い続けた太陽が、雲の隙間で輝き始めていた。


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