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快適な睡眠と抱き枕  作者: えっちゃん
4.私と魔王様、時々勇者
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07.二重生活

 不安定になった魔力を安定させるため、魔国の城に滞在するようにシルヴァリスから命じられた翌朝。

 目覚めた理子を待っていたのは、嬉しそうに朝の支度を手伝いに来たエルザとルーアンの二人だった。


 驚くことに、自宅に置いてある筈の服や化粧品等は魔国の王妃の部屋に一通り揃えてあった。

 エルザがクローゼットの扉を開けた時は「はぁ?」と間抜けな声を出してしまった。

 王妃の部屋のクローゼットは、自宅のクローゼットの中と同じ状態で積み重ねた衣装ケースもそのまま入っていたのだ。

 これは、シルヴァリスが移動させたのだろうか。

 二人の侍女に、どうしたのか尋ねてみて理子は頭を抱えた。


「魔王様の命で、キルビス様が転移されましたよ」

「キルビスさんが?」


 宰相様にご迷惑をかけてしまった上に、下着まで運ばせてしまうなんて。次に会ったときはちゃんとお礼を言わなければ。




 仕事用の服への着替えや、何時もは時短でしている化粧を侍女二人に手伝ってもらい野菜と果物いっぱいの健康的な朝食を済ませた理子は、見た目だけは綺麗なキャリアウーマンへと仕上がった。


 ここまでしなくてもいいと何度も訴えたが、魔王様の“命令”は絶対らしく「魔国で過ごし、仕事は此処から行く」という命令には、いかに寵姫といえども“従わなければならない”ため、エルザとルーアンも魔王の命に背けないとのことだった。



「魔王様はいらっしゃらないの?」


 何時もならば、目覚めて直ぐに抱き締めてくるシルヴァリスの姿をずっと見ておらず、キョロキョロと辺りを見渡した。


「魔王様は、昨夜から城外へ出られていらっしゃいます」

「夕刻にはお戻りになられますわ」

「そうなんだ」


 少しだけ寂しい気持ちになりながら、理子は壁に掛けられた大きな楕円形の鏡の縁へ手をかけた。


 鏡の表面をじっと見詰めれば、彼方の世界、人気が無い職場の裏手にある物影が見えた。

 この楕円形の鏡は二つの世界を繋いでいて、理子だけが転移出来るようにシルヴァリスが魔法で作ったそうだ。

 魔王様は、旦那様は万能過ぎやしないか。



「行ってきます」

「「行ってらっしゃいませ」」


 振り向いて片手を振ると、エルザとルーアンが揃って頭を下げる。

 鏡の表面にそっと触れて、指先が鏡の向こう側へすり抜けたのを確認した理子は一気に全身を鏡の中へと沈めた。




 ***




 昼休憩の社員達で賑わう社員食堂の端のテーブル席に座り、理子と香織は座って談笑していた。


 昼時に混雑する食堂も、少し濃いめの味付けの野菜炒め定食も、冗談を言って笑う香織も普段と変わらない。

 職場だけを切り取って見れば、何も変わらない。

 変わらない日常の中で、ただ理子だけが変わってしまった。


「ねぇ理子。昨日、電車が一時ストップしたって事故があったの知ってる? 理子の使ってるのは○×路線だよね? 大丈夫だった?」


 ○×路線と聞いて、理子は肩をぴくりと揺らした。昨日の痴漢してきた男性を思い出すと体が震えてくる。


「私が乗った電車は大丈夫だったよ」


 震える手を隠して、なるべく理子は平静を装って答える。


「電気系統のトラブルで放電して、男の人が一人心臓発作で亡くなったんでしょ? 怖いよね」

「うん……怖いね」


「亡くなった」と聞いて、理子は心臓をぎゅっと掴まれるような感覚がした。

 痴漢の男性を襲ったのは強力な静電気だった。そのため電車を止めて、男性は亡くなってしまったのか。

 痴漢の男性を攻撃した静電気は、シルヴァリスが施した守りの魔法が発動したものだと聞いた。

 間接的とはいえ、自分が男性を死なせてしまったのかもしれない。


 胸が苦しくて、溢れそうになる涙を堪えるために下唇をきつく噛んだ。

 ぎりっと噛んだ下唇から口内へ鉄錆びの味が広がる。

 会話を続けるのが辛くなり、理子は香織から視線を逸らした。


「っ!?」

「どうしたの?」


 窓の外を見てハッと驚きの表情を浮かべた理子に、香織は不思議そうな声で問う。


「ううん、何でもない……」


 そう、何でもない。見違えだ。

 窓の外に黒い闇を纏ったような金髪の女の人がいただなんて、見違いじゃなければ怖すぎる。

 全身を闇で覆われた女の人は、理子が驚いて目蓋を瞬かせた間に消えてしまっていた。



 終業時刻となり、職場を後にして自宅マンションへ帰ろうとして、それは無理だと思い知った。

 自分の意思とは別の強制力が働き、職場を出て人気の無い路地裏へ入ってから私の手が勝手に動いて、世界を繋ぐ役目を果たす小さなコンパクトを開く。


 パアァー


 コンパクトから放たれた光が眩しくて、理子は目蓋を閉じた。



「「リコ様、お帰りなさいませ」」 


 光が収まると侍女達の声が聞こえて、理子は閉じていた目蓋を開く。

 職場の裏から一瞬のうちに魔国の王妃の部屋へと戻って来ていた。


(便利は便利だけど、寄り道してから戻りたかったな。これが“魔王の命令”の強制力か)


 手の中にあった筈の小さなコンパクトは、幻のように消えていた。


 甲斐甲斐しくエルザとルーアンにより仕事着から着替えさせられて、鏡に映る自分の姿を見て溜め息を吐いた。


 髪はハーフアップで編み込みにセットされて赤い薔薇の髪飾りを挿し、身に纏うのは淡いピンク地に胸元、肩と裾にカーマイン色の薔薇の刺繍が入れられたシンプルだけど綺麗なドレス。

 胸元が大きく開いているため、胸の間にローズピンクに色付く王妃の印が見えてしまい、かなり恥ずかしい。


 此処へ来てから、綺麗なドレスを着られると喜んだのは最初だけ。

 仕事帰りの疲れた体には、ゆるだらした部屋着ではなく体にぴったりしたドレスなのがつらい。

 コルセットでぎゅうぎゅう締め付けられ、胃と腹部が苦しくてえずきそうになる。

 毎日コルセットとドレスを着用している上流階級の女性達は、この苦しみによく耐えてると思う。



「リコ様素敵ですわ」

「やはり、リコ様は魔王様の瞳のお色の赤がお似合いですわね」


 頬を緩ませるエルザとルーアンに元気をもらい、理子は王妃教育を受けるためにマクリーン侍女長が待つ勉強部屋へと向かうのであった。




 ***




 マクリーン侍女長による王妃教育を終えて、勉強部屋を出る頃には魔国の空は茜色の夕焼けへと変化していた。


 仕事後でも容赦の無いマクリーンとのお勉強で、飽和状態となった頭が重くて若干足元をふらつかせて歩く。

 部屋へ戻ったら、マクリーンから「はしたない」と叱られようがベッドへダイブしてやる。

 そんな事を考えながら黒っぽい艶のある石壁の回廊を歩いていると、先導していたマクリーンが急に歩みを止めた。


 後ろを歩くエルザとルーアンが体を固くしたのが分かり、理子は何事か前方を見る。




「貴女が、寵姫様……ですか?」


 声と共に前方の空間が歪み、歪みの中心からボトルグリーン色の燕尾服を着て、腰まで届く黒髪を一纏めにしたコバルトブルー色の瞳の男性が姿を現した。

 魔王に並ぶくらい整った顔立ちの男性だが、切れ長の瞳が彼に冷たい印象を与える。


「印があるということは、寵姫様はお妃様になられる方、でよろしいでしょうか」


 男性は、庇うように立つマクリーンには目をくれずに、真っ直ぐに理子へ向かって歩いてくる。


「お待ちくださいませ、ダルマン侯爵様」


 手を伸ばせば触れる距離まで近付いてきた男性に、マクリーンは焦って上擦った声を出す。


「貴方は、どちら様でしょうか?」


 理子の問いに、ダルマン侯爵と呼ばれた男性は口元だけの笑みを浮かべる。


「これは失礼いたしました。私はカルサエル・ダルマンと申します」


 射抜くような鋭い視線を理子に向けたまま、カルサエルは会釈をする。


「私は、リコ・ヤマダです」


 マクリーンから教わった淑女の礼をとり、理子はカルサエルにぎこちない笑みを返した。


「リコ様はとてもお可愛らしい方ですね。これ程まで魔王様の魔力を体へと受け入れているのに、少しも精神が蝕まれていないとは……素晴らしい」

「え、あの?」


 よく分からない称賛を並べながら、カルサエルは理子の手を取る。

 冷たい瞳を持つとはいえ、美形の男性に手を握られて理子は困惑してしまった。


 手を離そうとしないカルサエルと困惑する理子を見かねてマクリーンが間へと進み出る。


「申し訳ありません、ダルマン侯爵様。魔王様がお待ちになっていらっしゃいます」

「魔王様をお待たせしてはいけませんね」


 理子の手を握ったまま、カルサエルは恭しく腰を折りながら頭を下げる。


 ちゅっ、

 軽いリップ音がして、理子は手の甲に口付けられたと気付く。


「へっ、あ?」


 手の甲へキスという挨拶をされて、理子の頬は熱を持つ。


「ではリコ様、失礼いたします」


 口元だけでなく、初めて目元を緩めた笑みを湛えたカルサエルはくるりと踵を返して立ち去って行った。

OLとお妃候補の二重生活がはじまりました。

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