12.薔薇の誘惑
寵姫。
魔族の方々から自分はそういった扱いだとされているのか。
そんな馬鹿なことがあるかと、理子は頭を抱えていた。
(寵姫って、権力者の妾とかお気に入りって意味だよね。寵愛かぁ)
恋人でも夫婦でも無い男女が、添い寝する関係ってのがおかしいとは思っていた。
(魔王様が部屋へ戻って来たら、私達の関係は勘違いされる上にやっぱりおかしいと伝えてみよう)
もしや、体の関係は無くとも抱き枕の扱いでも魔族にしたら寵愛になるのかもしれない。
美貌の魔王様の寵愛を受けるとか、乙女的には美味しい展開だろうけれど彼は人じゃないし、魔族の王様だし平穏で平凡な生活に憧れている私には魔王様との生活は想像つかない。
特に取り柄もない平凡な人間の自分が年を取って寿命を終えるのと、魔王に飽きられて捨てられるのは何方が先だろうか。
ほどほどに働いて貯金を貯めて、恋愛かお見合い結婚して平均的な家庭を築くという、ささやかな将来を夢見ていたのに。
深くて甘い、エレガントな薔薇の香りが辺り一面に充満し、ささくれ立っていた理子の心が癒されていく。
テレビでしか見たことがない、ヨーロッパの古城の庭園を彷彿させる見事な薔薇園。
しかも咲いているのは青い薔薇だけで、理子は感嘆の息を吐いた。
「寵姫様、此方、先代王妃様が造られた薔薇園でございます」
「魔王様からの了承は頂いておりますので、ご自由に散策をお楽しみくださいませ」
気落ちしていた理子を気遣い、メイド達は薔薇園へと案内してくれた。
寵姫様、ではなく名前で呼んで欲しいと頼んでも「魔王様のお許しを頂かなければお呼びできません」と、彼女達に断られてしまい、理子の気分はさらに落ち込む。
この世界の季節は理子にとっての現実世界と同じく初夏、彼方は蒸し暑くて昼下がりに外へ出たいとは思えないが、此処は照りつける日差しも無くとても過ごしやすい。
メイド達の話によると、城周辺の気候は魔王の魔力で春先の気候に保たれているらしい。
気候すら操るとは、魔王様は万能だ。
完璧な魔王、完璧な薔薇達、少しでも綻びを見つけたくなった理子は薔薇にひっつく虫を見付けようと屈んで薔薇の根元を覗き込む。
少し離れた場所から見守っていた、メイド達が後方へ下がっていった。
「お前は……何をしているのだ」
屈んで土を弄っている理子の上から、呆れた魔王の声が降ってくる。
「蟻かミミズでもいないかな~って探していたんですよ。私の知ってる蟻やミミズと違ってたらお土産になるし面白いかなって思って。新種発見みたいな?」
変な姿を見られた焦りから、咄嗟に自分でも意味不明な事が口をついて出た。
蟻やミミズをお土産にするわけないでしょう。何なんだ新種発見って。
「また、訳の分からぬ事を……」
呆れ果てた表情の魔王にジロリと見られ、理子は羞恥で顔を真っ赤に染めた。
「おっ、お仕事は終わったんですか?」
何とか話題を変えようと、理子は熱を持つ両頬を手で扇ぎながら問う。
「ああ、責務は果たした……リコ」
魔王が右手を差し出す。
彼の意図が分かった理子は、指先についた土を慌てて払う。
差し出された右手に左手をそっと重ねれば、大きな手のひらが理子の手を包んだ。
魔王に手を引かれて薔薇園を歩く。
気が付けばメイド達は姿を消していて、此処には理子と魔王しかいない。
(デートみたいだ)
意識すれば、手を繋いでいるのは恥ずかしいし胸の奥がむず痒くなる。
甘酸っぱい気分と共に抱いたのは、戸惑いと僅かな切なさだった。
先程までは、二人の関係を見直そうと話すつもりだったのに、当たり前のように差し出された手を取ってしまった自分はいったいどうしたいのか。
隣を歩いている青い薔薇を背にした銀髪赤目の魔王は、この薔薇園の中で異なる色彩、異質な存在に見えて理子は切ない気分になる。
「綺麗なお庭ですね。私、青い薔薇って初めて見たかも」
魔王は歩みを止めて、初めて薔薇に視線を向ける。
「この庭園の薔薇は魔力を糧に咲いている。魔力を与えた者によって咲く花の色は変化するのだ」
理子の手を握る右手はそのままに、魔王は左手で薔薇の花を包むように触れた。
触れた瞬間、青い薔薇の花弁は鮮やかな深紅へと変化する。
「この様にな」
魔王の瞳と同じ色に染まった深紅の薔薇を手折り、彼は理子の左耳の上へと挿した。
「リコの国には青い薔薇は無いのか?」
青い薔薇の中に異質な深紅。
深紅の薔薇を髪に挿した理子も異質な存在となり、魔王は満足そうに笑う。
その笑みに、心臓がドキリッと跳ねた。
「私の国は魔力の概念は無いから、自然に咲く青い薔薇は無いかな。少なくとも私の知る範囲では。最近になって、科学の力で遺伝子、他の青い花と交配させてやっと造られたみたいだけど……こんなに鮮やかな青色は初めてで、薔薇だと思うと不思議な感じがしますね」
以前、立ち寄った花屋で見た青い薔薇は青というより青紫色だった気がする。
「此処は、先代魔王の王妃が造らせた薔薇園だ。王妃の魔力がまだ残っているため青い薔薇が咲く」
メイド達も先代魔王の王妃様が造った薔薇園だと言っていた。
先代魔王は今の魔王の父親だから、王妃は魔王の母親か。
「リコは、花に興味があるのか?」
「興味というか、綺麗だなぁって思って」
「気に入ったのなら、お前の好む様に造り替えさせよう」
「へっ? 作り替える?」
さらっと吃驚する事を言われて、理子は薔薇園と魔王を交互に見てしまった。
花壇の花を入れ換えるのとは違い、作り替えるにはスケールが大きすぎる。
“王妃の薔薇園”を作り替えるだなんて、畏れ多い、否、これ以上の特別待遇は非常に不味いんじゃないか。
「いやいや、王妃様、魔王様のお母さんのための場所なんだからそのままにした方がいいんじゃないかな」
やんわりとお断りしようとして、理子は気付いてしまった。
魔王の赤い瞳に暗い色が混じっていたのを。
「あの女が母親だと?」
底冷えする程冷たい、刃物が放つような鋭い光が魔王の瞳に宿る。
理子から目を逸らした魔王は、無言のまま歩き出した。
(お母さんの話は地雷だったのかな? まさかのマザコン?)
刃物みたいな冷たい光を宿した瞳が恐くて、何も言えずに理子は手を引かれたまま歩く。
薔薇園の奥に設置された日本風なら東屋、洋風に言うならガゼボに着くと、魔王は足を止めて理子の手を離した。
ガゼボには寝転がれそうな、しっかりとした造りの長いベンチが置かれていた。
ベンチにはふかふかな真新しいクッションが並ぶ。
偶然ではなく、メイド達が先回りして用意したのだろう。
「リコ、其処に」
魔王に言われた通り理子はベンチの端に座る。
ふかふかのクッションを背もたれとの間に挟めば座りやすく、素晴らしい配慮をありがとうと、メイド達に礼を伝えたくなった。
「えっ? ちょっと、魔王様!?」
魔王が隣に座り、突然の事に理子は焦る。
隣に座った魔王は焦る理子の膝に頭を乗せ、ベンチに横になったのだ。
「膝を貸せ」
短く命じて、仰向けに寝転んだ魔王は目蓋を閉じる。
膝枕よりもクッションを枕にして寝た方が首が楽だと思うのだが。
「……魔王様、疲れているの?」
昼寝をしたいのならば寝室に戻ればいいのに、ガゼボで小休止したくなるくらい執務で疲れたのか。
「昨夜は、寝付きが……悪かった」
目蓋を閉じたまま答える、魔王の声色は半ば微睡みに入っていて。
理子は初めて見る寝顔を見下ろして、ぎゅっと自分の胸元を押さえた。
(まさか、昨夜は私がいなかったせいで、あまり寝られなかったとか?)
膝を枕にして眠っている、魔王の髪にそっと触れてみれば、見た目通りのサラサラで柔らかな髪の感触がした。
意外と幼く見える寝顔に、胸の奥がざわざわと落ち着かない。
(どうしよう)
綺麗で恐いけど、かわいらしい。
髪以外の箇所にも触れたくなる。
どうやら完全に自分は、甘い薔薇の香りに酔ってしまったらしい。
綺麗でかわいらしい彼の、頬に、薄い唇に、首筋に、吸い付きたくなるなんて。
本当に、どうかしている。
『外堀を埋められて気付いた時には逃げられなくなるよ』
脳裏に甦るのは、亜子が話していた“ヤンデレ”のこと。
(どうしよう、どうしよう、私……)
今の状態は、既に逃げられる状態ではないのかも。
魔王に枕扱いされて、抱く感情が文句では無く、彼に必要とされて彼の傍に在る理由が出来て少し嬉しいと思ってしまった。
悶々と続く理子の自問自答は、魔王が目を覚ますまでの間続いた。
まだ少し続きます。
ヒロインがハマりかけてます。
魔王様の魔力を受けると深紅になる薔薇は、青い薔薇との対比です。