03.そうだ模様替えをしよう
昨夜の深酒が原因だろう倦怠感から、なかなか起き上がれなかった。
僅かに痛むこめかみを理子は親指でグリグリ押さえる。
ベッドに寝転んだまま、ベッド下に放ったままになっている仕事用バッグの持ち手を持ち、自分の手元へと引き上げた。
バッグに入れたままだったスマートフォンを取り出して時間を確認し、理子は深い息を吐いた。
時刻は10時半、昨夜は帰宅が午前様だったとはいえ寝過ぎだ。
痛む頭を押さえつつ体を起こすと、胸の上に乗せていたバッグが布団の上に倒れる。
倒れた拍子に、バッグからコロリと赤い球体が転がり落ちた。
「これに一万円の価値があるの?」
掛け布団の上に転がった赤い球体を、人差し指と親指で摘まむ。
遮光カーテンの隙間から差し込む陽光に透かして見れば、光の加減によって赤色が朱にも黒に近い深紅にも見えた。
目を凝らせば球体の中に金の装飾、文字のような物も見える。
触れた感触はガラスでもプラスチックでも無い。
石よりも硬く鉄より柔らかな感触。それに仄かに温かい気もした。
「玩具では無い、か」
香織が言う通り、インチキ商法じゃなくこれは価値のある物かもしれない。
軽い気持ちで金欠だと言う香織に泣き付かれ、彼女の買値で異世界の魔女のお守りとやらを買い取ったのだ。
給料日前なのは自分も一緒、冷静に考えれば給料日前に一万円の支出は痛かった。
だが、価値のあるものならお守りとして大事にしてみるのもいいか。
「婚約祝いを贈ったと思えば安いものかな」
プロポーズされたと嬉しそうに笑う香織は、大衆居酒屋に居るのにキラキラ輝いて見えたし綺麗だった。
これが俗に言う幸せオーラなんだろう。
「いいなぁ。でも恋愛するのは面倒くさいんだよね」
今更、誰かと恋愛をするのは時間も体力的にもキツイ。
学生の頃は彼氏もいてそれなりに楽しかったのに、社会人になってからは要領の悪い自分には仕事だけで精一杯で恋愛まで手が回らない。
恋愛している暇があるなら寝ていたい。結婚相手との出会いは、お見合いでいいやと理子は考えていた。
20代前半にしては既に枯れてる、とは自覚している。
「さて、起きるか」
両腕を上げて伸びをした後、緩慢な動作で理子はベッドから抜け出した。
***
“上下左右の部屋からの生活音が気になるなら、気軽にできる防音対策として壁側に家具を設置する方法があります。本棚やタンスなど大型のものなら、厚みがあって音を隔ててくれる効果があります。”
“大型の家具の配置を変えても音が気になるなら、天井や壁に吸音材を貼り付けてもいいでしょう。遮音シートと呼ばれる簡単に貼り付けることの出来るタイプや何枚も貼り付けていくパネルタイプがあり、音を遮って聞こえにくくしてくれます。
ただし、壁一面にすべて貼り付けるとなると費用がかかります。事前にどのくらい必要なのか、ホームセンターやネットで金額を確認して予算を考えながら検討することをおすすめします。”
「マンション 隣 生活音」でタブレットを使って検索したページを開いて、理子は新聞の折り込みチラシの裏面に簡単な部屋の見取り図を書いていた。
完成した見取り図に書き加えるのは、キャビネットやベッド等の大型家具。
卑猥な騒音で睡眠不足へと追いやってくれた鈴木君の部屋はマンションの一階角部屋。
鈴木君宅から発生する騒音は全て理子を攻撃しているのだ。
昨夜みたいに深酒をして爆睡するなら寝られるだろうが、毎夜深酒したらアルコール依存症まっしぐらである。
鈴木君の部屋と繋がる壁に大型家具を設置し、少しでも騒音からの自衛を試みた。
「タンスでも駄目なら段ボールでも貼るか」
先ずベッドを動かして、次は衣装タンスから引き出しを抜いてからタンスを壁際へと運ぶ。
「よっと、と?」
抱えたタンスによって前が見えず、理子はフラフラとよろけてしまった。
ガンッ!
「げっ!」
鈍い音とタンスを抱える手に伝わる衝撃から、よろけてタンスの角を壁に当ててしまったのが分かって理子は血の気が引いた。
抱えていたタンスを下ろし、壁の傷を確認する。
「穴開いちゃった……これはマズイかな」
理子の視線の先には床上30cmくらいの高さの壁に、タンスの角と同じ形のガッツリと空いた穴があった。
穴を確認するため、屈んだ理子が穿いている短パンのポケットから赤い球体が転がり落ちる。
「あっ」
拾う間もなかった。
ポケットから落ちた赤い球体は、吸い込まれる様に壁の穴へと吸い込まれていったのだ。
穴に落ちた球体を取り出そうにも、15cm程の穴に手は突っ込めない。
穴の先は真っ暗で何も見えない。というか、壁の中は断熱材とか入って無いのかと首を傾げるくらい、空洞となっていた。
「あちゃーこれは取れないや。この穴は敷金礼金で直るかな? 修繕費かかったら嫌だなぁ」
退去の時を考えると頭が痛い。ガックリと肩を落とした理子は、タンスを設置しようと二度壁の穴を見た。
「えっ?」
穴の中から淡い赤い光が発せられ、穴の周りの壁が金色の文字で覆われたのだ。
何だこれは、と困惑しつつ数回目を瞬かせる。
目を瞬かせた一瞬のうちに、赤い光も金色の文字も霧散した様に消えた。
「気のせい?」
二日酔いのせいで変なものが見えたのか。
疲れているのかなと首を傾げつつ、理子は作業を再開した。