09.眠れぬ夜は誰のせい
お姉ちゃんとの話②
両手で顔を覆い泣いていた亜子が、がばっと顔を上げ、心の声が聞こえてしまったかと、理子は身構えた。
「理子ちゃんっ」
顔を上げた亜子は、アイメイクが崩れてパンダ状態になっている目元がホラーで、理子は上半身を若干引いた。
「理子ちゃんはどうなの? 彼氏は? 仲良い男友達はいないの?」
いない、と言いかけてふと考える。
姉の亜子は、股がけ交際をしても平気な思考をしているが、その分男関係の経験は豊富だ。男関係以外の考えはいたって普通のはず。
「気になる人は、いる、のかなぁ?」
「マジ!? どんな人? イケメン!?」
社会人になってから浮いた話が一つも無かった理子の返事に、亜子は瞳を輝かせた。
「会社の先輩と最近仲良くなってね。優しいし、爽やかだしいいなって勝手に思っているだけ」
「気になるなら告白して付き合っちゃえばいいじゃん。告白無理なら、飲みに行ってガンガン飲ませて酔わせてホテルへ連れ込むとかさ。写真撮っておけば証拠になるよ~」
ニヤリッと口角を上げた亜子は、真っ黒の目元も相まって悪女に見えた。
やったことがあるのか、と理子は口元がひくつくのを感じた。
「亜子お姉ちゃんに相談した私が馬鹿だったわ」
実の姉がそんな手段で男を落としていたとは、ドン引きどころではない。餌食になった男性が哀れだ。
「もーひどーい! 早くしなきゃ誰かに持ってかれちゃうよ?」
「そんな手段を使うくらいなら振られた方がマシだわ。あ、あとね、実は、気になる人はもう一人いて。そっちの人は私は女として見てないし、恋愛対象とは違う感じだし、その人は見た目観賞用なら最高なんだけど、喧嘩しちゃったし、これからどう接したらいいか困ってる」
魔王の事は何て説明したらいいか分からなくて、しどろもどろになってしまった。
異世界の人外魔王様と言ったら、頭がおかしくなったと思うだろう。
姉の助言はあてにならないと分かった。ただ、誰かに彼の事を聞いてもらいたかったのだ。
「何それ? 二人の男の間で理子ちゃんは揺れてるってこと? だからか。だから理子ちゃん綺麗になっているのか。それは恋だね」
現実主義で頭が固い理子の珍しい発言に、亜子はパンダになっている目を丸くした後、腕組みをしてぶつぶつ呟き出した。
「会社の人と付き合う方が、将来的に楽でいいと思うけど、もう一人に女扱いされなくてショックだったんなら、その人が好きなんじゃないの? 会社の人と付き合ってみる前に、両方と相性を試してみたら?」
「相性?」
何の相性かと理子は首を傾げる。
「そ、体の相性! これは重要よ。たかくんとは体の相性がイマイチだから困ってるの」
「か、からだっ!? 亜子お姉ちゃんと一緒にしないでよ」
亜子の発言に、理子の頬は真っ赤に染まった。
付き合う前に体の関係は持ちたくない。何故ならば、気持ちの確認より先に体の関係を持ってしまったら、相手に情が湧いてしまうから。
好きで無くとも情が湧いたら、好きだと勘違いしてしまうから。体の関係になるのは、相手と気持ちを確認してからだと思っていた。それなのに。
(どうしよう。想像しちゃった)
自分に覆い被さる、綺麗で残酷な魔王様の姿を。
「相変わらず固いなぁ。で、気になっている人達はイケメン? 写真は無いの?」
「ええっと、爽やか好青年と凄い美形だけど……凄い美形の方は、下手したら縛られて監禁されそうな。って、紹介しないからね」
本性は兎も角、黙っていたら可愛らしい姉を紹介したくもない。
イケメン好きな亜子は、爽やかな山本さんより魔王に飛び付いていくだろう。魔王が嫌いそうなタイプの亜子が、彼に言い寄って引き裂かれる姿が目に浮かぶ。
「ヤンデレ属性か! ヤンデレはな~そっちの趣味は無いからな、爽やか好青年がいいや」
「だから、紹介しないよ! 亜子お姉ちゃんが身辺整理をしてくれなきゃ無理だって」
このどうしようもない姉は、早く実家に帰って欲しい。明日には帰らせようと誓ったのだった。
***
姉との不毛な会話を繰り広げたせいで終電を逃した理子は、タクシーを利用するというお財布に優しくない方法で帰宅した。
帰宅後も姉の愚痴を聞かされた理子は、朝方近くになってから漸く愚痴から解放されて、眠りに就くことが出来た。
「うえ~ん、たかくん寂しかったよぉ! だから誤解だって言ったじゃない」
甲高い話す声とぐずぐず鼻を啜る音が近くで聞こえ、理子はベッドの上でタオルケットを頭から被ろうと身動いだ。
眠りの中にいたいのに、誰かが理子の体を揺さぶる。
苛立ちつつ目蓋を開けば、素っぴん眼鏡の姉、亜子が泣きべそでしがみついてきた。
「仲直りできたよー理子ちゃんのおかげだわ。ありがとう~! たかくん迎えに来てくれるって」
えーん、と泣き出した亜子を、理子は冷たい目で見てしまった。
「そう、良かったね」
全くもって今回の家出は茶番だった訳か。
そんなことはどうでもいいから、ゆっくり寝かして欲しい。
二度寝をしようと、目蓋を閉じた理子の肩を亜子は二度揺する。
「理子ちゃんっ! 私も解決出来たし、悩んでいるならさっさと行動しなさいよ! 動くのが遅いと誰かに持ってかれちゃうし、ヤンデレ属性の場合は、外堀を埋められて縛り付けられて、ヤバイと気付いても逃げられなくなるかもよ?」
「ヤンデレ?」
何だそれは? 経験豊富な姉が嫌がるような嗜好の持ち主のことか。外堀を埋められるのも、縛り付けられるのは嫌だ。
「私は理子ちゃんが泣くのは嫌だからね」
渋々ベッドから起き上がった理子を、亜子はぎゅうっと抱き締めた。
その後、たかくんに迎えにきてもらい上機嫌で亜子は実家へと帰って行った。
たかくんは「ご迷惑をおかけしました」と、菓子折を持参してくれ、恋愛が絡むとネジがぶっ飛ぶ姉よりはマトモな人だと感じた。
自由奔放な姉が落ち着くため、父親の心の平穏のためにも、今後二人が上手くいってくれる事を後ろ姿に祈った。
「疲れた……毎回毎回、嵐みたいな姉だ」
敷きっぱなしの布団や亜子が散らかした雑誌を、理子は文句を言いながら片付ける。
雑誌を本棚へ並べながら、ふとタンスの後ろの壁に残る防音シートの貼りあとが視界に入った。
(魔王様、昨日はどうしたんだろう)
昨夜は、ダイニングバーで亜子の愚痴を聞いていて、部屋には居なかったから召喚されなかったのか。
もしや、喧嘩をふっかけた理子に愛想を尽かしたのか。それとも、次会ったときは不機嫌な顔をされるのか。
「体の相性! 二人と試してみたら?」
亜子の言葉が脳裏によみがえって、理子の頬に熱が集中する。
そんなことは試せる訳がない。山本さんに迫るのも無理だし、魔王と関係を持ったら死ぬ。
チェストの上に置いてある、洗い方が分からなくてクリーニングに出そうと畳んであったネグリジェを手に取り抱き締める。
ネグリジェからは、ふんわりと仄かに残った薔薇の香りがした。
「……寝よう」
昨夜は、ほとんど寝ていないから人肌恋しいと思ってしまうくらい、思考が変になっているんだ。
少しだけ寝ようかと、理子はネグリジェを抱きしめたままベッドへ横になった。
完全に、意識が夢の世界へと行った理子の周りが朱金の光に包まれていく。
魔方陣が展開されるのを、眠る理子は全く気付かずにいた。
タイトル→眠れないのはお姉ちゃんのせい。
次回は魔王様視点となります。




