16.熱い抱擁
アネイル国ではなく魔国への転移に、翔真は不満をごちゃごちゃ述べていたが魔王はそれを黙殺し、二人の足元に転移陣を展開させて強制的に転移させた。
先程までの攻防により半壊した部屋に残っているのは、魔王と苦渋の表情を浮かべるカルサエルのみ。
「勇者まで転移させるとは、魔王様はお優しいですね」
皮肉混じりで言うカルサエルを、魔王はフッと鼻で嗤った。
「優しい? 何の事だ。我が妃に貴様を嬲る様を見せぬようにしただけだ」
二人纏めて城へ転移させたのは巻き添えで傷付ける心配からではなく、ただこの場に居られると邪魔だからだ。
経験値も足りず全てに粗さと甘さが目立つ勇者と、命のやり取りを全く知らない娘。
そんな二人に気を砕き、魔王本来の残忍さを抑えなければならないのは、苦痛でしかならない。
特に、娘の方は自分に害を与えた相手だろうが、目の前で傷付き倒れられたら必ず心を痛めるだろう。そして、その相手を多少なりとも気にする。
負の感情だろうが、寵愛する娘の心にカルサエル・ダルマンという存在をこれ以上残すのは赦せなかった。
「カルサエル、貴様が我に敵意を抱いていたのは気付いていた。すぐに動かず好きに泳がしていたのは、それなりに貴様の能力を評価していたからだ。だが、人族の王族を操り混乱を生じさせるとは、その上我を亡き者にしようとするなどとはな。今後世継ぎを生むだろう寵妃にまで手を出そうとする愚行を犯したのならば……ダルマン侯爵家を潰されても文句は言えまい」
対峙する男が放つ、心地好い敵意と殺気を感じて魔王は笑う。
魔王に敵意を抱く者、あからさまにその感情を表に出す者は珍しく、それもカルサエル・ダルマンを消さずにいた理由の一つだった。
「そう言えば、貴様が傾倒していた王太子だった長兄は先代亡き後に人族との不可侵条約を破棄し、戦を仕掛けて魔族による他種族支配を掲げていたな。皇太子支持派の筆頭だった貴様は、我のやり方は気に食わなかったのだろうが」
図星を指されて、カルサエルは眉を吊り上げて下唇をきつく噛む。
二十年前、十人の王子達による王位継承権争いが苛烈を極めていた時代。
先代魔王の時代に築かれた和平を壊し、人族との不可侵条約を破棄して魔族が頂点に立つという、魔族第一主義の思想を掲げていた王太子に傾倒していたカルサエルは、王太子率いる強硬派に与していた。
順調に行けば、自分が理想とする魔王となるだろう王太子が王座に着く筈だった。王位継承権は末席に近く、普段はろくに城へ戻らずに放蕩三昧だったかつての第九王子、目の前に立つ現魔王が王座争いに参戦しなければ。
「ならば何故、あの時私を生かしたのですか? 煩い元老院や他の魔貴族など、黙らせる程の力を貴方はお持ちの筈だ」
「貴様は魔貴族達の中でも影響力があるダルマン侯爵家の当主だからだ。あの時に殺さずとも、余計な内乱を避け、我が魔王となり側近達を使えるようにして、兄弟達との争いで荒れた魔国の情勢を磐石なものにしてから判断するでも遅くはあるまい」
「それに」と、続く言葉を口に出す前に、魔王は浮かべていた笑みを深くする。
「すぐに消してはつまらぬだろう」
クツクツ肩を揺らす魔王の冷酷な笑みに、カルサエルは全身を突き刺すような殺気を感じて思わず身構えた。
「太平の世に飽いてきた頃に、貴様が動けば……多少の暇潰しにはなるからだ。事実、テオドール王子に手を貸して情勢を動かすのもなかなか愉しめた。貴様が我が妃に手を出すまでは、な」
口許は笑みを形作っていても赤い瞳に宿る刃のような鋭い光に、カルサエルの背筋はゾクリと冷える。
「恐ろしい方だ……全て貴方の計画通りだったという訳ですか。正に貴方こそ魔王陛下、に相応しい」
全て、魔王の策略で動かされていたとしても怒りは湧いてこなかった。むしろ、周りを覆っていた霧が晴れたような清々しい気分となった。
現魔王が和平など望まずに、他種族を制圧して支配下に置こうとした先々代魔王の様な思考の持ち主だったならば……もしかしたらカルサエルにとって理想的な魔王となり得たのかもしれない。
強硬派の中には、人族を支配下に置くことを魔王に進言した者も過去には居た。
しかし、魔王は「下らぬ」と一蹴し、進言した者とその周囲の者を消滅させたのだ。
「フフフ、魔王様を認めたからと言っても、私は易々と消滅を受け入れる訳にはいきません」
カルサエルの右手の中へ青い魔力が集中し、氷の長剣が出現する。
「ならば、足掻いてみよ」
ニッと不敵に笑った魔王は、魔力によって出現させた漆黒の剣の柄を片手で握り、優雅な仕草で構えた。
***
真っ白な光につつまれて目眩を起こしてよろめいた理子は、咄嗟に隣に立つ相手にしがみついた。
しがみついた手に、鉄の感触がして不思議に感じて顔を上げると、頬を染めた翔真と目が合う。
「ごっごめん」
白銀の胸当て越しとはいえ、少年の胸元を弄ってしまい、理子は慌てて彼の隣から離れた。
「えーっと、此処は何処だ?」
赤くなった頬を掻いて、翔真は自分が居る部屋を見渡す。
「此処は、魔国の、私の使ってる部屋……」
たった二日程度離れていただけなのに、この部屋に懐かしさを感じる。
バタンッ!
「「リコ様!」」
勢い良く扉が開き、二人の侍女が部屋へと飛び込んできた。
「エルザ、ルーアン」
二人に続いて部屋へ入ってきた令嬢が、長いドレスを両手で掴んで小走りで理子へ駆け寄って来る。
「リコ様! ご無事で良かった」
理子の側まで駆け寄った縦ロールの令嬢は安堵して力が抜けたのか、ガクリと崩れ落ちそうになったため咄嗟に彼女の肩へ手を伸ばして支えた。
「大丈夫ですか? ベアトリクス様」
綺麗な紫色の瞳に涙を浮かべて、ベアトリクスはぎゅうっと理子に抱き付いた。
「貴女様が攫われたと聞いた時、わ、わたくしは……心配で胸が張り裂けそうでしたわ」
瞳を潤ませて見詰めるベアトリクスは可愛くて、理子は自分の乱れた格好を忘れて抱き付く彼女の背中を撫でる。
暫く熱い抱擁を交わして、落ち着いたらしいベアトリクスは照れつつも名残惜しそうに身を離した。
「ところで、先程から不躾に見てくる貴方は何なのですの?」
照れ隠しにはにかんだ笑みをして、ベアトリクスは今気付いたといった風に翔真をジロリと睨む。
縦ロールの美少女に睨まれた翔真は、「えっえっ?」と本気で慌てる。
「いや、目の保養? エロいなーって思って」
顔を背けつつ、翔真の視線はしっかりベアトリクスの立派な胸へ向けられていた。
翔真の視線を追い掛けて、理子は下を向いて漸く自分の姿を思い出す。
着ているカットソーは、カルサエルに破られたせいで上半身の肌と下着が丸見えの乱れた格好だった。この格好で、泣きべその金髪縦ロール美少女と抱き合っていたら年頃の少年が見てしまって仕方がない、のかもしれない。
「まぁっ! 何て不埒な!!」
自分達が厭らしい目で見られたと知ったベアトリクスは、少し吊り上がった目を更に吊り上げて右手を前へ突き出した。
「うわぁっ!?」
突き出した手のひらから光輝く鎖が出現し、翔真に絡み付く。
鎖は意思を持っているかの様に動き、翔真の肩から腹にかけてぐるぐる巻きにして彼の動きを封じた。
お城へ帰ってきました。
服ビリビリのお姉さんがいたら見ちゃうでしょう。




