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快適な睡眠と抱き枕  作者: えっちゃん
1.鈴木君(仮)とお喋り
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10.そして崩壊する

スケープゴート→身代わり、生け贄、とか。

 クリーム色の靄が立ち込める空間で、理子は両耳に手のひらを当てて俯いていた。

 不快な生暖かい風が理子の体にまとわりついて離れない。


『もっとだ』


 風音と一緒に、ひび割れた女の声が耳の中へと流し込まれる。

 両手で耳を覆っているのに、女の声はまるで呪詛のように脳へと直接響く。


『もっと絶望しろ』


「やめて!」そう叫んだ理子の声は、唇は動くのに音にはならない。


『絶望に染まり、泣いて、泣いてあの方に縋り付けばいいさ。あの方が少しでもお前に手を差し伸べれば……ククククッ』


 クリーム色の靄の隙間から姿を現したのは、黒色のローブを纏い頭から被ったフードによって顔の半分を隠した深紅の長い髪の女。

 息をのむ理子に向かって、女は真っ赤な唇の端を笑みの形に吊り上げた。





 連日の残業による睡眠不足からくる頭痛以外に、出勤時からずっと治まる事は無く、理子の胃は刺すような痛みを訴える。


(まずい、このままでは倒れるか吐く)


 トイレから戻って来た理子は、嫌味を言われるのを覚悟して、今日は早退させてもらおうと上司の席へと向かった。


 上司の席に側に同僚の男性二人と上司、それに高木さんが集まって談笑している。

 無駄話していないで仕事してください。とは、言いたくても言えない。近くの席に座って仕事をしている同僚の女性は、迷惑そうに眉間に皺を寄せていた。


「いやーこの資料、要点が分かりやすかったしレイアウトも見やすいですよ」


 そう言いながら、同僚の男性は手に持つ会議用資料を捲る。

 聞こえてきた感想に、理子はホッと胸を撫で下ろした。

 昨夜、ほとんど寝ないで作成した資料は誤字や変な箇所は無かったみたいだ。

 だが、続く上司の言葉に理子は呆然となってしまった。


「高木さんが、短時間なのに頑張って作ってくれたから助かった」


 上司が言っていることが理解出来ず、足を止めた理子は何度か目を瞬かせた。

 昨日の夕方、自分に資料作成を命じたのは上司じゃないか。

 この資料を作成したのは、高木さんではないと上司は知っているのに。


「へー高木さん一人で作ったんだ! 将来有望新人じゃないですか!」

「え~本当ですかぁ? ありがとうございますー次も頑張りまぁす」


 口元に手を当てて、嬉しそうに高木さんは固まったままの理子を見る。


(高木さんは何を言っているの? 全て私が作ったというのに)


 理子の体から熱が奪われていき、自分の体じゃなくなる様な気持ちの悪い感覚に襲われる。

 昨日の、上司と高木さんと理子のやり取りを見聞きしている筈の周りの同僚達は何も言わない。

 傍観者達が何も知らない振りを決め込んでいる状態では、上司の手に資料のデータが渡ってしまった以上、今更理子が何を言っても無駄なのだ。

 上司が仕事を押し付けた物的証拠はないのだから、今の理子は泣き寝入りするしかなかった。


「お話し中すいません、今日ですが……」

「山田さん」


 勇気を出して声を掛ければ、上司は一変して厳しい表情を理子に向ける。


「ここの計算間違っていたぞ」


 上司が見せてきたExcelで作成された書類を、ざっと目を通した理子は苛立ちから眉間に皺が寄せた。

 こんな出来の悪い書類を作った覚えはなかったからだ。


「こんな簡単な計算をミスっていたら、直ぐに高木さんに追い抜かれるな」

「もーそんなこと言ったら山田先輩がかわいそうですよぉ」


 さらに、気を良くしたらしい高木さんはニヤリと笑うと、ぱくぱくと理子に向かって声には出さずに唇を動かした。

 高木さんの唇を見て、理子は音をたてて血の気が引くのが分かった。

 生じたのは怒りより恐怖。

 何故なら、嬉しそうに笑みを浮かべる彼女の口の動きから読み取れた台詞は……


 “ざまぁ”




 ***




 結局、早退は言い出せずに理子は残業をする羽目になった。

 帰宅途中の電車では眠ってしまい、危うく降りそびれそうになるし体調は悪いし、本当に散々な一日だった。

 帰宅して、顔を洗ってすっきりしようと洗面所へ向かう。


「ひどい顔」


 鏡に映る顔色はとても悪く、肌荒れも目の下の隈も、化粧で誤魔化しきれていない。

 睡眠不足と食欲不振で、すっかり窶れて不健康そうな自分の姿。

 無理やり笑ってみても卑屈そうな、ぎこちない笑みにしかならならず、理子は手のひらで顔を覆った。


「はぁ……」


「異動時期まであと少しだから頑張る」「ボーナスまでは頑張る」なんて、心配してくれる香織や仲の良い先輩達に言っているが、そろそろ限界なのは自分が分かっていた。

「期待している」と誤魔化されていても、上司が率先して行っているのは所謂、パワハラ、イジメというもの。

 部署の一部の人達は傍観者、理子をスケープゴートにして平穏に過ごしているのだ。


 高木さんは上司と結託して、理子を見下し優越感を得ていると考えなくても分かる。

 社会人にもなってイジメだなんて何て弱くて気持ちが悪い人達。

 人事や信頼出来る女性管理職に訴えて戦おうにも、連日の残業により理子は心身ともに疲れていた。


「もう、辞めようかな」


 辞めるにしても引き継ぎ等もあり最低一ヶ月はかかる。

 医師の診断があれば、残っている有給休暇を使えるかもしれない。

 明日の仕事後か、週末に病院へ行って診断書を書いてもらうか。


「三年は頑張るって決めてたのに」


 辞職理由がイジメなんて情けない。

 理由を伝えたら実家の父親は激怒し、母親は泣くだろう。


(自分は打たれ強いと思っていた。何を言われても受け流せるって、でも、本当はこんなにも弱い)


 鏡に映る理子の目から、涙がポロポロと零れ落ちた。

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