04.夜の強制デート
金髪縦ロール嬢こと、ベアトリクス・ロゼンゼッタ侯爵令嬢は理子とのお喋りをいたく御気に召したようで、「明日、また伺いますわ」と艶やかに微笑んで帰路へとついた。
麗しい令嬢とのお喋りは楽しいものだったが、お盆休みをのんびり過ごしたいと思い此処へ来たのにと、許容オーバーになった頭を抱えた理子は大きな溜め息を吐いてしまった。
夕食の時間となり、案内された部屋には魔王シルヴァリスの姿は無く、理子は室内を見渡す。
白いテーブルクロスが掛けられたテーブルには、一人分のカトラリーしかセットされていない。
「エルザ、魔王様はいらっしゃらないの?」
「火急の案件のため、来られないそうです」
「そう……」
シルヴァリスとは朝以来、顔を合わせていなかった。
魔王と言えども、ファンタジーの世界で勇者を待って玉座でふんぞり返っているのはゲームや漫画の魔王だけで、シルヴァリスは王様としての執務が忙しいのだという。
会えなくて寂しいということではなく、侍女や給仕係に見られて食べる食事は緊張する上に、誰かと会話が出来ない無いのが寂しい。
行儀が悪いと言われようがお上品なディナーより、楽しく話せる職場の社員食堂や行きつけの居酒屋の方が気が楽だ。
夕食を終え入浴を済ませた理子は、エルザとルーアンに全身マッサージを施されて全身ツルピカになった。
全身マッサージの気持ち良さから、彼方の世界へ戻ったら自分へのご褒美に月一くらいでエステへ通おう。
(シルヴァリス様が戻ってこないなら、自分で拭いてもいいかな)
半乾きの髪の毛が気になってタオルで拭いてしまおうかと、理子は銀細工で装飾された鏡台の前へ向かった。
「魔王様がいらっしゃいます」
タイミングよくかけられたエルザの声に、タオルを持つ手が止まる。
魔王の寝室へと続く扉が開き、濃紺色のシャツの上に黒色のガウンを羽織ったシルヴァリスが室内へ足を踏み入れた。
壁際に下がったエルザとルーアンは、一礼をして部屋を後にした。
既に入浴は済ませたらしく、シルヴァリスからは仄かに花の香りがする。
「遅くなった」
慣れない場所で一人は大変だったとか、一人で夕飯は寂しかったのに、と言うのは恥ずかしくて理子はぐっと言葉を飲み込む。
「シルヴァリス様、お仕事お疲れ様です」
赤い目を細めてシルヴァリスは私を見下ろし、右手を差し出した。
「リコ」
名を呼ばれた理子は、いつも通りシルヴァリスの前へと歩み寄る。
ふわり
あたたかな風が吹いて、半乾きの髪がふんわりと乾く。
髪から仄かに香るのは、甘く陶酔させるような、エキゾチックでフローラルな香り。
この香りは彼の気分次第だと気付いたのは、いつの頃だろうか。
甘い香りに、私の心がゆらゆら揺れる。
乾いた髪に手を伸ばしたシルヴァリスは、サラサラと艶さらになった髪の感触を楽しむように指先で髪を弄ぶ。
『魔王様のご世継ぎを...』
甘い香りに酔ってしまい、うっとりと目蓋を閉じて与えられる指先の動きを感じていた私は、ふと、ベアトリクスの発言を思い出して我に返った。
危ない。
このまま、シルヴァリスとの間に漂う甘ったるい雰囲気に流されてしまったら、そういう事態、後戻り出来ない非常に不味い事態になる予感がする。
「どうした?」
シルヴァリスの顔を見ているのが恥ずかしくて、理子は横を向いた。
髪を弄んでいたシルヴァリスの長い指が理子の頬を撫でていく。
「っ、くすぐったいだけです」
真っ赤に染まった顔を見られたくなくて、理子はさらに顔を背けた。
クツリと喉を鳴らす音と共に、頬から指が離れる。
「まぁいい。行くか」
ぱさりっ、
シルヴァリスは理子の肩へ、どこからか用意したらしい藍色のショールを掛ける。
「行くって何処に?」
カシミヤ素材に似た暖かなショールを掻き抱く理子の問いには答えず、シルヴァリスは彼女の腰を右手で抱え込んで歩き出した。
「ちょっと、シルヴァリス様!?」
理子の声を無視したまま、シルヴァリスはテラスへ続く窓を乱暴に開け放つ。
「きゃあああ!?」
全身に風圧を感じて、理子は腰を抱え込む腕から逃れようと手足をばたばた動かした。
室内に居た筈なのに、目前に広がるのは一面の夜空と煌めく星。
下を向けば闇の中に浮かぶ城壁が見える。
「ちっ、暴れるな。落ちはしない」
「だって! これは無理ー!」
いくら魔法の力で空を飛んでいようが、事前説明も無くテラスから飛び降りられたら、誰だってパニックにもなるだろう。
半泣きで腰に回された腕にしがみつく理子の様子に、シルヴァリスは呆れたように笑う。理子の腰を支える腕はそのまま、空いた片腕を軽く振るった。
キィン
空中に朱金の魔方陣が出現し、中心から一匹の白馬が出現する。
一見すると普通の馬に見える。
しかし、白馬の瞳は血のように赤く染まり、蹄は炎を纏って宙に浮かんでいる事から、この馬は魔獣なのだろう。
夜空に輝く鬣の、美しい白馬の背へ理子を横向きに座らせてシルヴァリスはひらりと後ろへ跨がった。
「ヒヒーン! ブルルルル」
白馬は召喚者の意思を理解しているのか、一声嘶くと城の上空から一気に城下へと駆けて行く。
「遅くなったが、今日は魔国を案内する約束だっただろう。飛ぶよりは平気か?」
やはり白馬を喚んだのはシルヴァリスなりの気遣いのようだ。
確かに今朝、執務が終わったら魔国を案内すると言われたが、今日は疲れたし寝たかったのだけど。とは、小心者の理子は言えない。
「う、ありがとうございます」
事前に説明してもらっていたら、ここまで怖がらなかったのだがあまり事前説明をしてくれないのは、彼が魔王様だからか。
白馬での移動はシルヴァリスが何かしたのか、風も当たらず揺れも少ないという快適なものだった。
眼下に広がる城下の街並みを見下ろしてみる。残念ながら夜間と距離があるため、街灯や建物の灯りが点いている場所しか見えない。出来れば、昼間に見てみたかった。
ふと、手綱を持つシルヴァリスの手に触れてみると、腰に回された腕に力がこもった。
「……ロゼンゼッタ家の娘が来たそうだな」
背後から耳元に寄せられた唇が動いて、吐息が耳にかかる。
くすぐったい上に恥ずかしくて、理子は顔を動かして耳に触れる唇から逃れた。
「ベアトリクス様ですか?」
「そんな名だったな。その娘は、リコに有益になりそうか否か、どちらだ?」
有益とはどういう意味だ。不利益なら、どうなるんだろうかと、私は首を傾げる。
それ以前に、婚約者候補だったベアトリクス嬢の名前も覚えてなかったとは。
「利益とかは分からないけど、可愛いしお話は楽しかったですよ。明日も来てくれるって言ってました」
「そうか。ならば良い」
直ぐ後ろで、シルヴァリスはフッと笑うものだから吐息が耳に当たり、くすぐったくて理子は顔を二度動かして彼から逃れる。
わざとやっているのでないかと思い、理子は首を動かして後ろを振り返る。
「っ!」
至近距離から見下ろしていた赤い瞳と視線が重なってしまい、咄嗟に目線を逸らす。
麗しい魔王にくっついて白馬に乗っているだなんて、夜のデートだなんてムード満点じゃないか。
自覚すると理子の体温は上昇していく。
茹で蛸みたいに真っ赤になった顔を見られないように、理子は横を向いた。
長くなったので、次話に続きます。
空飛ぶお馬さんです。魔獣なので羽は生えてませぬ。




