*魔王はほくそ笑む
魔王様視点です。
その女は、言動全てが魔王の想像の斜め上をいってくれる。
「私はモノじゃない」
今にも泣き出しそうな表情をした理子は、魔王の指を払い除ける。
「私は人でモノじゃない。魔王様が私の交友関係に口出す権利は無いし、今日は職場の人達とご飯を食べに行っただけなのに何なんですか!」
「……我は異界に住まうリコの生活を縛る気は、今は無い。だが、色欲を持つ男がリコに触れるのは気に食わん。次、残り香を移されて我の傍へ来たらお前と言えども赦せぬ」
指を払い除け怒りの感情をぶつけてくるくせに、何故、泣き出しそうな表情になっているのか。
泣かせるつもりも無く、理子を傷付けた理由が解らずに、魔王はじっと彼女を見下ろした。
「お、男の人に触れられちゃ駄目だなんて、無理でしょ。もし私に恋人が出来たら魔王様に消されちゃうの?」
「恋人、だと?」
思ってもみなかった言葉に、魔王の体の内側から冷たくどす黒い感情吹き出し広がっていく。
恋人と成りうるのは、理子の体に色欲の念を残した男か。
「う、私だって、今、気になる人くらいいるし、いつかは恋人ができて結婚して子どもを生みたいもの。育児と仕事を両立して暮らすのが夢だもの」
“人”らしい夢。だがそれは魔王にとって戯言にしか聞こえない。
(我を怒らせたいのなら、叶えてやろうか)
人の身には耐え難いだろうと、魔王なりに理子を気遣い抑えていた魔力を解き放つ。
「つっ、魔王様」
魔力を感じ取った理子は、恐怖に顔を歪めて一歩後退った。
「お前に手を出す男がいたら……男は即殺してやる。お前は逃げられぬよう、鎖で繋いで檻にでも入れてやろうか」
他の男に微笑みかけ、触れさせるなどと、赦さない。
今更、傍から離れるなどと赦せない。
傍に置いても魅了に屈しない、貴重で面白く気を許せる女を逃しはしない。
言の葉に乗せると、形を成して湧き上がってくる己の感情の名が理解出来る。
以前は下らぬと、一笑に伏していた感情だった。
理子を雁字搦めに縛りつけて支配したい。
ドロドロに甘やかして、依存させて、離れられないように溺れさせ、堕落させてしまいたい、欲望。
逃げるのなら閉じ込めてやろうか、鎖で繋いでおくのもいい。
手枷を着け、鎖で繋いで、美しく着飾らせて、ドレスを淫らに乱す理子を想像するだけで……愉しくてたまらない。
怒りで煌めく黒曜石の瞳は、その身を蹂躙され淫楽に堕とされたら、どんな色に染まるのか。
久方ぶりに高揚している己を自覚して、魔王は嗤った。
「う~魔王様の鬼畜! 変態! 縛らないって言ったのに思いっきり縛っているでしょっ! 魔王様なんか嫌い!」
バリンッ!
理子の叫びと共に、青白い光を灯していた燭台が弾け飛ぶ。
変容させるためにと、魔王が与えた魔力が溢れ出す。
気が逸れていたせいで、溢れた魔力を抑えるのが一瞬遅くなった。
魔力によって結界が揺らぎ室内の空気が渦を巻きだすが、タガが外れてしまった理子の感情の波は止まらない。
「男の人の残り香が嫌なら私を喚ばなきゃよかったのにっ! 私を抱き枕なんかしなきゃいいのに! なんでっなんでっ!」
言い終わらないうちに、理子は胸を押さえて前屈みになる。
「な、に、これ……」
「我とリコの感情の高ぶりに反応したか」
室内に散る魔力の破片を霧散させ、足元がふらつく理子の肩を抱いた。
感情が鎮まれば、燐光のように散る魔力は理子の体へと吸い込まれていく。
元は魔王の魔力だったものは、理子の生命力と結び付いて彼女のものと化していた。
思った以上の早さで魔力が理子の体に馴染んでいる。
予想以上の出来に、知らず魔王の唇は笑みを形取っていた。
「……抑え込む。ゆっくり息をしろ」
意識が朦朧とし、呻く理子の荒い呼吸を繰り返す胸の上に手を当てた。
胸に当てた手のひらから理子の体へ魔力を流し込む。
「所有物扱いが嫌ならば、お前はどんな扱いなら納得するのだ」
賓客、いや妃の扱いをすれば満足するのか?
否、この女はそんなモノは望まない。
他の女と同じく、簡単に妃の位を求めてきたらつまらないだけだ。
「わた、しは、人だよ?」
ベッドに横たえた理子の口から、掠れた声が応える。
「魔王様のモノじゃなくて、友人とか、モノ以外の、一個人の扱いをして?」
振り返れば、上目遣いで見上げてくる黒曜石の瞳とぶつかる。
(友人? 一個人? 何の事を言っている?)
何故、この女は他の女のように縋り付いてこない。ただ一言「寵が欲しい」と言えば良いものを。
「わたし、魔王様にいっぱい助けてもらったから、魔王様が大変な時は助けたいし、寂しい時は傍に居る。貴方に大事な相手が出来るまでだけど、ずっと一緒に寝られる人が出来た時は、ちゃんとお祝いもしたいよ」
一体、この女は何を言い出すのかと眉を寄せれば、ポロリと理子の瞳から涙が零れ落ちた。
空間を隔てた先で、泣いている理子が哀れで此方へと喚んだのに、今度は魔王が泣かすとは。
女の涙など鬱陶しいものだと魔王は思っていた。
我の周りで女が泣くのは、自らの命乞いや我の感心を引くための手段。女が自分を装飾するために泣く、愚かな行為だと見下していた。
訳のわからない事を言い出す、此奴もまた面倒な女。だが、黒曜石を潤ます涙が美しいものだと初めて思ったのも事実。
「嫌いって言って、ごめんなさい」
魔王は、驚愕のあまり目を見開いた。
呆れるほど無欲で馬鹿な女。
この一言で、完全に毒気を抜かれてしまい、魔王は深い息を吐いた。
「リコ、お前は本当に、想定外な女だな」
想定外な事を言い出す、馬鹿が付く程素直な女。
何てことだと、思わず片手で顔を覆う。
不思議そうに見上げる理子の顔を覗き込み、額へ口付けた。
何をされたのか理解出来ていない理子は、ポカンと口を開けたまま固まる。
固まる理子の目元に残った涙が勿体無く思えて、魔王はは指を伸ばして指先で拭い取った。ふと興味から、指先に乗せた涙の滴を舐める。
舌先に、僅かに甘い、甘い味がひろがっていく。
「塩味があると聞いていたが、案外、甘いものだな」
なにをされたのか、ようやく理解した理子の頬が羞恥で真っ赤に染まった。
***
規則正しい寝息が聞こえ、背中を向ける理子が寝入ったのが分かり、魔王は体を起こした。
理子の肩を引き寄せ仰向けにする。
魔力を暴走させた疲労から、深い眠りへ落ちている理子の閉じられた目元にはうっすら涙のあとがあった。
甘い、甘い涙の味。
涙だけであの甘さならば、理子の血肉はもっと美味なのだろう。
身体中に口付けを落とし、舌を這わせて、泣いて許しを請うまで抱き続け、快楽で狂わしてやりたい。
他の男へ目を向けぬように。
傍から離れられないように。
しかし、今はまだ手を出すことは出来ない。魔王が理子を抱けば、魔力に耐えきれず死ぬ。
「いっそのこと、引き裂いて喰ってしまおうか」
快楽に染まった中で喰うのは美味であろうが、喰らえば理子は死ぬ。
喰うことも抱く事も出来ない女。
首筋から臍下へ、ネグリジェ越しに手のひらを滑らせば理子は擽ったいのか身を捩らせた。
臍下に手を置き、術式を組み立てる。手のひらの下、ネグリジェをすり抜けた先、理子の肌へ青白い魔方陣を展開させた。
「手を出せぬのに、我以外の男がお前に触れるのは……赦せぬ」
クツリと込み上げてくる笑いを抑え、魔王は魔方陣を理子の胎内へと侵入させる。
「んっ」
毎夜与えている魔力と異なる性質の魔力に、理子の眉間に皺が寄った。
胎内へ仕込んだのは、理子の中へ自分以外の者が入れば発動する呪い。魔王以外の者が理子を抱けば、即発動し絶命するように。
魔力の馴染み具合から、理子の細胞全てが変容し完成するのは、もうそう遠くない時期。
だからこそ、他の男に手を出されるのは赦せなかった。
「完全に、我の魔力が馴染み、身体中全ての変容が終ったその時は……楽しみだな、理子」
(さあ、どうしてくれようか)
喉を鳴らした魔王は、何も知らずに眠る理子の頬から首筋、胸元へ触れるだけの口付けを落とした。
魔王様、色々拗らせてます。
ヒロイン逃げてー!と叫びたい。