06.抱き枕は洗われる
魔方陣に吸い込まれた理子はトンネルを真っ逆さまに落下していく。
空気が変わったのが肌に伝わり、瞑っていた目蓋を開くと視界に飛び込んできたのは、毛足の長い絨毯だった。
(うわぁ顔面ダイブ!!)
激突の衝撃に身構えた理子の体を、伸びてきた腕が抱き止める。
がくんっ
体が前のめりにとなり、足先が床に着かずに浮いた状態で止まる。
ふんわりと香る花の香りが鼻腔を擽り、理子は胸に回された腕に触れた。
「魔王、さま?」
何時も違う召喚着地地点に、どうしたのかと召喚主の美貌の魔王を見上げれば、彼は眉間に皺を寄せた渋い表情をしていた。
胸に回された腕が外され、ゆっくりと床に足が着く。
「匂うな」
「匂う?」
何時もと違ってお風呂に入って無いし、走って帰って来たから汗臭いのか。
コッソリと、自分の臭いを嗅いで確認していた理子の手首を魔王は掴む。
「色欲を持った者の残り香だな」
「色欲? 何ですかそれは?」
聞きなれない言葉に、何の事か分からず理子は首を傾げる。
理子の髪を一房手に取った魔王の瞳が鋭く細められた。
「誰だ? お前に触れた男は」
赤い瞳に冷たい光が宿り、何時もより低くなる声に、理子は上げそうになった悲鳴を喉の奥へと押し込める。
「誰って、会社の人とご飯を食べに行っただけだけど……」
恐い。
すっかり慣れてしまっていたけれど、彼は魔王様だった。
彼から放たれる強烈な圧力にすくみ上がった理子は、背筋が寒くなり体が動かなくなった。
「特に疚しいことは何も無いし、私の付き合いに魔王様が怒る理由はないのでは、ひっ」
勇気を振り絞って言った台詞は、刃の様に鋭い眼差しで睨まれてしまい最後まで言えなかった。
コンコンコン
室外から叩かれたノックの音に、理子は飛び上がりそうになった。
扉へ魔王が視線を移しため、彼から発せられる圧力が少しだけ和らいで浅い呼吸を繰り返す。
「入れ」
扉の向こうにいる者へ、高慢な口調で魔王は短く命ずる。
「「失礼いたします」」
足音もなく室内へ入って来たのは、二人の女性。
焦げ茶色の髪を結い上げてホワイトブリムを装着用し、エプロンドレスを着た所謂メイドだった。
二人とも顔色は青白く、耳は尖っているから魔族とかいう方々なのだろう。整った綺麗な顔立ちなのに、作り物めいて見えるのは彼女達が無表情だからか。
二人のメイドさんは魔王の前へ歩み寄ると、深々と頭を下げた。
「湯浴みを」
間近く告げて、魔王は理子の肩をトンッと軽く押す。
軽い力で押されたはずなのに、理子の体はメイド達の元へ真っ直ぐに跳ばされてしまった。
「「かしこまりました」」
頭を垂れるメイド達によって、理子は両腕を抱え込まれて捕らえられる。
華奢な腕から考えられないくらいの強い力で、彼女達は理子の腕を抱える。
「えっ? な、何?」
両脇を抱えられて、またしても理子の両足は宙に浮く。
足をばたつかせても、両脇を抱えるメイドの腕は全く緩まず、彼女達は何も答えてくれない。
引っ立てられるように、理子は隣室へと連れていかれるのであった。
隣室への扉を開けると、其処は広々とした浴室だった。
浴室といっても、理子の一人暮らしの部屋の浴室とは違い、広い部屋にバスタブと寝台が置かれている部屋。バスタブは女子の憧れ、猫足のバスタブで理子のテンションは少しだけ上がった。
抱えていた腕を離したメイドの一人が、いつの間にか出した藤の籠から赤、ピンクの花弁を一掴み出して浴槽へ放る。
「わぁ……」
花弁は湯船に触れた途端、湯に溶けて浴室内は薔薇の香りが立ち込める。
花弁は入浴剤なのかと、理子は感嘆の声を漏らした。
「えっ、ちょっと!?」
感嘆の声は直ぐに困惑へと変わった。
もう一人のメイドが、有無を言わせずに理子の服を脱がしにかかったからだ。
「じっ自分で脱げます」
ブラウスの釦を外す細い指を押さえても、彼女は理子を無視して淡々と“脱がす”作業を続ける。
ブラウスを脱がされ、もう一人のメイドが理子の体を持ち上げてスカートを脱がし、幼子の様に下着も全て剥ぎ取られてしまった。
一糸纏わぬ姿となり、結っていた髪まで解かれた理子は、メイドに抱えられてバスタブへザブンッと入れられた。
あまりの勢いに、薔薇の香りがするピンク色のぬるま湯に沈められるんじゃないかと、理子は無表情で見下ろす彼女達から逃れるためバスタブの端へ縮こまる。
「きゃあ! 自分で洗えますって」
縮こまる理子の背中をパッツン前髪のメイドがごしごし洗う。
海綿スポンジの様なスポンジを使って、絶妙な力加減で痛くもない。むしろ、気持ちいい。
緊張が解れて、力が抜けた体の前面を前髪を上げて額を出したメイドさんがスポンジで洗う。
体と髪が洗い終わった後は、二人がかりの全身マッサージを施され、短時間で理子の全身は驚く程ピカピカに磨き上げられたのだった。
「うう……色々見られた」
マッサージは気持ち良かったし、血行も良くなってお肌ツルピカで有り難いし嬉しい。
でも、全身くまなく二人に洗われてしまい、下着はピラピラの紐パンツってどうなんだろうか。下着を着けるのでさえ手伝われるのは、この世界の上流階級では当たり前なのか。
庶民の理子には信じられない感覚で、体は癒されたが心は疲労困憊になった。
極め付きは、裾にフリルが付いた白のネグリジェである。
「あの、ヒラヒラの透け透けは、恥ずかしいので……違うのは無いんですか?」
着せられたネグリジェは肌触りから高級品だと分かるが、ネックラインが広くて肩が少し出るのは困るし、腕と太股から下が透けるデザインも困る。
前向きに捉えるならばセクシーなミニ丈じゃない分マシなのか。
「「魔王様がご用意されたお召し物でございます」」
無表情のメイド達の声が重なって答える。
項垂れる理子の手をパッツン前髪のメイドが取り、魔王の寝室へと促す。
「魔王様がお待ちでございます」
「さあ、此方へ」
寝室へ続く扉を開く前、無表情だと思っていたメイドさん達は理子の目を見て微かに微笑んだ。
「リコ」
メイド達を下がらせ、魔王は座っていた椅子から立ち上がった。
透け透けネグリジェが恥ずかしくて、俯いていた理子の湿ったままの髪に触れる。
ふわりっ
あたたかい風が理子を包み込み、湿った髪を乾かしていく。
入浴剤に合わせたのか、乾いてサラサラになった髪からは薔薇の香りが仄かに香る。
「多少は、マシになったな」
視線だけで殺されそうな鋭さは微塵も感じさせない、何時もと変わらない魔王の表情に理子は胸を撫で下ろした。
しかし、汗臭かったとはいえ有無を言わせずに丸洗いとは、せめて還してくれれば自宅で入浴してきたのに。
「あのね魔王様、いきなり丸洗いはびっくりするから止めてね。いたっ」
髪に触れていた魔王の指が、髪を一房取ると軽く引っ張る。
「くくくっ我の所有物に、他の男の残り香がまとわりついているなど、赦せる訳なかろう」
口元は笑みを形どっているのに、赤い目は全く笑っておらず、理子は引っ張られている髪を魔王の指ごと押さえた。
「所有物……」
所有物って、いつから自分は魔王のモノになったのだろうか。
もしや、抱き枕扱いだから所有物なのか。それは人のカテゴリーの扱いではないのか。
メイドさん達はツンデレ属性だと思われます。
ネグリジェは魔王さまの趣味かもしれない。
何時も色気が無いリラクシングパンツで来るから...だといいな。




