06.水鏡
「選択肢は与えよう」
そう言ったはずの魔王は、またもや理子を腕の中へと閉じ込める。
まるで、拒否などさせないという思いを体現させるように。
白馬に乗って城へと戻ってベッドへ横になるまで、魔王シルヴァリスは理子を抱き締めて離そうとしてくれなかった。
脅迫めいた告白をして、彼が今まで抑えていた恐いくらいの理子への執着、独占欲が解放されてしまったのかもしれない。
「お仕事頑張ってください」
「リコ」
朝食後、シルヴァリスは見送る理子の肩を引き寄せる。
また抱き締められるのか、と思っていた理子の顎を掴むと、シルヴァリスは軽く触れるだけの口付けを唇に落とした。
ちゅっ
固まる理子の唇から唇を離す時に、わざとらしいリップ音を立てられて一気に熱が顔に集中する。
「なっ、なにを……!」
侍女達も見ているのに何をするのだ。
口元を押さえて頬を真っ赤にする理子の頭を一撫でしてから、シルヴァリスは上機嫌で寝室を後にした。
お盆休み二日目。
午前中の予定に組み込まれてしまった、マクリーンによる王妃教育という名の勉学を終え、昼食を済ました理子は半ば微睡みの中にいた。
暖かな陽射しが差し込む庭園には、今日も陽光に煌めく見事な金髪縦ロールを揺らす、ベアトリクス侯爵令嬢の弾んだ声が響く。
「それでですねぇ、新しく出来たカフェのフルーツタルトが若い女の子達に人気で、わたくしもラズベリーとブルーベリーが乗ったタルトを……リコ様? どうなさいましたの?」
「えっ?」
名前を呼ばれた理子は、片足を突っ込みかけていた眠りの淵から覚醒する。
ベアトリクスが話していたのは確か、季節のフルーツをふんだんに使ったタルトが自慢のカフェの話だったか。
「いえ、美味しそうだなって思って。私も行ってみたいですが、昨日、魔王様に城から出してとお願いしたら却下されちゃったから無理かな」
悲しそうに口元へ手を当てて、理子はこっそりと垂れた涎を指で拭う。
暖かな陽射しに負けて、半分寝ていたとはベアトリクスに申し訳なくて言えない。
「まぁ! 魔王様はリコ様の事をとても大事に想われているのですね。素敵です」
どこをどうしたら魔王が理子を大事にしている事になるのか。閉口してしまう。
口をへの字に結んだ理子をよそに、ベアトリクスは瞳を輝かせた。
「素敵、かなぁ」
大事というより、自分の目の届く範囲に置きたいという理由で外に出さないでいるだけじゃないか、と昨夜のシルヴァリスとのやりとりを思い出した理子は渋面になる。
「素敵ですわ。わたくしも大事なモノは厳重に囲っておきたいですもの。大事に閉じ込めて心も体も自分だけのモノにして、独占したいという魔王様のお気持ち、分かりますわぁ」
うっとりと言う、ベアトリクスは目を細めて頬を染める。
彼女といい魔王といい、魔族という方々は理子からしたら少々過激な考えや嗜好をお持ちなのか。
いっそのこと、ベアトリクスが魔王のお妃様になれば、執着する相手を監禁したくなるという想いを理解出来て良いのでは? とすら私は考えてしまった。
「魔王様の許可無くリコ様をお連れするのは無理ですけど……見ることならできますわ」
渋面のままでいる理子に、ベアトリクスはニッコリと花のような笑みを向ける。
「実は、わたくしの親戚から、城内の立ち入り禁止区域以外の散策許可はいただいていますの」
得意気に言い、ベアトリクスはドレスをずらして豊満な胸の谷間に手を入れる。
ギョッとした理子が止めるより早く、彼女は自身の胸の谷間から、500円硬貨を一回り大きくした金色のコインを取り出した。
「今、魔王様は大事な会議ですって。会議中は遮断の結界を張りますから、わたくし達の動きは分からないでしょう。さぁ、城内の散策をしに行きますわよ」
羨ましいけしからん胸の谷間に大事なアイテムを隠し持つという、大胆な侯爵令嬢はうふふっと口元に手を当てて笑った。
赤い絨毯が敷かれている長い廊下を抜けた突き当たりに、目的の場所があった。
鏡のように磨かれた黒光りする石の扉。
扉に刻まれている紋様へ、ベアトリクスは金色のコインを翳す。
キィ……
魔法なのか、重厚な石の扉は自動的に開く。
扉の向こうは、青白い大理石に似た石で四方を囲まれた広い部屋だった。
部屋はすり鉢状となっており、中央、すり鉢の底部分には直径二メートル程の水盆が設置されていた。
「此処は水鏡の間」
先を歩くベアトリクスの靴音が、静寂に包まれた室内にコツコツと響く。
「見たい場所をこの水鏡に映し出して見ることができます。遮断されている場所は見れませんが」
水盆の前まで来ると、ベアトリクスは指先で水面を軽く弾く。
次の瞬間、部屋の天井を映し出していた水面が静かに揺らめいた。
水面の波紋が静まった後、部屋の天井ではない煉瓦造りで大きな窓には日除けのオーニングテントが張られた、お洒落なカフェの外観が映っていた。
「このように」
二度、ベアトリクスの指先が水面に触れる。
映像が切り替わり、若い女性が席に座ってケーキを食べている店内の様子が映し出された。
「此処は、先程わたくしが話していたオフェーリカフェです。今日も大繁盛ですわね。今は無花果のタルトと、ラズベリーのタルトが人気みたいですね」
ガラスケースに入ったフルーツとクリームをたっぷり使ったタルトは、確かに見た目も楽しめるし美味しそうだ。
頑張って魔王と交渉して、是非とも食べに行きたい。
理子が決意を固めていると、水面は次の映像へと切り替わる。
映し出されたのは、石造りの四角い建物。
窓には鉄格子が嵌め込まれ、階段を上った先にある出入口の扉には幾何学模様が描かれて、独特な雰囲気を放っていた。
映像が切り替わり、外観と一変した店内が映し出される。
ゴシック調の店内には、色とりどりの装飾品がところ狭しと置かれていた。
「此処が若い娘に人気の装飾品を取り扱う店です。魔石を加工した装飾品で、わたくしも購入したことがあります」
見たい場所を見られるだなんて、まるでインターネット上で住所を入力して映像を見られるシステムみたいだ。
「この水鏡は、私にも使えるのかな?」
理子の問いに、ベアトリクスは困ったように首を傾げた。
「魔力を込めれば使えますが、リコ様はどうかしら? 魔王様から与えられた魔力をお持ちですが、試してみないと何とも言えませんけど……試しに水面へ触れてみてくださいませ」
「魔王様から与えられた?」
意味深な台詞が聞こえたような気もしたが、理子は気付かない振りをして指先を水面に触れさせる。
しゃんっ
触れた指先から波紋が広がった。
「こう、かな」
見よう見まねで指先に意識を集中してみる。
どくんっ
指先に力を集中するイメージを描けば、それに合わせて心臓が強く脈打ち、理子の体の中から何かが溢れるような妙な感覚を覚えた。
ザバザバッ!
「えっ!?」
急に水盆の表面が激しく波打ち、水飛沫が理子の腕やドレスにかかった。
大きく波打った水は二つに裂けて宙を舞い、大きな飛沫となって私に襲い掛かる。
バシャーン!
「きゃあっ!?」
頭から冷水をぶちまけられたような強い衝撃に、理子は思わず両目を瞑ってしまった。
「リコ様!!」
切羽詰まったベアトリクスの声が真横から聞こえて、すぐに掻き消えた。
静寂が辺りを覆い、理子は急に一人になった気がして不安になった。
その時、鼻を擽るある臭いがしてきて、閉じていた目蓋を開けた。
「ベアトリクス様? うっ!」
目蓋を開ければ強烈な光に、理子は堪えられずに目を細めた。
夏特有の強い陽光、鼻を擽るのは海の潮の臭い。
近くからは波の音と海鳥の鳴き声。
徐々に目が慣れてきて、理子はポカンと口を開けてしまった。
「此処は……?」
今まで理子は魔国の城に、水鏡の間に居た筈だ。
なのに何故、如何にも船着き場の桟橋のような場所に立っているのか。
しかも、辺りを見回したのに一緒に居た筈のベアトリクスの姿が見付からない。
「これって水鏡の力?」
水盆の水がかかったから、理子は違う場所に転移してしまったのか。
「どうしよう……」
船着き場に似つかわしくない、小綺麗なドレス姿を来た理子は、この先どうした良いのか分からず、途方に暮れた。
転移しちゃったみたい。




