13.そうして連休は終わった
長い上に甘ったるいです。
昼間と同じ部屋、魔王の寝室の隣室へと通された理子は、淹れてもらった夕食後の紅茶を一口飲んで小さく息を吐いた。
「我が儘言ってしまってごめんなさい。昼間、頂いたお料理が美味しくて食べ過ぎてしまったので、あまりお腹が空いて無くて。お夕食も美味しかったです」
昼食を摂る時間が遅かった上に食べ過ぎてしまい、メイド達にお願いして夕飯はフルコースでなく、スープ、パン、メインの魚料理のみにしてもらった。
それでも結構な量があったのだから、魔族は大食漢なのだろう。
側に控えるメイド達には、口に合ったか、体調が悪いのか、と何度も聞かれてしまい理子は苦笑いを浮かべた。
「いいえ、お気になさらないでください。貴女様は人族ですから」
「準備と片付けを気にして頂くだなんて。私達への御心遣いに、わ、私、感激してしまいましたわ」
無表情のメイド達の声は震え、綺麗な瞳から涙が零れ落ちる。
彼女達は常に無表情でいても実は感情豊かのようで、理子は慌てて立ち上がった。
(どうしよう、泣かせちゃった。魔王様、はまだ戻らないのね)
不承不承、他国の大使との会食へと向かった魔王はどんな豪華な夕食を食べているのだろうかと、彼の私室へ繋がる扉を見た。
***
薔薇園のガゼボに置かれたベンチに座り、魔王に膝枕をして小一時間程経った頃。
うとうとしていた理子の耳に舌打ちの音が届き、ぼんやりしていた意識が浮上していく。
理子が身動ぎをした時、膝枕をしていた魔王が上半身を起こした。
「魔王様?」
どうしたのか訊ねる前に、魔王に肩を引き寄せられて理子の体は彼の腕の中へ落ちた。
魔王の視線の先は理子では無く、ガゼボの外、日が暮れつつある空にある。
何かあるのかと、理子も橙色に染まった空を見上げた。
ピシッ!
突然、夕焼け空が透明の硝子みたいにひび割れた。
パリンッ!
ひび割れはビシビシ音を立てて広がり、ついには割れ落ちていく。
硝子のような物が割れ落ち、地面に触れる前に溶け消える。
空に開いた穴から、黒い烏が飛び込んで来てガゼボへ一直線に進む。
「お邪魔しま~す」
黒い烏は、ガゼボに居る魔王に向かって目を細めて笑った。
「フンッ、邪魔だと分かっているなら来るな」
冷たい魔王の声が頭上から聞こえ、理子は烏をよく見るために体を反転させようともがく。
魔王の胸に手を置いて彼との距離をとろうとしても、背中へ回された腕の力は緩まず強まっていく。離れることを諦め、首を動かして背後の様子を伺った。
烏はガゼボの側へと降り立つと同時に、体がほどけるように粒子となり人形へと変化する。
現れたのは、貴族が好みそうな上品な黒の燕尾服を着た、見た目は若い男性。
青銅色の肩より長い髪を黒いリボンで括って、少し垂れ気味の目元が柔和な印象を与える。
だが、その茶色い瞳に宿る鋭い光が、男性がただの優男ではないことを物語っていた。
派手な登場の仕方から、彼も魔族なのかと理子は体を固くした。
魔王に肩を抱かれたまま、緊張している理子に気付いた男性は柔らかな笑みを向ける。
「初めまして、僕はこの国の宰相、キルビス・モルガンと申します。仕事を途中放棄しやがった魔王様を引っ捕らえに来ました」
「私は山、むぐっ」
名乗られたから返さなければと、開いた理子の口元に魔王の手のひらが当てられ、言葉を遮られる。
申し訳無いと目線で訴えると、キルビスと名乗った男性は肩を竦める。
「随分、探したんですよ、魔王様? 上手く結界を張り巡らしやがって」
明るい声色で言うキルビスの目は全く笑っていない。
理子の頭上から、魔王が鼻で笑う音が聞こえた。
「責務は果たした筈だが? 後は貴様でも対処出来るだろうが」
「責務? この後の会食もそうだろ? サボるなよ魔王様」
苛立ちが盛れ出ているキルビスは、相当魔王を探し回ったのだろう。
「あの鬱陶しい女と会食しろと?」
「鬱陶しい女でも、一国の王女で大使ですから。僕も王女の相手はもう嫌で、イライラして殺したくなっちゃうんで、魔王様が戻って仕事してください」
一気に空気張り詰め、周囲から音が消える。
薔薇園には突風が吹き出し、魔王と宰相、二人の間に鋭い不穏な空気が流れた。
「……魔王様、お仕事なのでしょう?」
一触即発の雰囲気の中、理子は恐怖を感じるより呆れてしまった。
一国の王が仕事を部下に押し付け、女とイチャイチャするとは何のつもりだ。
「王様が職務放棄は駄目ですよ。仕事に戻ってください」
魔王を見上げて彼と目を合わせて言う。
「何だと?」
まさか理子に言われるとは思わなかったのだろう、魔王の眉間に皺が寄る。
「仕事をしてください。部下に迷惑をかける上司は嫌われますよ」
負けじと睨めば、肩に回されたままの魔王の腕に力がこもる。
「……分かった」
数十秒の睨み合いの後、不承不承といった体で魔王は頷く。
二人のやり取りを見ていたキルビスは、ブハッと笑いだした。
「ほらほら、可愛いお嬢様に嫌われちゃう前に、戻りやがれ魔王様」
「貴様……」
殺気混じりでキルビスを睨み、暫時思案した魔王は腕を外して漸く理子を解放して立ち上がった。
「面倒だが、さっさと終わらせるぞ。お前は部屋で待っていろ。キルビス、貴様は破った結界を直して強化しておけ」
幼い子供にするみたいに、魔王は理子の頭を一撫でする。
ガゼボを出た魔王は転位陣を展開して、一瞬のうちに薔薇園から姿を消した。
「ちっ、くそ魔王が。めんどくせえ」
魔王が消えた空間へ悪態を突くキルビスは、理子に向き直ると、一変してにこやかな笑みとなる。
「ご協力感謝いたします。未来のお妃様」
キルビスに、深々と頭を下げられ呆気にとられて固まる理子をよそに、彼は転位陣を展開して姿を消した。
***
夕食後、理子はゆっくり湯船に浸かりメイド達に全身マッサージをしてもらい、弾力のある艶々の肌となった。
「魔王様」
理子が寝室へ向かうと、先に戻っていたらしい魔王は既に寝間着に着替えており、ソファーに腰掛けていた。
「お仕事お疲れ様です」
「リコ」
気怠そうに半眼伏せたまま、ソファーに座った魔王は理子に向かって右手を伸ばす。
気怠そうな表情で寝間着が少しはだけいる魔王は、昼間よりも色気増量で内心ドキドキしながら理子は彼の元へ向かう。
ソファーの前まで行くと、半乾きだった理子の髪をあたたかい風が包み込み、一瞬で水気を飛ばし乾かす。
艶々さらさらに乾いた髪から仄かに香るのは、ベンゾイン、安息香のバニラに似た甘い香り。
薔薇園でうたた寝をするくらい気怠くて眠いはずなのに、魔王は理子の髪を乾かしてくれる。
その事実に、理子の胸の奥もほんわかあたたかくなる。
「わっ」
突然、右手を引かれて理子の体は魔王の上に倒れ込んでしまった。
「魔王様!? びっくりするでしょっ」
まるで昼間の、薔薇園での再現のようで理子は焦る。
あの時は、薔薇の香りに酔っていたし宰相が居たから焦らなかったが、夜の妖しい雰囲気を放つ魔王相手ではヒシヒシと身の危険を感じる。
離して欲しくてもがいても、肩に回された腕はびくともしないし、魔王は私の艶さらになった髪を片手で弄ぶ。
弄られる度、鼻孔を擽る甘いバニラの香りに理子は「あれ?」と気が付いた。
(安息香の香りは、リラックスの効果があるって香織が言っていたような……?)
友人の香織はアロマが好きで、時折アドバイスとともに精油を希釈したスプレーをくれるのだ。
以前、落ち込んでいた時に貰ったバニラのような甘いベンゾインの香り。
効能は、リラックス、緊張やストレスをやわらげて、気持ちを落ちつけてくれる。前向きな気持ちを取り戻すきっかけを与えてくれる、と教えてもらった。
密着している魔王の体からは、爽やかな花の香りのみで甘い香りはしない。
それは、何を意味するのか。
顔を上げれば、気怠そうな魔王の赤い瞳と視線がぶつかる。
「会食はどうだったんですか?」
気になって訊けば、あからさまに魔王は顔を顰めた。
「……王女でなかったら、あの女は即消していた」
あまり感情を出さない魔王に顰めっ面をさせるとは、どんな王女なんだろうか。
王女様というカテゴリーの人に会ったことがないせいか、純粋な興味が湧く。
「王女様ですか。王女様と魔王様の会食は華やかだったでしょうね」
高貴な方々の晩餐会の様子はテレビで見た事があるが、豪華絢爛な部屋で最高級の食事を紳士淑女が頂くといった内容だった。
「華やか、だと?」
髪を弄る指を止めた魔王は、嫌そうに目を細めると眉間に皺を寄せた。
「喧しくて鬱陶しい女との会食などただの茶番だ。お前と食べた方が余程面白いだろうな」
喧しくて鬱陶しいと酷評された王女様は、一体何をやらかしたんだ。
薔薇園で会った、王女の相手をしていたというキルビスも物騒な発言をしていたし。
(王女様より、私との食べた方が良かったと思ってくれるのは、正直、嬉しいな)
ゆるむ口元を抑えようとして、理子はあることに気が付いた。
「うん? 面白い?」
面白い、とは魔王の中では誉め言葉なのか。
肩に回された腕の力が弱まり理子はチャンスとばかりに、両腕に力を込めて押し付けられていた魔王の薄付きだが筋肉質の胸から上半身を離した。
出来ることならば膝の上から下りたいが、それは許してくれないだろう。
「魔王様、今日は私の暮らしている世界では経験出来ない事をいっぱい出来て良かったです。でもですね、いろんなヒトに勘違いされちゃったのは困りました」
「勘違いだと?」
全く分かっていない魔王に、理子はつい唇を尖らしてしまった。
「魔王様が勘違いされるような言動をするから、皆さん勘違いして……その、寵姫と呼ばれた時は驚きました」
平凡で地位も無い理子を特別待遇するなと言っても、魔王から好待遇を受けていたら誰だって特別な関係なのだと勘違いをする。
山田理子が魔王の特別な相手、恋人の関係なのだと。
「ああ、キルビスがリコは寵姫なのかとしつこく訊いてきたな」
ああやっぱり、と理子は息を吐いた。
キルビスは去り際に勘違いした事を口走っていたから、理子が元の世界へ戻ったら皆の誤解を解いて欲しいと、魔王に頼まなければ。
「ほら~勘違いされちゃったじゃないですか! 今後、魔王様に好きな人が出来たらどうするんですか」
「今後だと? お前は本当に、残念な女だな」
呆れたように言う魔王の声がワントーン低くなる。
「勘違いか。勘違い、とは言えないようにしてやろうか」
髪から指を離した魔王は、理子の右手の指に自身の指を絡める。
「魔王様?」
急に艶っぽい瞳で見下ろされ、湧き出てくる魔王の色香に背中がぞくりと粟立つ。
本能が危険信号を点滅させているのに、腰に回された腕には力がこもり逃げられない。
「えっ? 手を出さないって、私、死んじゃうって」
急に近くなった魔王の距離と、頬に感じる彼の吐息に理子は戦慄する。
「共に過ごすうちに、我の魔力が体に馴染んできた筈だ」
ちゅっ
一瞬だけ重なった唇は、リップ音を立てて離れていく。
目を瞑る間もなく降ってきた口付けに、理子は固まってしまった。
「もう少し深く、試してみようか」
耳に唇をつけて流し込まれた声に、感じ取った体温に、脳が沸騰する。
どうしようもないくらい真っ赤に染まった理子は、言葉を忘れて呻き声を漏らした。
魔王は理子の肩口に顔を埋めて肩を震わす。
「くくくっ、冗談だ。今はまだ、逃してやる」
「くぅ~! 魔王様の馬鹿っ!」
遊ばれたのだと分かって、不敬でも何でも殴ってやるっと振りかぶった拳は、大きな手のひらに包まれた。
「リコ」
再びへの字に結んだ唇に柔らかな感触が触れる。
「眠い。寝るぞ」
脱力した理子を縦抱きにして立ち上がった魔王は、彼女の返事を待たずに歩き出す。
途中で縦抱きから横抱きへと変更された理子は、あっさりとベッドへと連行されるのであった。
(もう、三連休でのんびり買い物へ出掛けようかと思っていたのに、全く休めて無いじゃないの)
異世界、それもラスボスの魔王に甘やかされるという、貴重な体験は出来たが心身共に疲れた。
自分でも砂を吐きそうなくらいの、甘い砂糖菓子の様な展開は何なのだろうか。
二人の関係について、周りの人達に勘違いされているとか色々話し合いたかったのに。
こうして、山田理子の連休は終わったのだった。
やたらイチャイチャしている話になりました。
安息香は疲れてストレスが溜まった魔王様のためです。
ヒロインの抱き枕リラックス効果を高めた訳ですね。




