*魔王の計略
魔王様視点となります。
透視防止と盗聴防止結界を重ねて張り、許可無き者が入り込めないようにした執務室の扉が音も無く開く。
訪問者である、宰相キルビスは部屋の主に向かって頭を垂れた。
「お探しの者が見付かりましたよ。如何致します?」
椅子に座り書類に目を通していた魔王シルヴァリスは、ゆっくりと顔を上げた。
「人族の争いに干渉するのは条約に反しますが?」
パサリッ
手にしていた書類を放って、シルヴァリスは椅子から立ち上がる。
「魔族が、積極的に関わらなければよいのだろう」
腕を組んでシルヴァリスは窓の外へと視線を向けた。
「あれは、人族の町も観光したいと言っていた」
窓の外、階下の庭園ではガーデンテーブルに突っ伏すようにして頭を抱えている、異世界からの客人の姿が見えた。
「大事なお嬢さんなのに、良いのですか?」
御執心の娘が何処に居るのかと、常に城内の気配を探っているような魔王が自分の傍から離すとは、キルビスは表には出さなかったが驚いた。
「護りは付ける」
しれっとシルヴァリスは言い放つ。
驚きから一変、キルビスは呆れた目で魔王を見てしまった。
ガーディアンに魔力障壁に所有印……これ以上、娘への守護を増やしてどうするのだ。
もはや、守護という名の鎖でがんじがらめにしているように感じた。
執着している娘が、自分から離れないよう枷を増やしているだけでは無いか。
「では、僕にお任せください」
魔王の重すぎる執着に、気付かない振りをしてキルビスが言えば部屋の空気が重いものへと変わる。
「キルビス」
「はいはい、大事なお嬢さんに接触はしませんよ」
シルヴァリスが言わんとしている事が手に取るように分かり、キルビスはふざけた口調で返す。
「我……否、俺が動いたら、二日程誤魔化せ」
「はぁ?」とキルビスは嫌そうに顔を歪めた。
「二日? 丸々はキツイからなるべく早く帰って来てくださいよ」
「さて、な。たまには俺も羽目を外すかも知れんからな」
クツリッ、とシルヴァリスは口の端を吊り上げる。
「……ふーん。やっと、元に戻したんですか。貴方にはそっちの方が似合いますよ。偉そうに我とか言われると、虫酸が走る」
威圧感溢れる魔王として振る舞うより、以前キルビスが“シルヴァリス”と彼を呼んでいた頃の口調の方がしっくりくる。
それを伝えれば、シルヴァリスはフンッと鼻を鳴らした。
「お前の前だけだ」
「とか言いつつ、あのお嬢さんにも見せているんだろ? 本来のお前を」
幼馴染みとしてシルヴァリスと長い付き合いのキルビスには、魔王として振る舞っていても、他の配下の魔族には見抜けなくともリコと居るときは肩の力が抜けているのがバレバレだった。
不要だと判断した者は肉親ですら切り捨てる、非情で冷酷な男が。
嫌悪していた前王妃の薔薇園で膝枕をさせて気持ち良さそうにうたた寝するくらい、気を許している相手とは珍しいし貴重な存在だ。
「フンッ、残念ながらどちらも本来の俺だ」
配下に対する凍てついた魔王の姿も、リコに執着するただの男としての姿も、それらの影響も全ては把握している。
魔王シルヴァリスは愉しそうに笑った。
***
水の街ステンシアでの一夜。
「ねえ、私がテオドールさん達に会ったのは、偶然じゃないでしょ?」
リコに問われた時、シルヴァリスは込み上げてくる笑いを堪えきれなかった。
お盆休みの観光とやらのために異世界から来たリコは、この世界の時勢には関わらないし関心も無いという態度でいるが、馬鹿ではない。
ただ、気付かない振りをしているだけで物事を広い視野で見られる賢い女だ。
「何の事だ?」
わざとらしくシルヴァリスは口の端を上げた。
賢くとも、リコは腹の探り合いや駆け引きは苦手らしく、一々素直な反応を見せるのだ。
「私は、私も、貴方が、シルヴァリス様が好き、です」
今にも発火するのではないか、というくらい、顔を真っ赤に染めたリコはシルヴァリスを見上げた。
「お慕い申しております」
「お情けをくださいまし」
美しく着飾った女が涙を流してすがって来た時も、死を覚悟してでも一夜の情けを求めた女が、媚態を演じて見上げて来た時も、全く動かなかった感情が大きく揺さぶられた。
その感情の揺さぶりは不快なものでは無く、むしろ心地好さすら覚えるもので、思わずシルヴァリスは手のひらで顔を覆う。
初めて得た、この甘美な感情は……何だ。
全て計略の上で動いていた筈の魔王。自分の感情に戸惑うなどあってはならぬのに。
「もっと、して?」
初めて舌を絡ませる深い口付けを交わして、どろどろに蕩けきった表情で、瞳を潤ませたリコに可愛らしくねだられて眩暈がした。
その場に押し倒して、滅茶苦茶にしてやりたい衝動を理性で抑える。
愚鈍な兄達を切り裂いて、魔力を喰ってやった時以上の悦び。
これが、狂おしい程に愛しい、という感情か。
歓喜と興奮で震える体のまま、シルヴァリスはリコを抱き上げた。
ベッドへ横たえたリコを組み敷いて見下ろせば、彼女は恥ずかしそうに視線を逸らした可愛らしい態度をとる。
恥じらう可愛らしい顔を見てしまってからは、止まれなかった。
今までの渇きを満たす様に、シルヴァリスはリコの体を貪り尽くし、何度も追い詰めた。
やっとありつけたご馳走を前に、冷静ではいられなかったのだ。
漸く、手に入れた。
ずっと欲しかった女。
魂の片割れと言っても過言ではない存在の女。
ぐったりと意識を失い、眠るリコを見る。
眠るリコの首に残るのは、鋭い歯を突き立てた赤い噛み傷。
仰け反る首筋に透けて見えた血管が旨そうで、衝動のまま噛み付いて流れ落ちた鮮血を啜ったら、痛みと恐怖で泣かれたのだった。
ちゅっ
規則正しい呼吸に合わせて上下する、リコの胸元に口付ければ簡単に赤い鬱血痕が付く。
鬱血痕に混じって、胸の間、心臓の真上にうっすら色付き始めた証を指先でなぞる。
「ん……」
何も知らずに眠るリコは擽ったそうに身動ぎ、夢でも見ているのかふんわりと微笑む。
「クククッ、これでお前の体も魂も全て、俺のものだ」
契約は成された。
これで、山田理子という女は、我が魂が消滅するまで魔王と共に在り続ける。
もう逃がさない。
離さない。
何度も口付けて、吸い上げたせいで赤く腫れぼったくなったリコの唇に、シルヴァリスは何度も口付けを落とした。
魔王様と宰相のキルビスは幼馴染みです。




