07.鈴木君(仮)、貴方は誰ですか?
ホテルに宿泊するにしても、明日は仕事に行かなければならない。
疲労困憊で空腹の理子に、明日着る服等の宿泊準備をするなんて無理だった。
頭を抱えて悩んだのは僅か5分余り。
何れにせよ、彼と会話をしなければならないのだから早く終わらせた方が良いに決まっている。
シャワーを浴びて汗を流した理子は、何時もと同じ様にタンスの前に座布団を敷いて、ちょこんと座布団の上に膝を抱えて座った。
キィンー……
耳鳴りが響き、理子の体は緊張で固くなる。
部屋の空気が変わるのは、彼と繋がる時間が開始する合図だ。
理子は抱えた両膝に顔を埋め、そっと目蓋を閉じた。
「……女、どうした?」
彼の声が聞こえて、理子は顔を上げた。
タンスの奥、防音シートを貼った壁の先には鈴木君では無い男性が存在しているのか。
「今宵は随分と大人しいではないか」
「う、それは……」
訝しげな彼の声に、理子はどう返せば良いのかと返答に困る。
「えーと、貴方は……鈴木君、ではないの?」
勇気を出して言えば、一拍おいてから返事がきた。
「スズキクン、とは何の事だ」
「やっぱり……そうなんだ」
予想していた彼からの答えに、理子ははぁ、と深く息を吐き出した。
別人だと思って聞けば、彼の声は鈴木君より低く耳に残る声色、やたら色気のある声だった。
隣人の鈴木君と同一人物だと思う方がおかしいくらいに。
「す、すいませんでした!」
膝を抱えた格好から正座に座り直した理子は、土下座みたいに頭を下げる。
「何がだ?」
「私、ずっと貴方の事を隣人の鈴木君と思っていました! 今まで馴れ馴れしくお話してごめんなさい!」
理子が勢い良く謝罪をすれば、壁の向こうからフッと鼻を鳴らす音が聞こえた。
「何だそんな事か。かまわん。女、貴様の反応が一々可笑しかったため、我も敢えて訂正をしなかった」
「可笑しかったって、気付いたら訂正してよ」
唇を尖らせつつ、理子も早く気付くべきだったと反省する。
見知らぬ相手から愚痴を聞かされるなんて、彼はつまらなかっただろうに。
本当に申し訳ない事をしてしまった。
「それで、貴方は何方なんですか?」
「我か? 我は魔国を統べる王。魔王だ」
「は?」
“魔王”
シレッと言われた台詞に、理子は絶句する。
中二病だと思い込んでいた以前の鈴木君だったら「なにその設定」と鼻で笑っていた。
でも、別人だと分かった今は、笑えない。
魔王、なにそのファンタジーな御名前は? 本名がマオウさん?
「魔国? 魔国って……国の名前? ……魔王、様? ええぇ~!?」
本物の魔王、なら不遜で古めかしい言い回しも女性を魅了して縋りつかれるのは理解できる。
ファンタジーでは、魔王様とは魔物やら魔族の王様で人類の敵。
お貴族様や王様、王子様ならときめいた。
それが、まさかの魔王様とは。ときめきより背中に寒気が走った。
彼の思考は、中二病か頭が沸いている訳じゃないのは分かる。
嗚呼、何故、部屋の穴で繋がったのが人外で一番ヤバそうな相手なんだ。
「女、貴様は何者だ?」
「私……私は、山田理子。日本在住の一般人です」
ファンタジーの設定では、魔物に本名を名乗るのは危険かもと一瞬考えた。
だが、拒否するのも恐いし、危害を加えられるのならとっくに殺られてる。
それならば、と私は素直に名乗る事にした。
「ヤマダ? ニホン?」
「ああ、理子が名前で、リコ・ヤマダの方がいいのかな」
自分の名前の外国風呼びには違和感を覚えて、背中がむず痒い。
「リコ」
いきなり魔王様から名前を呼ばれ、理子は驚きのあまり目を見開いてじっと壁を見詰めた。
やたら耳に響く声で、“女”でも無く“貴様”でも無く、名前を呼ばれるのは何だかこっ恥ずかしい。
「……はい、何でしょうか」
「口調を戻せ。今更畏まれてもつまらんだけだ」
えっ、理子は目を丸くしてしまった。
「う、不敬だーって怒らない?」
「くくくっ、それこそ今更ではないか」
そう言うと、魔王様は愉快そうに笑う。
例え、角や羽根、尻尾が生えた真っ黒のおどろおどろしい悪魔のような姿でも、壁の向こう側に存在するだろう魔王様のお姿を拝見してみたい、と命知らずな私は思ってしまった。
口に出した後の展開が恐くて、絶対に言わないけど。
鈴木君だと思っていた壁の向こう側の彼は、魔王様でした。
魔王様と理子の、世界すら違う異文化交流が始まりました。
鈴木君(仮)は魔王様でした。