12.いつも貴方は絶妙なタイミングで
ドラゴンゾンビ、ツギハギされたドラゴンの、赤い鱗と青い鱗の双頭が大きな口を開けて理子に狙いを定めた。
「いやあああ!」
地面を揺らし、体から腐敗臭を撒き散らすドラゴンゾンビが迫ってくる。
紫色の粘液を垂らした、あんな気持ちが悪いモノに頭から食べられるだなんて。
逃げたくても上から落下した際、痛めた右足首が痛くて逃げられない。
杖を構えたエミリアが何か叫んでいるが、恐慌状態の理子の耳には届かなかった。
(どうしてこんな怖い目に遭わなければならないの? ただ、私はのんびりお盆休みを過ごしたくて、異世界を観光したかっただけなのに!)
恐怖に支配される理子の脳裏に、口に出さないようにしていた彼の名前が浮かぶ。
(やだっ! 怖い! 助けて!)
「シルヴァリス様!!」
呼んでしまったら彼は来てしまう。分かっていたからこそ一人寝で寂しいと思っても口に出さないようにしていた名前。口に出したら捕まってしまうから。
魔王の名を叫ぶと、理子の瞳から涙が溢れる。
ーグキャッ!?ー
理子に喰らいつこうとしたドラゴンゾンビは口を大きく開いたまま、勢い良く顔面から見えない壁に激突する。
ドカンッ!!
そのまま見えない壁に弾き飛ばされ、ドラゴンゾンビの巨体は洞穴の硬い壁にめり込んだ。
呆然と口を開けて固まる理子の上に影が落ちる。
「ようやく呼んだな」
耳に心地好く響く、落ち着いた低音の声はとてもよく知った相手のもので。
腐敗臭で麻痺していた理子の嗅覚が、仄かな花の臭いを感じ取る。
ポロポロ零れる涙を拭うこともせず、理子はゆっくりと顔を上げた。
「シル、ヴァリス様?」
顔を上げれば、洞穴には似つかわしく無い人外の美貌と燐光を放つ銀髪の青年、黒いマントを羽織って威厳を増した魔王様がいた。
(本当に、来てくれたんだ。嬉しい……でも)
何度も目を瞬かせて理子は魔王の存在を確認する。
口と目を開いて見上げる理子に、シルヴァリスはフッと微笑んだ。
「本当にお前は、手がかかる女だな」
流れるような動作で身を屈めたシルヴァリスは、地面に座り込む理子の太股と肩へ手を伸ばして、流れるような動作で横抱きにした。
「外は、楽しかったか?」
制止する間も無く抱き上げられた理子は、耳元で囁かれたシルヴァリスの言葉の裏に冷たいものを感じ取り、助けて貰えた安堵から一変して寒気を覚えた。
驚愕の表情で此方を見つめる冒険者三人の無事を確認することも、シルヴァリスの登場に困惑する彼らの視線に応えることも出来ず、理子は自分を抱く腕にしがみ付いた。
ーグギャアア!!ー
吹き飛ばされ岩壁にめり込み、一瞬だけ気絶していたドラゴンゾンビが意識を取り戻して怒りの咆哮を上げた。
岩壁を削りながら起き上がり、自分を吹き飛ばした相手、魔王へと怒りに満ちた二つの双眸を向けた。
「魔族の貴方!! 油断しないで、そのドラゴンには魔法攻撃はあまり効果が無いわ!」
声を張り上げたエミリアへ向けて、シルヴァリスは冷笑を浮かべた。
間近で見た理子も寒気を感じるくらいの冷たさを持つ冷笑だった。
それを、直接向けられたエミリアの肩がビクリッと揺れる。
「ドラゴンだと? アレは死体を継ぎ合わせたキメラだ。一緒にするな、汚らわしい」
吐き捨てるように言うと、シルヴァリスの周りに闇色の魔力の渦が生じる。
ーグギャァアア!!ー
怒りのまま、シルヴァリスへ向かっていくドラゴンゾンビの体を闇色の霧が包み込んでいく。
闇色の霧の中、無数の稲妻が生じてドラゴンゾンビに襲いかかっていった。
ーグガア!!ー
体を外と内、両方から焼き尽くそうとする稲妻から逃れようと、暴れるドラゴンゾンビの周囲を包む闇色の霧が鱗の隙間から体内へと入り込む。
体内へと入り込んだ闇色の霧は、細胞内へ入り込み細胞を破壊していった。
ーギャアアアア!!ー
稲妻による火傷、闇色の霧による細胞破壊でドラゴンゾンビの体は黒ずみ炭化していく。
悲鳴を上げることも出来ないまま、最後は灰と化した。
カランッカランッ
巨体が崩れ去り、ドラゴンの体を繋ぎ合わせていた金属の留め具が灰の上へ落ちた。
ほんの十数秒。
あれだけ冒険者たちが苦戦したドラゴンゾンビは呆気なく倒れたのだった。
「う、そっ」
大きく目を見開いて、エミリアは喘ぐように言う。
魔法を発動させる魔方陣も詠唱も無く、強力な魔法を、人族ではほとんどの者が扱えない闇の魔法を使ったのだ。
しかも理子を抱いたまま。人族には猛毒となる闇魔法を、彼女に影響を与えないよう配慮しながら発動させた男がただの魔族な訳はない。
高位も高位、この男は魔王の側近あたりだろうか。エミリアの額から冷や汗が流れ落ちる。
「アイツがリコに所有印を刻んだ、魔族?」
チクチクと針で刺すような痛みを感じ、ウォルトは首を傾げた。
首を傾げるウォルトを一瞥したシルヴァリスは、すぐにテオドールへと視線を移す。
強力な魔力に圧倒されていたテオドールは、以前にもこれと似た感覚を感じた事があると、自分の記憶を探っていた。
幼い頃、銀髪赤目の魔族に見下ろされて動けなくなってしまったのだ。
「貴方は、まさかっ」
幼い自分に強烈な印象を与えた魔族が此処にいる。
何故だと半ば混乱した思いで、テオドールはシルヴァリスと彼に抱えられている理子を見た。
「シルヴァリス様、助けてくださってありがとうございます。あの、申し訳ありませんが、下ろして欲しいのですが」
「歩けるのなら、な」
なるべく穏便に頼んだつもりだったのに太股を支えるシルヴァリスの腕が動き、腫れて熱を持つ右足首をガッシリ掴む。
ピキリッと右足首に痛みが走って、理子は思いっきり顔を歪めた。
「痛っ! あ、歩けませんっ!」
痛みに顔を歪める理子に、シルヴァリスはニヤリと口角を上げて愉しそうな笑みを返す。
相変わらずの意地悪っぷりに、つい先程まで抱いていた感謝の気持ちが薄れる。
「何故……何故、貴方が此処にいらっしゃるのですか?」
驚きと戸惑い、そんな感情を全面に出した表情を浮かべながら、ふらつく足取りでテオドールはシルヴァリスの前まで歩み寄る。
「魔王陛下」
静かなテオドールの声が洞穴内に響き渡った。
「「魔王!?」」
数秒後、テオドールの言葉の意味を理解したウォルトとエミリアの声が重なって響いた。
痛いほどの三人の視線を感じて、反射的に理子はシルヴァリスの胸元の顔を埋める。
「我の寵姫を迎えに来ただけだ」
「えっ?」
「はぁ?」
「寵姫?」
サラッと放ったシルヴァリスの発言に、三人は驚きの声を漏らす。
失礼だ、とは思わなかった。特に美人でも無く、取り柄もないのに魔王の寵愛を受けるなどと、魔王の色々拗らせた執着を知らなかったら、自分でも吃驚仰天する。
顔を上げていられなくて、シルヴァリスの胸元に涙を擦り付けてやれば、上から呆れたような苦笑いの音が聞こえた。
「それで、貴公こそ何故此処にいるのだ。アネイル国第三王子、テオドール殿」
ハッと息を飲んだテオドールは顔色を変えた。
(ええっ?)
王子様みたいだと思っていたテオドールが、本物の王子様だったとは。思わず理子はシルヴァリスとテオドールを交互に見る。
ウォルトとエミリアが無言なのは、彼等がテオドールの正体を知っていたからなのだろう。
「アネイルの第三王子は、王位継承権争いを嫌がり三年程前に国から出奔したと聞いていたが。気楽に冒険者などやっていてよいのか?」
「俺は、王子であることを捨てた。アネイルとは関係の無い、ただの、テオドールです」
シルヴァリスの問いに、絞り出すように答えるテオドールは瞳を伏せて俯いた。
魔王様が助けに来てくれました。
テオドールさんはヒロインの予想通り王子様です。




