09.効果音だけで終わらない宿屋
ウォルトが案内してくれたのは、大通りから一歩外れた場所に建つ、石造りの壁と赤色の屋根の規模の大きい建物だった。
この宿屋は、一階が食堂になっていて、二階が宿泊施設という造りの大衆向けの宿で、夕暮れ時ということもあり宿泊客と食事目当ての客で賑わっていた。
「ほぉーこれが……ファンタジーね」
建物内に入る前から理子は目を輝かす。
宿屋の受付カウンターの奥、食堂部分には木製のテーブルと椅子が並び、夕食を食べている人々の楽しそうな声が聞こえる。
賑やかな空間は二日ぶりくらいなのに、懐かしくて安堵した。
「ファン? 特に珍しくもない普通の宿だと思うが? あぁ、食堂の飯は旨いぞ」
「美味しいなら夕飯は食堂でいただきます。お風呂は大浴場ですか? あとお手洗いは共同?」
宿屋の宿泊者名簿への記入を終え、理子は宿の施設についてウォルトを質問攻めにしていた。
宿内に浴室があるなら、夜間外へ出なくて済むから助かる。
ファンタジーゲームでは、カウンター越しに店員と会話した後は効果音が鳴って夜が明けるから、宿泊手続きを済ませた後にこういうやり取りが出来るだけでも楽しい。
「大きいかは分からんが、男女別れた風呂があるな。本当にリコはこういった宿には泊まった事が無いのだな」
呆れ混じりで言うウォルトを、理子は「ええ、まあ」と笑って誤魔化す。
現代日本では、こういった宿屋を探す方が大変だと思う。
部屋の鍵を受け取り二階へ移動しようかという時、二階へと続く階段からパタパタ軽い足音が聞こえて理子はそちらへ顔を向けた。
階段を駆け下りてきたのは、朱色の髪を高い位置でツインテールにした背の低い女の子。
膝上15センチくらいのミニスカートから覗く美脚が眩しい、顔立ちは少しきつめだが猫目が可愛い。
「ちょっとウォルト! どこに行っていたのよ!」
少女はつり目がちの茶色の瞳をさらに吊り上げる。
「ああ、悪い。ちょっと人助けをしていたんだ」
全く悪いとは思っていないウォルトの口振りに、少女は大袈裟な溜め息を吐いた。
「あんたまた……その子は?」
少女のウォルトを睨み付けていた視線が、横に立つ理子へと移動する。
吊り上がっていた目が、息を飲む音と一緒に大きく見開かれた。
「酔っ払いに絡まれてた子だ。宿を探していたから連れてきた」
「あんたねぇ」
眉間に皺を寄せた少女は、ビシッと理子を指差した。
「ねえ、貴女。名前は?」
理子より背が低い少女が、少々控え目な胸を張って上目遣いで見てくるのは猫みたいで可愛い。
彼女からは、ファンタジーゲームキャラにいそうな魔法使いのお嬢さん、といった印象を受けた。
大柄な傭兵と小柄で強気な魔法使いの女の子は、よく描かれる組合せだが実際目にするとバランスはいいかも。
「私? 私は、リコ・ヤマダです。ウォルトさんのお陰で、本当に助かりました」
丁度、目の高さにある少女の頭を撫でてしまいたい衝動を抑え、理子は丁寧に頭を下げる。
「リコね、私はエミリアよ。一応、魔術師なの。リコのジョブは? この町には何しに来たの?」
「ジョブ? 私は冒険者ではなくて、仕事が休みになったから観光をしに来たんです。だから、ジョブって会社員かな?」
予想通りエミリアは魔術師だった。
ジョブの意味が職業というなら、理子の職業はこの世界の言葉であるか分からない。会社員かOLという職業はあるのか分からない。冗談でも魔王様の抱き枕とは言えない。
「ふーん、よく分からないけどこの町には観光に来たのね? この宿屋は男女別の部屋になるのよ。むさ苦しい男は女性フロアには入れないルールだから、わたしが貴女を部屋まで送るわ。ウォルトは、テオドールが待ってるから早く戻りなさいよ!」
見た目は小柄な少女なのに、エミリアは勢いよく一気に喋り通した。
エミリアの通る声に、周りに居た宿泊客も何事かと振り返る。
彼女の有無を言わせぬ勢いに押され、理子はコクコク頷いた。
「あ、ああ。じゃあ、リコまたな」
あっち行けとばかりにエミリアは右手で「シッシ」とウォルトを追い払う仕草をする。
苦笑いを浮かべるウォルトの表情に、気の強い少女と旅をしている彼の日々の苦労が少しだけ分かった気がした。
似たような扉が両脇に並ぶ廊下を歩いて、私とエミリアは部屋を探す。軋む廊下の音がやけに響いて聞こえる。
「リコの部屋はここよ」
鍵に付けられた部屋番号と、扉に取り付けられたプレートが一致する部屋までやって来ると、番号を確認したエミリアは理子に鍵を手渡す。
「私の部屋は二部屋向こうよ。何か困ったら訪ねて来なさい」
「うん、ありがとう」
腰に手を当てて胸を張って言う少女が可愛くてついデレッとなる。
可愛い。これがツンデレ属性か。
最近は姉曰く、ヤンデレ属性の魔族とばかり居たから、多少の生意気な態度も可愛らしく感じる。
ベッドと簡素な椅子しか置かれていない部屋に入り、理子はフゥと息を吐いた。
色々あった、長く濃い一日だった。
魔国のお城から庶民の宿屋とか落差は激しいが、漸く一人になれて全身の力がやっと抜けた気がする。
「ウォルトさんにエミリアさん、かぁ。冒険者って響き、まさしくファンタジーだなぁ」
一度は夢見た剣と魔法のファンタジーな世界。
衣料品店の店主から貰った、この町近郊の観光マップをベッドの上に広げる。
明日は何処に行こうかと理子は、口元を緩ませるのであった。
***
食堂の奥、宿屋の主人に交渉して借りた使われていない保存庫の一角。
滅多に人は入って来ないが、念のためにと防音の魔法を施した室内は、中央に置かれたテーブルの上で魔法の明かりが辺りを照らす。
テーブルを中心にして椅子に腰掛けるのは、淡い金髪の端正な顔立ちの青年と腕組みをするウォルト。
ツインテールを揺らして胸を仰け反らせたエミリアは、ウォルトをキッと睨み付けた。
「ウォルト、あんたってやっぱり脳筋なのね」
「ああ?」
脳筋と言われたウォルトの眼光が鋭くなるが、エミリアは怯まない。
「あの子を見て何も気付かないなんて。まぁ、ウォルトの魔力量なら仕方ないか」
やれやれ、とエミリアは横を向いた。
武術のみ、剣の腕ばかり鍛えて魔法の勉強はおろか、生まれもった魔力を高めることもしてこなかった男に期待しても仕方がない。
「そんなに面倒そうな娘なのか?」
紙の束に目を通していた金髪の青年が顔を上げる。
青年の問いに、エミリアは眉を寄せて頷いた。
「面倒も何も、あの子は魔族の加護が付いてるわ。それもとびきり高位の魔族。加護っていうか、所有印を付けられている上に……あれは、多分、魔力まで与えられてると思う。彼女に何かあったら、高位魔族が出てくる危険があるわ」
エミリアは嫌そうに顔を歪めた。
アレは魔族の加護なんてものじゃない。リコという女に絡み付いている強力な呪詛だ。あれだけの魔力を与えられているのに、彼女の精神が歪んで狂っていないのが不思議でならない。
「ウォルトがリコを助けなかったら、今頃この町は火の海だったかもね。だからと言って、此処に連れてくるのは止めて欲しかった」
「……悪い」
かなり危ない状況だったと理解したウォルトは、素直に謝罪を口にする。
口元に人差し指を当てて何やら考えていた金髪の青年が「もしや」と呟いた。
「エミリア。それは、今回の依頼に関係ありそうか?」
「さあ、分からないわ。でも、」
エミリアの指が、金髪の青年がテーブルの上に広げた紙を突つく。
「リコは明日、例の遺跡を観光しに行くって。どうする?」
「……その娘に会ってみて決めるか」
暫く思案した金髪の青年は、椅子から立ち上がり、壁際へ歩いていった。
半地下となっている保存庫の通風口から食堂の様子を伺う。
通風口から僅かに見えた先には、食堂のテーブル席に座り、幸せそうに夕食を頬張る理子の姿があった。
本人の知らぬ間に話は進みます。




