10.陽光の下での君は
前半は魔王様視点、後半はヒロイン視点です
重厚な扉の奥、天井まである本棚が四方を固める執務室では張り詰めた緊張感が漂っていた。
執務机に承認待ちの書類が積み重なり、険しい顔で書類にサインをする主の気を乱さないように、側近達はなるべく気配を薄くし、本棚と同化しようと努める。
彼等の主は、魔国の王である魔王。
魔王は眉間に皺を寄せ、不機嫌なオーラ全開で赤い瞳にかかる銀髪を払う。
今朝早くから執務室の主、魔王の機嫌はすこぶる悪く、魔王の強大な魔力に慣れている筈の側仕えの者達でさえ近寄りがたい程、彼が纏う雰囲気は刺々しいものだった。
力の弱い者は魔力に当てられて気絶するために、殆どの者は不機嫌な魔王に近寄れない。
執務室へ書類を運ぶ役目を担った者は、生け贄になった気分で壁を背に控えていた。
かたんっ
書類に視線を落としていた魔王が、椅子から立ち上がる。
魔王の側で補佐をしていた貴族風の魔族の男性は、怪訝そうに顔を上げた。
「魔王様、どちらへ? あと小一時間程で、アネイルからの大使がお見えですよ。いくら面倒でも不機嫌でも、貴方は魔王なんですから仕事はしてください」
魔族の男性は、胸元から取り出した懐中時計を見て時刻を確認する。
「アネイルの大使ごとき、貴様が相手をすればよかろう」
大陸でも屈指の大国の大使を一言で切り捨て、魔王は側近の男性に背を向けた。
「ですが、アネイル国王の名代で謁見を願い出た大使を、ちょっと!? 魔王様!」
食い下がる男性を煩わしいとばかりに、魔王は転移陣を展開して瞬時に消えた。
「くそ魔王がっ」
強大な魔力を持つ魔王は“ごとき”と称したが、軍事力のある大国の大使だ。無下には出来ない。
面倒な役目を押し付けやがって、と男性は悪態をついて、勝手な主が消えた空間を睨み付けた。
執務室から転移した先の回廊から、庭園へ向かっていた魔王は歩みを止める。
「何の用だ」
回廊の柱の影から姿を現した二人のメイドは、魔王の数歩前まで進むと深々と頭を垂れた。
「魔王様の気配を感じましたので」
「ご無礼をお許しくださいませ」
魔王の前へ現れたのは、あの夜、理子に湯浴みをさせるよう命じたメイドだった。
側近からも優秀だと評価が高い者達が、無礼を承知で自分の前へ姿を現した理由は何か。
言い淀む台詞の続きを促す視線を向ければ、恐る恐るメイド達は顔を上げた。
「魔王様、あの方は……」
「あの方は、もういらっしゃらないのですか?」
あの方とは理子の事かと、魔王は無言のままメイド達を見下ろす。
気分を害したと思ったのか、メイド達は青白い顔色を紙のように白く変えた。
「お、お召し物を、洗濯しましたのでお返ししたいのです」
声を震わせるメイドからは他意は感じられず、魔王は「そうか」と呟いた。
湯浴みの後、男に触れられた服から着替えさせたのだった。それを処分せずに洗濯をしており、理子の訪れを我に尋ねに来るとは、よく躾されているメイドとは思えない行動だ。
「あの娘が気になるのか?」
王宮のメイドは、職務中は感情を表さないように躾られている。
その王宮のメイドが理子を気にする理由に興味が湧き、問えばメイド達はほんのりと頬を染めて目を伏せた。
「あの方は、私達にお礼を」
「“ありがとう”と言ってくださいました」
湯浴みを終えた後やマッサージを終えた後、その都度理子は二人に感謝の意を伝えていた。
魔貴族内では、力の強い者、権力者など高位の者達が使用人へ謝辞を述べるなどほぼ無い。
理子がはにかみ伝えた「ありがとう」は、感情を抑えるように躾られてきた二人の心を揺らす程、衝撃的な出来事だったのだ。
「そうか」
魔王はフッと笑ってしまった。
まさか、理子の振る舞いを思い起こすだけで、昨夜から続いていた苛立ちが凪いでいくとは。
「「魔王様?」」
「娘には伝えておこう」
メイド達へ短く告げると、魔王は転移陣を発動させ回廊から姿を消した。
***
誰かが眠る自分の髪を撫でる。
優しい手つきに、理子は髪を撫でる大きな手に触れた。
低めの体温、少し筋ばった長い指。
いつの間にか、この手に触れられると安堵するようになっていた。
「……?」
違和感を覚えて、理子の意識は浮上していく。
目蓋を開けば、寝入る前に見ていた小花柄のベッドシーツとは異なる、滑らかな肌触りの白いシーツが広がっていた。
此処は魔王の寝室? いつの間に召喚されたのか。
顔を動かして、召喚者を探していた理子はたっぷり数十秒は固まってしまった。
召喚者の魔王は、すぐ傍に、ベッドの端へ腰掛けて理子を見下ろしていたのだ。
「魔王、様?」
何時もと違う彼の雰囲気に戸惑い、目を見開いて見とれてしまった。
(綺麗。別人みたいだ)
テラスへ繋がる大きな窓から射し込む陽光の下の彼は、相変わらず羨ましくなるくらいの美貌で。夜間、ほの暗い室内での幻想的な美しさとは異なる、生命力に満ちた美しさだった。
夜間は燐光を放つ銀髪は、陽の光によってキラキラと煌めいていて、眩しさで理子は目を細める。
着ている服も、首回りがゆったりした寝間着とは違う、詰襟の黒地に金の紋様が入った軍服のせいか夜間の魔王より男性的に見える。
なるべく彼を意識しないように、理子は下を向いて上半身を起こした。
「どうして?」
今は昼間。この時間帯に此方へ喚ばれたのは初めてで、改めて豪華で中世の王様の部屋といった魔王の寝室を見渡してしまった。
こんな豪華な部屋で魔王と一緒に寝ていたとは、慣れとは恐ろしい。
手元にスマートフォンがあれば写真に残したいくらいだった。
「理子の気配が部屋にあったから、此方へ喚んだ」
ベッドの端に腰掛けていた魔王は立ち上がり、じっと理子を見下ろす。
昨夜、不在だった事を責められているように感じて、理子は目を逸らした。
「昨夜は、その、姉が来ていたから外へ出ていたの。だから、」
「珍しい格好だな」
しどろもどろになって不在の理由を話す理子に、魔王は柔らかな笑みを向けた。
「今日は、休みの日だから、わ、私だってたまには、お洒落もするよ?」
向けられたやわらかな笑顔に、理子の心臓が跳ねる。動揺して若干上擦った声が出てしまった。
今の理子の服装は、可愛いパフスリーブのカットソーに姉の亜子と一緒に買い物へ行き、勧められるまま買ったAラインのチュールスカートを穿いて、たかくんを待っている間の暇潰しと称して亜子から念入りなメイクを施されていた。
お風呂上がりの素っぴんか、仕事後の草臥れた姿しか見ていない魔王には、珍しい姿に見えるのだろう。
珍しいじゃなくて、少しは何時もより可愛いとか綺麗だと言って貰いたいと拗ねた気持ちを抱いてしまい、理子はハッと我にかえった。
(私、魔王に何を望んでいるの。彼は私を女としては見ていないのに)
「魔王様だって、寝間着以外は初めて見たよ?」
軍服フェチでは無いが、かっちり黒い服を着こなしている魔王は文句なしに格好いい。
RPGのラスボスがこんなに格好良くて色気もあるお兄さんだったら、魔王がこんなに綺麗だったら理子は倒せないと思う。
魔王様じゃなくて、マントを羽織って腰に剣を挿したら騎士様にも
王子様にも見える。
『体の相性、試してみなよ』
不意に、亜子の言葉が脳裏に蘇ってきて一気に顔に熱が集中した。
(ぎゃー!! 亜子お姉ちゃんの馬鹿!!)
「どうした?」
「な、何でも無いっ」
真っ赤に染まった顔を見られないように、理子は気持ちが落ち着くまで俯き、垂れてくる髪で隠した。
夜と昼では、人の印象って変わりますよね。
ちなみに、魔王様の髪の長さは長髪ではなく、サイドは耳が隠れるくらいで襟足長めのイメージです。
ヒロインは肩より少し長めくらい。