12.狂気に花は絡め捕られる
残酷な表現があります。
憎悪に満ちたギラつく瞳で睨み付ける女性は、もの凄い力で理子の手首を握りしめた。
「お前が! お前のせいで!!」
長い爪が手首の皮膚に食い込み、プツリッと皮膚が破れて血が滲み出る。
「いたっ! やめて!」
痛みで半泣きとなった理子に、女性は赤い唇を歪ませて魔女を彷彿とさせる笑みを浮かべた。
手首の痛みと、女性を拒絶する感情に呼応したように右耳の赤い玉が熱を持つ。
痛みと恐怖の感情から、“嫌な感情を抱いても、誰も傷付けてはいけない”と抑えていた感情の枷が外れてしまった。
どくんっ
赤い玉が脈打つのを感じて、恐怖に支配されかかっていた理子は我に返った。
「あ、だめっ! 私から、離れて!?」
身を引いて女性から距離を取ろうとしても、彼女は手首を解放しようとはしない。
バチィッ!
強力な静電気が発生し、電気が弾けた痛みで顔を歪めた女性は堪らず理子の手首から指を離す。
一歩下がった女性を追随するように、理子の周囲から発生した青白い光が瞠目する女性の全身へと絡み付いた。
バチバチバチッ!!
「きゃあああぁ!?」
青白い光、電撃により女性の全身が炎に包まれる。
激しい光と電流が弾ける音が無人のアーケード街に響き渡った。
肉が焼ける臭いと鼻に刺激を与える形容しがたい臭いが漂い、理子は込み上げる吐き気に口元を手で覆い必死で堪える。
立ち上る白煙が収まった女性の姿は、体のあちこちに火傷を負い、ネグリジェは上半身の半分近くが焼け焦げてしまっていた。
「あ、ああ……私の顔が! 顔がぁ!!」
悲鳴を上げながら、女性が顔を覆っていた両手をどける。
「ひっ」
呆然と凄惨な光景を見詰めていた理子は、女性の顔を見てを声を上げてしまった。
女性の顔は無惨にも赤黒く焼け爛れ、睫毛眉毛はおろか表皮は爛れ焼け落ち、頬からはだらりと血が滴り落ちる。可憐で美しかった姿は見る影も無くなっていたのだ。
(また、私のせいで傷付けてしまった。早く救急車を呼ばなければ)
スマートフォンを入れたバッグは手首を掴まれた時に落としてしまったため、バッグを拾おうと動きたいのに膝が震えて動けない。
「ああ、私の顔が……赦さない! 赦さないぃ!」
譫言のように「顔が」と呟いていた女性は、唇の端から涎を滴しながら狂気が宿る瞳を理子へ向けた。
目を血走らせた女性が、「きいやぁー」と奇声を発して理子へ襲いかかる。
火傷まみれの指先が、恐慌状態の理子へ触れようとして……
ボゥ!
理子の周囲に現れた赤い膜のようなものに触れた女性の指先から炎が上がった。
「ぎゃあっ!?」
瞬く間に女性の全身は炎に包まれていく。
「ぎいやあぁあ!!」
赤赤と燃え上がり渦を巻く炎に飲み込まれ、女性の姿は黒い影しか見えなくなる。断末魔の悲鳴だけが理子の耳へと届いた。
人の体を焼き尽くす程の猛火なのに、魔王の加護の力か理子には熱が届かない。
炎中で人影が崩れていくのを見ていられずに、理子は自分の両腕で肩を抱いてぎゅっと目蓋を閉じた。
***
数分か一瞬か、どれくらい肩を抱いていたのか分からなくなってきた頃、理子の背後に誰かの息遣いを感じた。
縮こまる理子を抱き込むように、背後の人物は、そっと肩へと腕を回す。
「いやっ!」
この腕は、香りは、違う。
背後の人物は、シルヴァリスではない。
突然の事に頭がついていかず、目蓋を閉じたまま両腕を動かして腕から逃れようと暴れた。
「……落ち着いて下さい。お妃様?」
耳元で囁かれた声にビクリッと体を揺らす。
ゆっくりと目蓋を開いて、背後を確認する理子の目元を長い指先が拭った。
「こんなに怯えて涙を流して、お可愛そうに」
大きく目を見開く理子の顔を、覗き込むようにしている男性の長い黒髪がさらりと肩を滑った。
可愛そうにと言いつつも、彼のコバルトブルーの瞳は鋭いままで、口元は薄ら笑いを浮かべていた。
「貴方は……」
何故、彼が此処にいて自分を抱いているのだろうか。
「ダルマン、侯爵?」
カラカラに渇いた喉から出た声は、ひどく掠れていた。
「どうして、貴方が? 此処は……」
首を回らして理子はようやく、自分が居る場所がアーケード街ではなく、西洋風の豪華な居間だということに気付いた。
いつの間に転移したのだろうか。
「此処は私の屋敷ですよ。ようこそ、リコ様。やっと貴女をお招き出来て嬉しいです」
カルサエル・ダルマンは片腕で理子の腰を抱いて、もう片方の手を胸に当てて形だけの礼をとる。
その余裕綽々の態度から、理子が彼方の世界に居た時からこうなるように彼によって仕組まれていたのだと、理解した。
「貴方が、彼女を送り込んだのね」
それならば、突然無人のアーケード街へ入り込んでしまったのも、見知らぬネグリジェ姿の女性に襲われたのも辻褄が合う。
魔王の不在のタイミングで理子を拉致するとは、カルサエルは魔王に仇なすことを考えているのではないのか。
睨めば、カルサエルは口元だけの薄ら笑いを消す。
「ええ。彼女は、魔王様から不興を買い魔力封じの鎖を受けていましたから、魔王様の魔力に僅かながら耐性があった。リコ様にかけられている守護魔法を破るのには、うってつけの者だったのですよ。愚かな女のお陰で、こうして貴女に触れられる」
目を細めたカルサエルは、クツリと喉を鳴らして嗤う。
「何故、私を……」
嫌な予感に逃げ出したくなるが、腰に回された腕の力は強くて身動きが取れない。
「リコ様、貴女が可愛らしい方で良かった。コレならば、傍らに置いても許せますから」
くいっ、カルサエルの人差し指と親指が理子の顎を掴み、無理矢理上向かされた。
「は、離して」
両手でカルサエルの胸を押しても、彼の体はびくともしない。
「ああ、何故、リコ様を呼び寄せたのかという問いにお答えしましょうか」
互いの息遣いを感じるくらい、理子を見下ろすカルサエルの顔が近付く。
顔を背けたいのに、強い力で顎を掴まれているせいで逃れられない。
「簡単な事です。魔王様から魔力を与えられ、妃の印を刻まれた貴女を私のモノにするため、ですよ。私が次代の魔王となるためには、他の魔族に認めさせるためには……貴女が必要なのです」
ニヤリ、カルサエルは口の端を吊り上げた。
彼のコバルトブルーの瞳には、捕食者が獲物を捕らえた歓喜の色が浮かぶ。
「なにを、言って……」
「直に、貴女の魔王様は倒される筈です。異世界の勇者の手によってね」
やはり、勇者は魔王シルヴァリスと戦うのだ。全身から音をたてて血の気が引くのを感じた。
「そんな事! んっ」
無い、と続く台詞は噛み付くように落とされた口付けによって封じ込められる。
(嫌っ! シルヴァリス様!)
自分の意思と関係なく、カルサエルにキスされてしまい、唇を舐められた嫌悪感がぞわぞわ湧き上がってくる。
咄嗟に瞑ってしまった理子の瞳から、涙が零れ落ちた。
ネグリジェの女性はサーシャリア王女でした。




