14.この変化は反則です
注意=ヒロインがちょっと壊れてます。魔王様が別人みたいです。
水の街ステンシア。
人族と魔族が争っていた暗黒時代に一度街は海に沈み、その後、再建された街が現在のステンシアとなる。
暗黒時代の戦いで削られた大地は面積が少なく、路地の代わりに水路が造られていった。
水路のいたる場所に、広い水路の渡し船や手漕ぎボートが設置されており、荷車代わりのイカダも水路を行き交う。
幻想的な街並みと豊富な魚介類を使った料理を目当てに、季節を問わず訪れる観光客も多い。
沈みかけた夕陽に、水路の水が茜色に染まる美しい景色も、この街の名物の一つだった。
しかし、多くの観光客が橋の上から眺めている景色をゆっくり見る余裕など、理子には無かった。
「リコ、どうかしたのか」
隣を歩くシルヴァリスに声をかけられて、理子はビクッと肩を揺らす。
「う、ううん? 何でもない」
何でもない訳はない。何故ならば、理子が動揺する原因となっているのは隣を歩くこの男なのだから。
魔王の彼はそのままの姿では目立つから、ステンシアの街中で人に紛れるようにと、強力な魔力を耳飾り型の魔封じの魔道具で抑え、輝く銀髪は黒に近いグレーに、鮮血のように赤い瞳は落ち着いた橙色へと、色彩を変化させていた。
今まで人外の美貌だったから一歩退いていられたのに、今の姿が人の範囲内の美貌となったせいで、理子の心は乱れて落ち着かなくなっているのだ。
(ただ、色合いが違うだけ! 姿形は一緒!)
直視するだけで赤面してしまう理子は、必死で自己暗示をかけようと念じる。
色が変わっても他は一緒だから、人としても十分過ぎるくらい美形で困るのだ。
「あらー! お兄さん、男前だねぇ! 新婚旅行かい?」
水路に沿った路地を歩いていると、店頭で客の呼び込みをしていた恰幅の良い中年女性が声をかけてくる。
声をかけられるのは何度目か。
人の中に紛れてみても、シルヴァリスの容姿は目立つため商売人に声をかけられるのだ。
女性グループから声をかけられたシルヴァリスは、彼女達を一睨みをして退散させた。それ以降、女避けなのか理子を抱き寄せて歩いている。
「まぁ、そんなところだな」
女性は相手にしなかったのに、何故か商売人から声をかけられるとシルヴァリスは相手をするのだ。
貴方はそんなにフレンドリーなキャラクターではないでしょう? と問い詰めたくなる。
「新婚さんじゃあ、うちの生搾り薬膳ジュースを飲めば精がついて元気になるよ! 今夜あたり奥さんも元気な子を授かるかもね!」
あはは! とシルヴァリスの肩を叩いて、豪快に女性は笑う。
「ほぅ、貰おうか」
無礼者が! と怒り出すのでは無いかと、怒り出したら自分が止めなければと冷や冷や見ているのに、当のシルヴァリスは薬膳ジュースの試飲を受け取っている。
「ちょっと!? むがっ」
何、ちゃっかり試飲させてもらっているの! と止めようとした理子の口元へ、薬膳ジュースが押付けられる。
半開きだった口から、緑色で黄色の粒々が入った薬膳ジュースが流し込まれた。
物凄く苦く、青汁以上の苦さに酸っぱさが混じる、とんでもない味のジュースを喉が飲み込むのを拒否する。
飲み込んだ後の舌に残るピリピリした刺激に、理子はごほごほ咳き込んだ。
「奥さんは、精がつくのは不満か?」
涙目で咳き込む私の耳元で意味深に囁かれて、理子の頬は一気に赤く染まった。
真っ赤に染まったのは、変なジュースを飲まされて噎せたのも、耳元で変な事を囁かれたのもあったのだが……
分かってしまったのだ。シルヴァリスが商売人達をスルーしない理由が。
(もしかして、新婚さん、旦那さん、奥さんって言われて喜んでるのー!?)
商売人達は、理子がくっついているのに気付いて「新婚さん」と聞いてきていた。
我が儘を言って、観光に付き合わせてしまったかと心配していたが、どうやら彼なりに楽しんでいるようだ。
未だに口元を押さえて、うえーっとなっている理子は、前から来た中年男性にぶつかりそうになりよろけた。
よろけて、転倒しかけた理子の腕をシルヴァリスが掴む。
「リコ、俺から離れるなよ」
耳が捉えた違和感に、理子は目を点にしてシルヴァリスを見た。
「俺?」
魔王シルヴァリスの一人称は“我”という中二病っぽいものじゃなかったか?
「ああ、人の姿に合わせているからな」
どうでもいい事のように言われたが、理子にとっては大問題だった。
(うあああー!! 違い過ぎて、誰なのよ!!)
“我”じゃなく“俺”だなんて、丸っきり別人みたいに感じる。
胸がキュンキュンしてときめく、どころじゃない。
此処が外で人目があるから我慢出来たが、もしも自室だったら悶えて転がってしまっていた。
理子にとって、それほどの破壊力があったのだ。
「先程から、お前はどうしたんだ?」
いくら苦酸っぱい薬膳ジュースを飲まされたとはいえ、妙な動きをする理子をシルヴァリスは訝しげに見る。
「シルヴァリス様が色々といつもと違うから、慣れなくて」
何時もと違う貴方に悶えてる、とは口が裂けても言えない。
頬を赤らめた理子に、シルヴァリスは一瞬ぽかんとした後、ニヤリと口の端を吊り上げた。
「成る程、では城に戻るまではこのままでいよう」
「えっ」
(それは、外見ですか? 性格ですか?)
嬉しいような、しんどいような。こんな感じで過ごしていたら自分の心が耐えられない、かもしれないという不安で頭を抱えたくなった。
***
夕飯は、美味しい料理を頂けるお店を薬膳ジュースを売っていた女性に教えてもらい、地元食材をふんだんに使った料理が自慢だという小さなレストランへ向かった。
夕飯時には少し早い時間帯だというのに、地元民や観光客で店内のテーブル席は満席となっていた。
食堂の壁には民芸品のタペストリーが飾られ、各テーブル上に小さな花と硝子の魚を型どった置物が飾られているのも可愛らしい。
ステンシア周辺の魚介類が入ったスープスパゲッティーを、理子はモグモグ咀嚼して飲み込む。
「美味しい〜」
魚介の出汁が出ているスープに、麺がよく絡まって美味しい。
残ったスープにつけて食べるようにと、バケットをサービスで貰えたのはラッキーだった。
「新婚さんだしサービスね」と言われた気もしたが、きっと空耳だと思う。
理子の向かいに座るシルヴァリスは、店員さんオススメのシーフードドリアと魚介のスープを注文していた。
お城の豪華な食堂ではなく、庶民的なレストランでまさか魔王と二人で夕飯を食べるとは。
違和感無く、シーフードドリアを食べているのが魔王とは、不思議な感じがする。
「シルヴァリス様は、こういったお店のご飯でもお口に合うの?」
高級店じゃなくて大丈夫かと、店へ入る前にも確認したが、普段食べている魔王様の食事と違って口に合わないのではと心配になる。
魔王らしく血が滴るステーキとか目玉ゼリーとか、本当はゲテモノ好きだったらどうしよう。
「リコには賑やかな方が気楽でよいだろう。俺も以前は、度々城を抜け出して人に紛れていたからな。特に気にならん」
もしかしてお城に滞在した時に、シルヴァリスと豪華な食事ではなく庶民的の食事を一緒に食べたいなと、呟いていた事を知っているのか。偶然にしては、彼の態度は色々と引っ掛かるのだ。
それと、城を抜け出して、人に紛れて遊んでいるシルヴァリスとか想像がつかない。
粛々と執務をこなす魔王の姿とは異なった、若者らしくふざけた遊びや女遊びをしていたのだろうか。
金髪縦ロール令嬢、ベアトリクスは、前王妃様と兄弟を皆殺しにして魔王に即位した恐ろしい方だと話していた。
冷酷無比な魔王、自分を甘やかす優しい彼、目の前の人臭い彼。シルヴァリスの“素の姿”はどれなんだろう。
「昔のシルヴァリス様ってどんな感じだったの?」
お城の魔族のヒト達の反応から、恐くて鬼畜で女関係が酷かったのか。
「さほど変わらんな。ただ、今よりは退屈だった」
城を抜け出して遊んでいたのに、退屈だったのかと理子は内心首を傾げた。
「リコの存在が無かったからな」
甘さを含んだ蕩けた優しい声で、シルヴァリスは微笑んだ。
「うえっ?」
理子の全身は茹で蛸のように真っ赤になる。
口の中に何も入れていなくてよかった。入っていたら、噎せるか吐き出していた。
(ど、どうしよう)
やはり、人の姿へと変化したせいで、魔王の中身が別人へと変化してしまったのではないのか。
何か裏があるのではないか。と、警戒していたのに、警戒心が崩れていく。
(うぎゃー!! どうしよう、これが計算じゃなかったら、明日の朝まで耐えられないかもしれない)
観光をしたいだなんて我が儘を言わず、城へ戻った方が良かったのかも……知れない。
長い夜は始まったばかり。
今までは人外だから、魔王だから、と一歩退いていられたのに、ヒロインの心が揺れ動いています。