12.悪魔喰いの魔女
魔女と魔王の話
急速に意識を失い、傾ぐ理子の体を魔王は腕を伸ばして受け止めた。
そのまま理子を抱き上げると、ベッドへ彼女を横たえる。艶やかな黒髪を一撫でしてから、魔王はベッドから降りた。
「さて……出てこい」
底冷えする低い声で、魔王は自分の許可無くやって来た侵入者へ命じる。
相手を射殺せそうなくらい冷たい視線を向ければ、ビシリッと音を立てて寝室の壁に大きな亀裂が走った。
「出てこぬならば、引きずり出すが?」
声に呼応するように、壁がグニャリと渦を巻く。
渦を中心から黒い靄が生じ、魔王の前に集まると靄は人型を形どっていく。
靄の黒が濃くなり、現れたのは黒色のローブを纏った美しい女。
毛先がウェーブした朱色の腰より長い髪、濡れたような光を放つ濃紺の瞳の女は、蠱惑的な笑みを魔王へ向ける。
「悪魔喰いの魔女か」
姿を確認して瞬時に女の正体を見破った魔王に、魔女は黒色のローブの下に着た黒色のワンピースを摘まむと淑女の礼をとった。
魔女が動く度に、両手首に巻かれた金の鎖がシャラシャラ音をたてる。
「如何にも。お初にお目にかかります魔王陛下」
空気を凍てつかせる圧を放つ魔王を、朱い魔女はうっとりと見上げた。
***
《魔女の話》
150年程前の話である。
悪魔喰いの魔女と呼ばれた魔女は、生まれながらにして強い魔力を持っていた。
それ故に、娘を出産すると同時に母親は命を落としてしまい、とある王国の、王族お抱え魔女に後継者として引き取られた。
国の外れにある深き森の中腹、古びた館が魔女の住まい、幼い頃の魔女が自由に動ける世界だった。
10歳になる頃には師匠である先代の魔女の魔力量を超えており、師匠との生活は退屈なものとなっていた魔女は、森の外へ出たいと考える。
強い好奇心を持つ彼女には、ひっそりと森で暮らしていく事は堪えられなかったのだ。
ある日、勝手に入った師匠の書斎で厳重に封をしてある悪魔召喚の本を見付けた。
強い魔力を持つ魔女にとって、封を解除するのは簡単である。
本を開いた魔女は、興味本意で悪魔を召喚してしまう。
それは、召喚した者の願いを叶えるが、願いの代償に魂を喰らう悪魔。
魔女が悪魔に願ったのは、絶世の美貌だった。
様々な書物から得た知識で、彼女は絶世の美貌と魅了の力があれば、権力を持つ男達を跪かせることが出来ると考えていたからだ。
絶世の美貌を手に入れた魔女は、用意していた退魔の魔方陣を発動させる。
魔方陣により力を弱体化した悪魔を捩じ伏せ、悪魔の力を喰らったのだ。
悪魔の力を得た魔女は、自分の邪魔となる師匠を殺し師匠の魔力と知識を奪うと、闇より召喚した魔物を近隣の街へと放った。
その後、師匠に成り代わり、城へ召集された魔女は王の依頼を受け、人々を襲う魔物を一掃した。
国を救った英雄となった魔女は、王に近づき魅了の魔法を使う。
美貌と魔力で骨抜きにされた王は、魔女を側妃として迎え入れ、常に傍らへ置いた。
王を傀儡とした魔女は、国を意のままに操り出す。
僅か一年で、魔女が贅沢な品を求め続けた国の財政は逼迫し、王を諫める王妃は処刑された。
ついには隣国の国宝をも欲しい、と魔女は王へねだり出す始末。
……このままでは隣国と戦争になる。
若き王子と宰相は国の行く末を憂い、王を暗殺し、魔女と戦うことを決意する。
強大な魔力を有する魔女を確実に屠るため、王子は秘密裏に魔国の王である魔王へ協力を仰いだ。
魔王より魔女の魔力を封印する鎖を譲り受けた王子は、王と閨を共にする魔女を襲撃する形で彼女の魔力を封じ込める事に成功する。
そうして魔女は縛され、魔石に封じられた筈だった。
何者かが、王国の宝物庫を荒らすまでは。
宝物庫から持ち出された魔石は、封印の力が弱まったため魔女の意識が甦ってしまう。
意識はあっても肉体は朽ち果て、魔力は封じられている。
封印を解くための策を魔女は考えた。
そして、喰らった悪魔の力を利用することを思い付く。
人の願いを叶え、魂を奪い己の力とする悪魔の力。
それから長い時をかけて、魔女が封じられた魔石は人の間を渡り歩き、異世界へと流れ着いた。
そうして、巡りめぐって魔石は香織から理子へと辿り着いたのだった。
「まさか、この娘の“隣人の騒音から逃れ、快適な睡眠時間が欲しい”という妙な願いのお陰で、貴方様にお逢い出来るとは夢にも思いませんでしたわ」
クスクス笑う魔女の視線の先には、魔王により眠らされた理子がいた。
美しい魔王が触れたのが自分より劣る人の娘というのは赦しがたいが、魔女にとって魔王に近づけたのは好機だった。
「娘の願いのせいで100年かけて溜めた魂を消失してしまい、わたくし、娘に苦しみを与えながらじっくり魂を喰らおうと思ってましたの」
邪魔な娘の魂を喰らうことを考えるだけで、魔女の口腔内に唾液が溢れる。
恍惚とした表情を浮かべる魔女とは逆に、無表情のままでいる魔王の両眼が細められた。
「魔王陛下、わたくしに御慈悲をくださいませ」
「慈悲、だと?」
魔女は魔王へ向けて、鎖が巻かれた両腕を差し出す。
「先代魔王陛下が作られた、忌々しいこの鎖からわたくしを解放してくださいませ」
涙を浮かべて濃紺の瞳を潤ませる魔女の愚かしさに、魔王は冷笑を浮かべた。
愚かな女。魔王に魅了の力を使おうとは。
「……偶然とはいえ、貴様が娘の部屋と我の部屋を繋げたお陰で、我はなかなか有意義な一時を得られたのだったな。では、その褒美をくれてやろう」
そう言うと、魔王は右手を軽く振る。
パキイィ...ン
硝子が割れるような音を立てて、魔女の両腕に巻かれた金の鎖は弾け飛んで、霧散した。
「ああっ! これでわたくしは自由だわ!」
封じられた魔力が全身に駆け巡るのを感じ、魔女は歓喜の声を上げた。
だが、きゃはきゃははしゃぐ魔女の表情が急に固まった。
「あ、なん、ですの?」
暴れ出る魔力が制御できない。
漏れ出た魔力が魔女の魂を攻撃し、体に細かい亀裂が生じ魔力が煙のように放出される。
床に倒れた魔女は、体をくの字に折り曲げてのたうつ。
魂が切り裂かれる激痛で呻く魔女を、蔑みの視線で魔王は見下ろしていた。
「封印の鎖は外した。くくくっ、魔女ふぜいが人の魂を喰らいすぎたようだな。肉体を失った貴様の核になっていたのは、封印の鎖……核を失えば崩壊するのみだ。魂を喰らい続け、娘を追い詰め泣かせた罰を与える。貴様を待っているのは、地獄での永遠に近い拷問と末の魂の消滅だ」
「そ、んな」
全身を赤黒く染めた魔女の瞳が、驚愕と絶望に歪んだ。
パチンッと音を立てて魔王が指を鳴らす。
魔女の目前に魔方陣が現れる。
魔方陣が光輝き、骸骨や死神のレリーフが装飾された地獄の門が召喚された。
「ひぃっ!」
ジャラララッ!!
片方だけ開かれた地獄の門から暗黒の鎖が飛び出て、這って逃げようとする魔女の体を絡め取る。
悲鳴すら上げられぬまま、暗黒の鎖に引き摺られた魔女は地獄の門に吸い込まれていった。
バタンッ!
隙間無く閉ざされた地獄の門は、役目を終えたとばかりに、ズブズブと床へ沈んで、消えた。
「貴様の薄汚れた魂では、娘の涙には到底及ばぬ」
地獄の門が消えた床を一瞥すると、魔王は魔力を放つ。
一瞬のうちに、魔女によって歪められた結界が再構築された。
理子が眠るベッドへ腰掛けた魔王は、左手を軽く握りゆっくり開いた。
手のひらの中から、金銀赤青翠……色とりどりの、小指の先より小さな玉が出現する。
玉は魔王の手のひらの上を浮遊し、くるくる回転を始めた。
回転する玉を見詰めながら暫し思案した魔王は、玉の一つに触れる。
「リコ、我からの贈り物だ」
選んだ玉以外の玉は空気にほどけるように消え、魔王の手の中には一つの玉が残った。
「邪魔されず眠ることが、我の結界を破るほどの願いだったとはな。お前はやはり、面白い」
クツクツ笑いながら魔王は、理子の黒髪を一房掬うとそっと口付けを落とした。
ヒロイン宅の壁の穴が魔王の寝室と繋がった理由です。
補足として...
騒音被害でヒロインは精神的にかなりキていたため、魔女すら驚く結果になったみたいです。
魔女は腹いせに、周りからの悪意を煽ってヒロインに向けられるように仕向けていました。
ヒロインの心を闇に落として魂を美味しくいただこうとしたけど、泣かしちゃったから魔王さまの怒りを買っちゃったみたい。
次で一章が終わります。