03.金髪縦ロール嬢
会話文が多くなっちゃいました。
城内が何時もより活気付いている気がする。
二日ほど前から、魔王の機嫌が良いと気味悪がっていたキルビスは、部下の報告から機嫌が良い理由が分かり鼻で嗤った。
自分に何も情報を寄越さなかったとは、余程お気に入りの娘と接触させたくないらしい。
主の機嫌で振り回されている城仕えの者達が今日は平和に仕事をしているのを横目に、キルビスは魔王の執務室へ向かっていた。
入室の許可を得ると同時に執務室へ入れば、魔王は何時もより仕事が捗っている様子で腹が立つ。
「魔王様、あれは酷いんじゃないですか?」
「何がだ?」
開口一番にキルビスから非難され、魔王のペンを持つ手が止まる。
「本人の了承無くお妃教育とは、騙し討ちみたいだって僕だって思いますけどね」
キルビスが言っているのは誰のことか分かり、魔王はサインを書き終えた書類を置いて顔を上げた。
「だから何だと言うのだ」
隠していた情報を掴んでやったのに、特に驚きもしない魔王に苛立ちが募ったキルビスはがしがしと頭を掻く。
「侍女長が張り切っていて喧しいからな。滞在ついでにやらせるだけだ。我の執務が終われば外には連れていってやる」
「何が、ついでですか。ただ可愛いお嬢さんを外へ出したくないだけなくせに。後でお嬢さんには「外に出すのが心配なんだ」と正直に話さないと嫌われますよ。嫌われて逃げられたら、僕があの娘を貰ってあげますけど?」
ひゅっ
嫌われてしまえ、と呪詛を込めて言ったキルビスの右頬が鼻の手前までザックリ裂けた。
赤い瞳が鋭利な刃のように細められた魔王の髪が、風も無いのにザワザワと揺れる。
魔王の放つ魔力に執務室が揺れて、やり取りを見守っていた文官からは「ひいっ」と短い悲鳴が上がった。
「キルビス、貴様……死にたいか」
「僕が死んだら、困るのは魔王様でしょ?」
体を突き刺す魔王からの圧力を、キルビスは涼しい顔で受け流した。
憎まれ口を叩く宰相を前に、魔王が不敵に笑う。
お互い冗談半分なのは分かっている。魔王が本気で来たら、執務室ごと吹き飛んでいるからだ。
暫く睨み合った後、ようやく魔王が魔力を抑えた時には、安堵のあまり側仕えの文官は崩れ落ちかけた。
「そうそう、魔王様が寵姫を連れ込んだとの噂を聞き付けて、貴方の婚約者候補だった娘が登城したらしいですよ」
口元に指を当てて暫し思案した魔王は、魔貴族の中でも魔力の高い娘を思い出した。
「ロゼンゼッタ家の娘か」
数年前、強い魔力を持つ一人娘を是非とも妃候補にと、ロゼンゼッタ当主が煩かったのを一笑に付したのだった。
その娘が婚約者候補扱いとされていたのは、当の魔王は興味も無く知らなかったが。
「どうします?」
「放っておけ。どうせ貴様の差し金だろう」
つまらなそうに、魔王は椅子の肘掛けに頬杖を突いたまま答える。
「よくご存知で。ロゼンゼッタ家の娘を懐柔出来れば、お嬢さんも今後楽でしょうね」
キルビスはニヤリと口角を上げて笑う。
魔貴族の中でも力のある一族の次期当主と魔王の寵愛を受ける娘を絡ませたら面白いし、上手く関係を築けたら娘が魔国で生きやすくなる。
魔王が何も言わないのは、この男もキルビスの思惑に気付いており、その他のことも企んでいるからだろう。
***
色とりどりの花が咲き誇る中庭。
陽当たりが良く、花が見渡せる場所に置かれたガーデンテーブルの上に置かれているのは、上質な紅茶と香ばしい焼き菓子。
社会人になってから久しく使わなくなっていた、勉学専用の脳をフル回転した反動で疲れきってしまった理子は、甘い紅茶の有り難さを噛み締めていた。
頭から湯気を出しそうなくらいヘロヘロになった理子のために、甘い菓子を用意してくれたエルザとルーアンの優しさに涙が出そう。
「うう、頭が限界だわ」
学生時代の自分はどうやって勉強していたのか。以前は、机に向かって勉強するのに堪えられたのに、今は耐え切れないのは頭が固くなっているのだろう。
初日からこれだけしか出来ないとは、あと五日間はどうしたら良いのか。
それ以前に、休暇を楽しみに来たのに勉強とか絶対におかしい。
頭を抱える理子を心配そうに見ていたエルザとルーアンは、何かに気付いて後ろへ下がった。
「ごきげんよう、寵姫様?」
背後からかけられた声に、理子は反射的に背筋を伸ばしてしまった。
振り向いた先に佇むのは、水色をベースに青いフリルとリボンで飾られたドレスを着た、金色の髪と紫色の瞳の、吊り目なのがキツそうな印象を与えるが、とても綺麗な令嬢だった。
綺麗な容姿もそうだが、注視すべきは彼女の髪は完璧な縦ロールということ。
付き添う侍女へ下がっているように指示を出して、縦ロール嬢は優雅に微笑む。
「わたくしも、ご一緒して宜しいかしら?」
見事なまでの縦ロールを凝視していた理子は、ハッと我に返った。
「失礼ですが、どちら様でしょうか?」
午前中に学んだ貴族社会のルールとやらによると、縦ロール嬢の立場が分からない以上、自分から名乗れないという何とも面倒なルールがあるらしい。
「あら、これは失礼いたしましたわ。わたくしは、ベアトリクス・ロゼンゼッタと申します」
縦ロール嬢、ベアトリクスはスカートを持ちペコリと淑女らしいお辞儀をする。
「私は、リコ・ヤマダと申します」
椅子から立ち上がり、理子も頭を下げた。
淑女の礼は分からないから、社会人になってからマナー教室で叩き込まれた丁寧なお辞儀をする。
『背筋を伸ばし、足下に視線を落とし、上体を45~60度程度に傾けます! 『1・2・3・』の呼吸はゆっくりと行い、2のところで呼吸を一旦止め、間を取ります!』
脳内でマナー教室の先生の声が響く。何度も練習させられたお辞儀は完璧に出来たと思う。
挨拶を済ませたタイミングで、ルーアンがガーデンチェアを運んで来る。
テーブルを挟んで理子と対面する位置に、ベアトリクスは優雅に腰掛けた。
(面接みたいだ。これは圧迫面接?)
向かい側に座るベアトリクスの華やかな雰囲気に圧倒されて、縦ロール嬢が面接官だったら吹き出して面接が終了するかなと、明後日な事を思ってしまう。
理子の思考を知らないベアトリクスは、ティーカップへ注がれた紅茶を一口飲む。
「寵姫様はリコ様とおっしゃるのですね」
「はい、出来たら寵姫様じゃなくて名前で呼んで欲しいのですが」
ベアトリクスにまで寵姫だと思われているのかと、私は眉尻を下げる。
「では、リコ様とお呼びしますわ。わたくしは、魔王様が寵姫を召されたという噂を聞いて城へ参りましたの。一応、魔王様の婚約者候補だった者ですから」
「婚約者候補、ですか」
午前中に学んだ魔国の歴史と主だった魔貴族の一覧表を思い起こす。
ロゼンゼッタ家は魔貴族でもかなりの権力を持った侯爵家だった。 魔王の婚約者候補とされていたならば、ベアトリクスは魔貴族の中でも高貴な身分と魔力を有した令嬢といえる。
「魔王様が選ばれたのが人で、それも異世界から来た方とは、リコ様を直接お目にするまでは信じられませんでしたわ」
ベアトリクスに異世界人だと言われて理子は目を丸くした。マクリーン侍女長も異世界人ということを知っていた気もする。
「私が異世界から来たと分かるのですか?」
「ええ、リコ様はこの世界の人族とも違う波長をお持ちですから、強い魔力を持つ者なら感じ取れますわ」
ベアトリクスの口振りから、魔王が彼女に自分の事を伝えた訳では無いらしい。
魔王と彼女は親しい関係では無いと安堵していることに気付き、理子はテーブルクロスで隠れた手を握り締めた。
「ベアトリクス様は、私が魔王様の側に居て不満では無いのでしょうか?」
だから、調子に乗るなと警告をしに此処まで来たのではないのか。
理子の言いたい事を察したベアトリクスは「ふふふっ」と声を出して笑う。
「わたくしは、生まれながら強い魔力を持っていたため、幼い頃より魔王様の妃、魔国の王妃に選ばれるよう育てられました。魔王様は完璧な美しさと魔力をお持ちのお方。魔王に即位してから二十年余り経ちますが、未だに妃を娶られておりません。だからこそ魔族の女性は皆、魔王様に憧れて魔王様の寵を得ようと争い、そして畏れていますわ」
あれだけ綺麗な容姿をしている魔王なのだ。女性が恋い焦がれるのも頷ける。
魔族は力がある者がより上位に立てるというから、魔族の女性が魔王に憧れるのも当然だ。
以前、魔王も女には不自由していないと言っていたじゃないか。
分かっていても、見目麗しいベアトリクスに直接言われるのは堪える。
(私が並んじゃいけない相手。私が正妃候補なんて身の程知らずで、シルヴァリス様とは釣り合わない)
ぎゅっと唇を結び俯いた理子に向かって、ベアトリクスは柔らかく微笑む。
「リコ様、安心してくださいませ。わたくしは、義務として妃となるのなら受け入れますが、魔王様を愛する自信はありませんの」
「えっ?」
敵対心を向けられるのだと思っていた理子は、ベアトリクスの発言に驚いてしまった。
「あの方がリコ様にはどう接されているかは分かりませんが、魔王様は他者に対して刃のように鋭く冷徹な方です。
ご自身が魔王に即位するために、ご兄弟や前王妃様を皆殺しにされたような恐ろしい方。そんな魔王様に嫁いでも、強い魔力に当てられて子を孕む前に死ぬかもしれないですし、孕めても出産に耐えきれずにわたくしが死ぬかもしれません。それほど魔王様の魔力は強大なのですわ」
身震いしたベアトリクスは両手で自身の肩を抱き締める。
「でも、リコ様は違う。唯一、魔王様から魔力を分け与えられている貴女なら、問題なく魔王様の御子を胎に宿せるはずです。わたくしの親戚に魔王様の側近の者がいるのですが、リコ様のおかげで魔国のお世継ぎ問題も解決しそうだと喜んでいましたよ」
「お世継ぎって、結婚もしていないのに……」
正妃候補から魔王の子を妊娠する話となり、理子は唖然となる。
シルヴァリスは以前、自分と同等の魔力を有する女性以外は抱けば死ぬ、ということを言っていた。
世継ぎを孕むのも生むのも命懸けというのは厳しいし、王族にとって世継ぎ問題はとても重要なことだとは理解できる。
だが、どうして自分がシルヴァリスの子を生むことを了承していると思うのだ。
(そこに当人達の、私とシルヴァリス様の意思は?)
勝手に話が進んでいることを知り、理子は開いた口が閉まらなかった。
「それに、わたくしは魔王様のような完璧で完成された殿方より、わたくしが手を加え育てていくような、まだまだ未熟な殿方の方が好みですの」
恥ずかしそうに、縦ロールを揺らしながらベアトリクスは頬を赤らめる。
「だから、貴女に対して嫉妬も怒りもありません。むしろ喜ばしいと思っております。ただし、他の方は分かりませんことよ? リコ様は魔王様の所有印をお持ちですから下手なことはされないと思いますが、くれぐれも油断されませんようお気を付けてくださいませ。まぁ、リコ様に何かやらかしたら、わたくしの拷問の実験台にして死ぬより苦しい目に合わせて差し上げますわ。そうですねぇ、こんな拷問はどうでしょうか。うふふふ」
両手を合わせて楽しそうに笑うベアトリクスは、発言が聞こえなければとても可憐な令嬢に見える。
しかし、彼女の嬉しそうに語る拷問内容のエグさに、理子は震え上がってしまった。
見た目は可憐な令嬢の好みが、拷問と未成熟な男子とは色々残念だ。
嗜好が偏っているのは、彼女が魔族だからなのか。
「あの、ベアトリクス様って、青田買いが好きなの?」
「青田? 田園のことかしら?」
意味が分からず、ベアトリクスは可愛らしく小首を傾げる。
その仕草は綺麗、より可愛い。
うっとりした表情で拷問を語る姿はもの凄く怖いが、どうやらこの世界で仲良く出来そうなご令嬢と知り合えたらしい。
「わたくしリコ様とまたお喋りしたいわ。明日もお伺いしてもよろしいかしら?」
「ええ、楽しみにしてます」
可愛い女の子に上目遣いでお願いされたら断れない。
本音は、お上品にお茶会するより庭園の陽当たりの良い芝生でゴロゴロしたりして、残りのお盆休みをのんびり過ごしたいのに。
(シルヴァリス様に会ったら文句を言わなきゃ!)
ベアトリクスと談笑をしながら、理子はそう心に決めた。
ぱんぱかぱーん!
ヒロインは、侯爵令嬢ベアトリクスと知り合った!
実は拷問が好きな縦ロール嬢。
見た目は悪役令嬢。
魔王より、将来有望な殿方を自分好みに育成、もとい調教したいと思っている。




