05.鈴木君は中二病を患っている
ただでさえ憂鬱な月曜日。
土日と二日間丸々休みがあった筈なのに、筋肉痛と寝不足で疲れが全く取れなかった理子は、月曜日の業務を終えた時点でもう疲労困憊だった。
(今日も寝られなかったら、明日は倒れるかも。いっそのこと、上司の前で倒れてやろうか)
不穏なことを考えながら、ふらつく足取りで自宅マンション入り口までやって来た理子は、上司以外で今一番会いたくない人物を見付けてしまい足を止めた。
「あっ山田さん、お帰りなさい」
マンション入り口から出てきた上下グレーのスウェット姿の鈴木君がにこやかに片手を上げる。
生活の時間が違う彼と、まさか顔を会わせるとは思わなかった。
深夜の事もあるし、物凄く気まずい。
「鈴木君、こんばんは。あのね、昨日は……」
とりあえず、夜中の事を謝ろうとした理子に、鈴木君はにかりと歯を見せて笑った。
「あー昨日はうるさくしちゃってすいません。ちょっと、彼女と激しくしちゃって、今朝、上の階の人に怒られたっすよ。マジ反省したんで、今日から気を付けます」
「へっ?」
軽く頭を下げる鈴木君は、口では反省したと言いつつあまり気にしてなさそうに見えた。
夜中に繰り広げられた騒ぎは二階にも聞こえているとは。
上の階の人、いい仕事をしてくれましたありがとう。と、内心上の階の住人に両手を合わせつつ、理子は曖昧な笑みを返した。
「これからはいっぱい寝られるのかぁ~」
先程会った鈴木君はまだ外出から戻って来ていないし、今夜はぐっすり寝られそうだ。
歯磨きを終えた理子は、そろそろ寝ようかと室内灯のスイッチを切った。
キィン―
薄暗くなった室内に、何かが軋む音が聞こえて理子はスイッチを指で押したまま固まる。
昨日もこんな事があった。
これは、まさかは思うが。
「……女」
壁の向こうから聞こえてきた低音の、男性の声に、私の肩はビクリと揺れる。
玄関扉の開閉音は聞こえなかったが、気付かない間に鈴木君は帰ってきたのだろうか。
「女、其処にいるのだろう」
横柄な、偉そうな響きを含んだ男の声は、先程話した鈴木君の声なのか?
隣室の住民は鈴木君(と彼女)だけしかいないのだから、声の主は泥棒か鈴木君の筈だ。
「えと、鈴木君、だよね?」
泥棒の可能性を思い付けば、私の言葉は徐々に尻窄みとなってしまった。
「何故、貴様と我の部屋が繋がるのだ」
壁の向こうの鈴木君は問いには答えず、理子に問い返す。
「繋がるもなにも、お隣さんだから仕方無いでしょう。この穴は管理会社に連絡して直してもらうから、少しの間だけ我慢してね」
会話がしやすいように、理子はタンスの前へ座布団を運んでその上に座る。
「隣、だと?」
費用の心配か壁に穴が開いた不快感からか、鈴木君は急に沈黙した。
「……我の部屋には幾重にも結界が張り巡らしてある。結界を破ることができるのは、我と並ぶ程の魔力を持つ者だけだ。術式を組み合わせ時間をかければ破れるやも知れぬが、そんな気配は全く無かった。貴様は何なのだ」
いきなり鈴木君がファンタジーな事を言い出すものだから、堪えきれずに理子はぷぷっと吹き出す。
「結界? あらやだ鈴木君って中二病を患っているの?」
DVな性癖やちょっとエキセントリックな女性と浮気しちゃうし、自分の事を我とか言うし、見た目今時青年の鈴木君がまさかの中二病とは。
裏のキャラ設定が濃いというか、いろんな属性を持っていらっしゃる。
中二病を患っていると分かると、今まで散々睡眠妨害をしていたのも仕方無いと、ほんの少しだけ許せてしまう。
「中二病? 貴様は珍妙な言葉を操るな」
「珍妙って言葉を口に出す方が変わっていると思うけど。そういや、今日は女の人はいないんだね」
壁の向こう側からは、連日聞こえた艶っぽい女性の声も彼以外の気配もしない。
「女の声がうるさいと、貴様が言ってきただろうが」
どういうことだ?
きょとんとなった理子は、壁に貼ったままの防音シートを見つめてしまった。
意外だ。表面上じゃなくきちんと反省をしたらしい。
もしくは、ご両親か大家さんからがっつり叱られたのか。
「いいの? 大事な相手じゃないの?」
「大事、だと? くくくっ、我の寵を得たくて群がってくる身の程知らずで愚かな女共だ」
「うはっ最低」
タラシ以下の発言をする鈴木君に呆れてしまった。
最低発言も口調も若者らしくないし、彼はやはり、ファンタジー世界の悪い権力者と勘違いした中二病を発症していると確信した。
「……女、我が何者か分かっているのか?」
「うん。私のお隣さんでしょ。先ずは中二病、早く治した方がいいよ。そろそろ寝たいから、いい? お休みなさい」
欠伸を噛み殺した理子は、一方的に会話の終了を告げる。
防音シートがビリビリと震えた気がしたが、気のせいにしてベッドへ向かった。
鈴木君=DV気質で浮気性でチャラくて中二病の青年。
ドン引きしても、自分に被害が無ければ一周回って面白い。というのが、ヒロインの感想。