14.結末は...②
二つに分けたのに長めです。
たっぷり睡眠をとり、お気に入りのカフェでサンドイッチのモーニングセットも食べられた。
体調も気分も上向きになった理子は、駅のトイレで「仕事をするぞ!」と気合いを入れてから職場へ向かった。
「おはようございま、す?」
気合い十分で部署へ足を踏み入れた理子は、フロア全体に漂う不穏な空気に戸惑い挨拶が尻窄みになった。
自分の席へ向かう途中、一年先輩の男性社員山本さんにどうしたのか小声で問いかけた。
「今日、田島係長が急に休みをとったんだけど、連絡をしてきたのが奥さんかららしくてね。朝から課長の態度も変だし、俺らには理由も話してくれないのも何か変だなってなってさ。俺もさ、係長に見てもらいたい物があるのに連絡つかないから困っているんだよ」
頭を掻く山本さんの目の下には、はっきりと隈が出来ていて彼も理子程では無いが、田島係長から仕事を押し付けられていた事を思い出した。
おそらく仕事を押し付けられた理由は、歓迎会の後から後輩の高木さんが彼にあからさまな好意を示していたからか。
外見性格共に爽やか好青年な山本さんは外見もスマートで格好良いため、係長としたら警戒しているのだろう。
既婚者が嫉妬するなどおかしな話でも、田島係長としたら不倫相手が興味を持つ相手は潰したいのだろう。
田島係長が休みならば山本さんも平和で過ごせるし、今日は定時に帰れそうだと理子は安堵の息を吐いた。
課内に漂う不穏な空気は解消されないまま、朝から姿を見せなかった課長が疲れた顔でフロアへやって来たのは始業時刻から二時間以上経った時だった。
何か緊急事態があったのか? 事情を説明してもらえるのかと、仕事中の社員達はパソコンから顔を上げて課長を見る。
「高木さんはいるかな?」
「は、はいっ」
朝から何度もスマートフォンの画面を見ていた高木さんは、声を上擦らせながら勢いよく椅子から立ち上がった。
「高木さん、少し聞きたいことがあるから一緒に応接室へ来なさい」
有無を言わせない口調の課長に、高木さんはもちろん、周りの社員達が息を飲む気配がする。
他の課へお使いに出掛けた社員からの情報で、部長と課長が客人と応接室で何やら深刻そうな話をしているらしいのだ。
入社三ヶ月余りの高木さんはまだ一人で仕事を任されておらずが、仕事上の事で何か不手際があったとは考えられない。
仕事以外だったらプライベートの事となり、だとしたら考えられるのは……
皆、無言のまま、課長の後をついて歩いていく高木さんの後ろ姿を見送る。
「人のものに手を出したら駄目よね」
隣の席の中年女子社員は意味深な事を呟き、ニヤリと口角を上げた。
課長と高木さんの姿が見えなくなってから、それまで無言だった社員達は一気に口を開く。
憶測を囁く声が理子の耳にも届き、その中には田島係長と高木さんの親密な関係を面白がる内容に、眉を顰めてしまった。
見て見ぬふりをしていたとはいえ、田島係長と高木さんの親密な関係はよほど鈍感でなければ気が付くだろう。何が起きているか気になってしまい、午前中は皆仕事は手につかないかもしれない。
「修羅場だったよー」
缶珈琲を買いに自販機が置かれた場所へ行って、偵察、もとい“偶然”応接室の近くを通った女性社員が頬を紅潮させて戻って来る。
「係長の奥さんが弁護士を連れて、旦那と浮気相手の職場に乗り込んでくるとはね」
まるでドラマみたいだ、と隣の席の中年女子社員は唸る。
偶然通りかかった女性社員の話では、高木さんは「誤解です!」「係長のご家庭を壊すつもりじゃなかったし!」「入社したばかりの不安で甘えてしまっただけで!」とか泣き叫んでいたらしい。
どんな理由であれ、若気のいたりや無知からだとしても、妻子ある男性と深い仲になるのは重婚を認めてない国では倫理的に許されないと思うのだが。
「やっぱりね。それはなんて言っていいか、修羅場だね」
「だから係長は休みなのか。怖い奥さんだねぇ」
「若い女の子に頼られて浮かれて手を出すから、天罰だよ。係長、左遷かな。終わったね」
若い女の子、高木さんに甘えられて自分達も鼻の下を伸ばしていた男性社員は次々に田島係長をせせら笑う。
「新卒のくせに、高木さんも調子に乗ってたからいい気味よね」
「山田さんも二人に嫌がらせされてたし、ついでに訴えてみたら?」
自分に火の粉がかからないよう、見て見ぬ振りをしていた女性社員達に話をふられ、理子は曖昧な笑みを返して返答を誤魔化した。
昼休憩時間になり、珍しく昼食を誘いに理子の所へやって来た香織は、落ち着かない様子の課内を満面の笑みで見渡す。
「大変な事になっているみたいねぇ、じゃあランチに行こう!」
わざとらしく大声で言う香織に引き摺られる形で、理子は席を立たされて食堂へ向かった。
「強引に連れ出してくれてありがとう。私もさ、朝から色々とあり過ぎてついていけなくなってたところなの」
出勤してから上司の不倫問題で仕事に集中出来ない上に、つい先程、経理部と人事部から午後からの書類とデータの照合をすると通告された事で、不倫問題が霞むくらい自分も含めて同僚達は焦ってパソコン内のデータ整理をしていたのだ。
上からのチェックが入ろうが、自分は書類関係をきっちり纏めているから大丈夫、と思いたい。
一度、纏めておいた重要書類が机から消えた事があり、自衛のため鍵がかかる引き出しに保管するようにしている。
「私が迎えに行かなきゃ、アホカップルだけじゃなく、これ幸いと理子に仕事を押し付けていた奴等をあんたは手伝っていたでしょ? 慌てて書類整理している奴等は自業自得なのよ。理子と山本君のここ二ヶ月間の出退勤記録だけでも、人事からみたらありえない状態なの。係長が退勤記録を誤魔化したとしても、防犯カメラの記録は消せないのよ」
人事部所属の、香織の有無を言わせない黒い笑顔は恐ろしくて、理子はコクコク頷くしか出来なかった。
「香織が手を回したの?」とは、とてもじゃないが聞けない。
「今日は定時退勤してゆっくり過ごしてね。今日は飲みに行くのは駄目よ! 早く寝ること」
「あー、ワカリマシタ」
どうやら、仕事帰りに立呑屋でも寄って行こうという考えは香織に読まれていたようだった。
「山田先輩……」
食堂へ向かっている理子は、背後から名字を呼ばれて振り返った。
振り返った先には、ふわふわな肩までの茶色の髪は乱れ、バッチリメイクが涙でぐちゃぐちゃになりアイメイクも崩れまくった、大分ホラーな顔になっている高木さんが立っていた。
目付きが危ない高木さんの後ろを歩くのは疲れ果てた課長。
理子が口を開く前に、高木さんの目が四角く吊り上がった。
「アンタもいい気味だって思っているんでしょ! そうか……アンタが奥さんにチクったのね!?」
理子へ殺意すら感じさせる視線を向け、高木さんは廊下を走り出した。
「高木さん止めなさい!」
慌てて課長が高木さんを制止するが、鬼女の形相となった彼女の足は止まらない。
「チ、チクるって、何?」
怖い、逃げなきゃ危ない。頭では分かっているのに、理子の体は直ぐに反応出来ない。
「アンタのせいで!!」
掴みかかる高木さんに体が反応しきれずに、首を絞められる。と、覚悟した瞬間、理子の右耳にくっついている石がドクンッと脈打つのを感じた。
バチッ!
「きゃああ!!」
高木さんの指が理子の首へ触れる直前、静電気が弾けたような音が響き、彼女は後ろへ飛び退いた。
飛び退いた勢いで、高木さんは廊下に尻餅をつく。
「静電気……?」
バチッという音と共に高木さんの周囲に火花が散って見えた。
静電気にしては強力だし、後ろに飛び退いたように見えたが実際は弾き飛ばされた今のは何なんだ。
尻餅をついた高木さんの顔は、鬼女の表情から青ざめて今にも倒れそうなものへと変化していた。
「いやぁ! 化け物!」
見開いた目で高木さんは、理子を、正確には理子の横を見たままガタガタと震え出す。
高木さんの異常な様子に、困惑した課長は理子と彼女を交互に見た。
「理子、大丈夫? あの子、いきなりどうしたのよ」
香織に肩を叩かれて、ようやく理子は全身の緊張を緩めて息を吐き出せた。
「あらあら」
課長の後ろ、遠巻きにやり取りを見ていたスーツ姿の小柄の女性がツカツカと床に座り込む高木さんへ歩み寄る。
「自分は不倫女のくせに、主人と一緒に嫌がらせをしていた先輩に向かって化け物は無いでしょう」
フンッと鼻を鳴らし、女性、田島係長の奥さまは冷たい視線を高木さんへ向けた。
もう用はないと高木さんに背を向けた奥さまは、理子の前まで来るとゆっくり頭を下げた。
「山田さん、屑……いえ、主人が酷いことをして申し訳ありませんでした。本来ならば主人が謝罪をするべきなのですが、屑は今自由に動けない状態になっていますの。諸々の事が終わりましたら、改めて屑に謝罪をさせに伺います。貴女には何も落ち度はありませんもの」
奥さまの田島係長の呼び方が、途中から主人が屑へ変わってしまっていた。
奥さまによると、初めての育児で不安でいっぱいの中、田島係長は早く帰って育児を手伝うでもなく家事も全く手伝わず、仕事だと嘘をついて朝帰りを繰り返し女の子とイチャイチャしていたという。夫として父親として酷過ぎる。
「長々ごめんなさい。今からお昼ご飯を食べられるのですよね? 私からの謝罪の気持ちとして受け取ってください。ご一緒の方とのお昼代にあててください」
「いえ、それは」
「これは主人の今月のお小遣いですの」
ウフフッと奥さまは可愛らしく、しかし口元だけの笑みを浮かべた。
「……ありがとうございます」
奥さまの圧力から封筒を受け取るしか無いと悟った理子は、背中に汗をかきつつ現金が入っているらしい封筒を受け取った。
たった半日で急激に変わる展開に目眩がしてきた理子は、ふと夢現で耳にした声を思い出した。
『リコ、我からの贈り物だ。お前に悪意を向けるもの全てから、お前を護ろう』
護ると言ったのは、人外のとてつもなく綺麗な魔王。
確かに、彼の力はパワハラから、高木さんから護ってくれた。
知らぬ間に、ある意味最強の魔王の加護を手に入れたらしい。
(どうしよう……)
助けてもらえて嬉しい、よりも恐怖心の方が強い。この先どうしたらいいのかと、理子は頭を抱えた。
パンパカパーン!
ヒロインは『魔王の加護を手に入れた』
一章終了となります。
“ざまぁ”になったかな?
因みに、田島係長は昨夜のうちに肉体的精神的フルボッコの刑になり、ご両親に監禁されてます。