*宰相の喜憂
魔族の宰相、キルビス視点です。
魔国宰相キルビスはここ三ヶ月もの間、一応上司にあたる魔王の様子が変化した気がして、戸惑うことが多かった。
頭に角が生えるとか羽が生えるといった目に見えた変化ではなく、側近にしか分からない魔王の僅かな変化。魔王の雰囲気と感情の変化と捉えた方が分かりやすい。
その変化をキルビスは気味が悪いと思っていた。
何故ならば、顔だけは綺麗だが無愛想で口も悪く、気に入らない者は容赦なく消すような非情な魔王が、仕事終わっていなくても必ず日付が変わる前には自室へ戻るようになった。そして、朝から機嫌が良い日が続いているという、側近には幸せな日々が続いているのだ。
ある日、魔王の御世話係の侍従が洩らした情報にキルビスは耳を疑った。
「顔と態度に似合わず意外と寂しがりの魔王様が、最近は女を部屋に入れていないそうですね。やっと一人寝出来るようになったと聞いたのですが本当ですか?」
承認された書類を受取りついでに訊いてみれば、執務室にボキリッというペンが折れた音が響く。
「キルビス貴様……我を馬鹿にしているのか」
執務机の方を見れば、険しい目をした魔王が攻撃的な圧力を放っていた。
キルビスの横にいた文官は圧力に耐え切れず悲鳴を上げる。
「自分の事を我とか言うのは気持ち悪いですよ魔王様。昔みたいに戻した方がいいと思いますよ」
「貴様……」
魔王の赤い目に殺気が混じり、どす黒く変化していく。
気を失いかけている文官の尻に蹴りを入れつつ、キルビスは魔王から放たれる魔力をさらりと受け流した。
魔王の変化の原因を知ったのは、執務室を破壊しかけてから五日後のことだった。
魔王の世話兼監視を命じていた者より、魔王がメイドを二人自室へ呼んだとの報告を受けて、キルビスは頭を抱えた。
「城仕えの女には、相談無しでは手を出さないってルールじゃなかったか。くそ魔王」
城仕えの者は、魔王の魔力に潰されない力の持ち主且つ強力な魅了の力に狂わされないようにと、キルビスが苦労して精神幻惑魔法耐性が強い者を集めているというのに。
煩い侍女長に気付かれる前に早々に処理をしなければ、そう思い、部下に席を外す旨を伝えての私室へと向かった。
魔王は私室には厳重な結界が張ってあるため、結界手前の回廊まで転移する。
回廊へ降り立ったキルビスは、腕に女物の服を抱えたメイド達に出くわして眉を顰めた。
二人のメイドは、キルビスの姿に明らかな動揺を表したからだ。
「お前達、どうかしたのか?」
「いえ、何も……」
「私達は魔王様の所用に呼ばれただけでございます」
流石、キルビスが選び侍女長が教育したメイド達だ。彼女達の動揺はほんの一瞬だけで、普段の無表情へと戻る。
だがキルビスは見逃さなかった。
「魔王様の? 魔王様は何者かを自室に匿っているのか? その者がその服を着ていたのか?」
メイドが抱えている服から魔王と似た、しかし異なる魔力の残り香を感じ取っていた。
「安心しろ、お前達の事は魔王様には伝えない。ただこれだけは答えろ。魔王様の意中の相手は……人族か?」
回廊の奥に居る魔王に感知されないように、成るべく笑みを浮かべて穏やかにメイド達へと命じた。
物分かりが良く、侍女長より厳しく躾られている二人は「はい」と、小さな声で答える。
「成る程」
ならば魔王が隠す訳だ。
魔族に比べて弱い人の娘を囲っているならば、嫉妬に刈られた者が危害を加える可能性が強い。
城内の者なら兎も角、魔貴族の令息令嬢の中には死んでもいいから魔王の寵を得たいという、頭のイカれた者もいる。
「漸く、妃を娶る気になったのか。それとも……」
その女を利用するためか。
最近、人族の国と魔貴族の中で不穏な動きがあるのは分かっている。キルビスが把握しているのだから、腐っても魔王は分かっているはずだ。
不機嫌な魔王に八つ当たりされないならば、魔王の謀略に乗ってやるか。
それに、魔王の寵をねだり抱かれた末、内部破壊により壊れた女の処理をしなくても済むのなら……恋慕、利用、どちらでも良い。
意中の女とイチャ付いているのだろう魔王の私室へ向かう気も失せて、キルビスは仕事へ戻ることにした。
***
アネイル国大使が訪問するという忙しい日。
執務室から消えて戻ってきた魔王は消える前より格段に機嫌が良くなっていた。
くそ魔王が! とぶん殴りたかったが、後のことを考えてグッと堪える。
魔王と大使の謁見が終了した後に、もっと苛つく相手が出来たからだ。
「キルビス様! 魔王様はどちらに行かれましたの?」
客間の椅子に腰掛け、淑女らしからぬ甲高い声で喚くのは、アネイル国の大使として魔国へ来た第二王女。
緩いウェーブがかった金色の髪に水色の瞳をした人にしては強い魔力と綺麗な顔立ちの王女は、見た目だけは麗しい上に魅了の力を持つ魔王に一目で心を持っていかれたらしい。
アネイルの王は見目が良く強い魔力を持つ王女を大使に据えて、あわよくば魔王に取り入ろうと考えたのだろう。
下心が見え見えだとキルビスは声に出さず笑ってしまった。
頭の中が御花畑な王女と、緊張した面持ちで彼女を見守るお付きの者達をキルビスは冷めた目を向ける。
王女程度の魔力の持ち主など魔貴族の中では珍しくもない、その程度では魔王に取り入って抱かれても彼女の体は魔力に耐えきれず内部破壊を起こす。
「魔王様は、執務でお疲れのため自室でお休みになっています。魔王様の許可無く自室へは行けません。危険ですよ」
苛立ちを隠して張り付けたにこやかな仮面を外さずにキルビスは答える。
脳内では、面倒な王女の相手を押し付けていきやがった魔王をタコ殴りにしていたが。
「まぁ大変! わたくしがお慰めいたしますわ」
片手で口を覆う王女の芝居がかった仕草に、キルビスのこめかみに青筋が浮かぶ。
(この女、魔王に近付いたら危険だと言っただろうが)
魔王は嫌悪感を抱いた相手には容赦はしない。そして今、魔王はお気に入りの娘との逢瀬に勤しんでいる。
逢瀬の邪魔をしようものなら、王女だから簡単には消しはしないだろうが、アネイルにとって良い結果にはならない。
「姫様、御気遣いありがとうございます。しかし、申し訳ありませんが、魔王様の自室へは何重もの結界が張り巡らされているため、簡単には入れませんよ。許可を得ずに向かえば、結界に阻まれて貴女は死にます」
死ぬぞとハッキリと言ってやれば、王女の側仕え達はギョッと目を剥く。
お前らの大事な姫君を止めろ、と視線で側仕え者達へ伝える。
「大丈夫ですキルビス様! わたくしがお伺いすれば、きっと魔王様はお部屋へ招き入れてくださいますわ。魔王様のお部屋まで案内してくださいませ!」
ぶちっ、頭の中で忍耐の糸が切れる音が響く。
苛立ちが最高値に達したキルビスは、座っていた椅子から立ち上がった。
(もういい。この喧しい女を殺そう)
魔王の逆鱗に触れた事にしてしまえばいい。結果、戦争になったら責任をとって自分一人でアネイルを叩き潰せばいい。
「馬鹿女が。殺すか」
キルビスの纏う雰囲気が変わったのに気付いた王女は、驚きのあまり口をポカンと開ける。
口が半開きという抜けな表情に少しだけ溜飲が下がるが、キルビスの苛立ちは消えない。
王女という立場以外は何も無い、馬鹿な女を魔王が娶る訳がないだろう。それ以前に、何の利にもならない女を宰相であるキルビスが魔王に近寄らせるなどしないだろう。
「ひ、姫様、宰相殿を困らせてはなりません」
顔色を蒼白にした護衛騎士が王女に耳打ちする。
「えっ、わ、分かりましたわ」
「では、僕は下がらせていただきます。ごゆるりとおくつろぎください」
(頭を下げて主の非礼を詫びる騎士達に免じ、今回は許してやるか)
キルビスは柔和な笑みの仮面を貼り付けて退室の礼をとった。
***
魔王の気配を探らせていた部下から情報が入り、キルビスは烏に変化した。
まさか薔薇園にいるとは、先代魔王の結界を解除するには時間がかかるのに。
(仕方ない、結界は力尽くでぶち破るか)
結界を破る直前、魔王がキルビスの接近に気付いて舌打ちをしたのが分かって、してやったりと嗤う。
薔薇園で魔王とイチャイチャしていたのは、やはり人族の女だった。
艶やかな黒髪に黒曜石のような瞳の、良くも悪くも普通の女。
大きな瞳がくるくると動いて、可愛いとは思うが目を惹くような特徴は無い。
ただ、普通の女のくせに仕事を放棄した魔王を叱るわ、圧力にも屈することない豪胆さは好意を持てた。
魔王が彼女に飽きて手放すなら、自分が貰い受けようかと思うくらい。
「未来のお妃様」
転移陣を展開する前、冗談半分で言った台詞に頬を赤く染めて口をパクつかせる姿は、金魚みたいで可愛らしいと感じた。
少なくとも、馬鹿な王女よりはずっと受け入れられる、が……
「……本人は望んでいないだろう。可哀想なお嬢さんだ」
あの娘は魔王から与えられる魔力によって、肉体のほとんどが変容させられていた。
魔王の強大な魔力を与えられて、彼女の精神が歪んでいないのが信じられない。
この目で見ても信じられないことに、魔王は細心の注意を払って慎重に事を進めているのだろう。
だが、あそこまで変えられてしまっていては彼女は人には戻れない。
自分の兄弟を皆殺しにして魔王に即位したくらい非情な男に、これ程大事にされてしまったら今後人の世では暮らしていくのは許されない。
所有印を刻まれた上、肉体を変容させて己の魔力に馴染ませるという手間をかけてまでして、魔王が手に入れようとしている女。
そこまでするくらい魔王に執着されていたら、もう逃げられないだろう。
(可哀想で幸せな娘だ。頑張って魔王を惹き付けて夢中にさせてくれよ)
近い将来、魔王の周辺が変化しても対応出来るよう、予算と人員の配置を考えなければ。
キルビスは魔王の執務室へ向かう道中、周囲に勘ぐられないよう事を進めるため、思考を巡らしていた。
キルビスのチェックに、ヒロインは合格したみたいです。
たまには第三者視点もいいですね。