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第22話 新たな旅立ち

 あの交通事故があった日から、桜井真さくらい まことの部屋にあるすべての物の時が止まっていた。

 壁に飾られているカレンダーは、何年も前の古いものだ。


 水性ペンで書き込まれた『合格発表』『シロの誕生日』という文字は、日に焼けて薄くなっている。

 机に置かれた両親やシロの写真は裏返しに伏せられたままで、薄水色の首輪には埃がかぶっていた。


 その首輪は、あの日が誕生日だったシロに両親が新しくプレゼントしたものらしい。それを知ったのは、あの事故の後だった。


 ノートPCの隣には、食べ終わったすき焼き弁当の容器がいくつも積み上げられている。

 コンビニやスーパーが弁当を宅配してくれるおかげで、ひきこもりでも死ぬことはない。便利な時代になったものだ。


 僕はいつものように、終わらない自作ゲームをプレイしているうちに寝落ちをしたはずだった。


 だが、モニターの中には、そこにいるはずのない姿が映っていた。

 僕の分身であるアバターと、飼っていた白猫のシロ、行方不明になってるはずの両親が、こちら側に向かって手を振っている。


 僕は長い夢を見ているんだろうか。


 クリアできないようにパッチを当てたはずのゲームが、なぜかクリアされている。

 スタッフロールがすべて流れ終わった時、ゲームの中からメッセージが届いた。


 差出人は桜井真のアバター、両親、そして飼い猫のシロだった。



桜井真のアバターより

「偽物の僕だけが、シミュレーションゲームの中で人生を楽しんでるとかおかしいだろ」


「お前の人生なんだから、ちゃんと自分でやれよ。アバターに人生を丸投げするなよ。これからもお前の身代わりをずっとさせられるなんて、僕はまっぴらだからな」


「思い出だけを抱きしめてたって、明日はこないし過去は変わらないんだぞ」


「それから最後にずっと言いたかった文句を言わせてくれ、乗り物ぐらい実装しろ。セーブのバグぐらい直せ。バトルバランスは、もうちょっとなんとかしろ。最強装備もまともにしろ。いろいろほかにもおかしなところは直せる範囲で直しておいたからな、感謝しろよ。ポンコツ創造神め」



 勝手にプログラムを直したのはお前か。

 アバターのくせに、なんて生意気なんだ。


 僕に作られた偽物のアルゴリズムの分際で、本物の僕より優秀とかふざけんな。腹が立つ。

 負けたくない。そう思った。


 久しぶりにちゃんとコードを書いてみようという気になったのは事実だ。そこだけは感謝しなければいけないかもしれない。



父より

「俺の自慢の息子が勘違いしているかもしれないから言っておく。お前がすき焼きを食べたいって言ったせいで、俺たちは死んだわけじゃない。店を選んだのは父さんだし、外食を提案したのは母さんだ」


「だれが一番悪いのかなんて考え出したら、あんなにうまいすき焼きを一番最初に考案した人間すら恨まなきゃならなくなる」


「そんなわけないだろ。誰のせいでもないんだ。たまたまそういう運命だったってだけだ」


「だから二度と自分のせいだなんて思うな。そんなことを考えている暇があるなら、とっとと俺を越えるために時間を使えよ」


「若者が情熱を注げる時間は短いんだからな。時間ってものは無限にあるもんじゃないんだ。もう少し大事にしろよ」



 わかってる。

 ずっともうわかってたけど、気付いてないふりしてたんだ。


 自分のせいだと思い込むことで、痛いところをわざとえぐって、いつまでも痛いように自分で自分を傷つけて、一人で生きていく怖さから目を背けるための言い訳に使っていただけなんだ。


 気がついたら痛みも感じなくなってた。それなのに痛がっているフリをずっと続けていた。

 もう潮時だったのかもしれない。傷ついている自分に溺れることにも疲れてきてたんだ。


 回り道をしてしまったけれど、こんな僕でも、父さんを越えられる時がくるのかな。



母より

「ちゃんとご飯食べましたか。ちゃんと眠れていますか。たまには外を歩いて、風を、光を、音を感じてみなさい。なにか閃くかもしれませんよ」


「父さんも、そうやっていつも散歩をして、変わったことを思いついて、実験して豪快に失敗してましたから」


「真が作るゲームも大好きですよ。まだまだへなちょこだけどね」


「でも真は絶対に成功する、いつかすごいものを作るよ。母さんが保証します。気長にこっちの世界で楽しみに待ってますよ」



 そういえば、ずっと閉じこもっていたから、散歩なんかしてないや。

 昔は近くの公園で、シロと一緒に散歩するのが好きだったのに。


 あの日まで、僕には夢があった。希望もあった。

 やりたいことがいっぱいあって、自分のことを信じていたはずなのに、いつのまにかそれができなくなっていた。


 母さんがずっと父さんのことを無条件で信じてたように、僕も信じてもいいのかな。

 絶対に成功するって言葉、信じてもいいのかな。


 いつかすごいものを作るって言葉、本当に信じていいのかな。

 僕は僕のことを、もう一度だけ信じてもいいのかな。



シロより

「大学に合格した日を台無しにしてしまってごめんなさい。わけあって、私はこちらの世界で元気にやってますよ」


「だから飼い主様も、そちらの世界で元気にすごしてくださいね。私は大丈夫ですから」


「だから、もういいんですよ。私のことは忘れてくださって。飼い主様も、泣きながら終わらないゲームを遊ぶのはやめて、今を楽しんでください」


「最後にずっと言えなかったお礼を。拾ってくれてありがとう。一緒に遊んでくれてありがとう。ずっと大事にしてくれてありがとう」


「もう側にいることはできないけれど、飼い主様のことをこっそり見守っています。今までありがとう。さようなら」



 忘れてもいいなんて言うなよ。

 みんなのことを忘れられるわけなんかないだろ。


 いっぱいありがとうとか言うな。

 さようならとか言うな。


 父さん、母さん、シロ、みんな大好きだ。


 偽物アバター、終わらないゲームを終わらせてくれて、ムカつくけどありがとう。感謝している。


 僕は泣きながら笑っていた。

 あの日以来、初めて笑ったかもしれない。


 今日から僕は、今を生きることにした。

 過去でもなく、未来でもなく、今を生きるんだ。



     ※


 

 ゲームの中にいる偽物アバターの僕と、父さん、母さん、白猫は、上方の空間をじっと見つめていた。

 自分たちのメッセージを送った後、それがきちんと読まれたのか、心配していたのだ。


 しばらく待っていると上の方から新しいメッセージが流れてきた。


「父さん、母さん、シロ、みんな大好きだ。

 偽物アバター、終わらないゲームを終わらせてくれて、ムカつくけどありがとう。感謝している」


 本物の桜井真さくらい まことから届いたメッセージのようだ。

 どうやらみんなの気持ちがちゃんと届いたようだ。


「僕だけムカつかれてるのは、なんか納得がいかないんだけど」


 自分の本物に嫌われているという状況はもう苦笑いするしかないが、メッセージに書いた言葉のほとんどが、相手を罵るものだったのだから、ある意味仕方がないのかもしれない。


「真は照れ屋なんだよ。本当は勝手にスクリプトを修正されて悔しくてムカつくけど、でもきっと内心嬉しかったんだよ。偽物にまんまと技術で抜き去られて、今頃は負けたくないって思って、コードを書き始めてるんじゃないかな」


 父さんがニヤニヤと笑っている。息子のことはすべてお見通しだという余裕の笑みを浮かべている。


「そういう子なのよね。相手が強いほうが燃えるタイプって言うか。だからきっと大丈夫。強力なライバルが登場したんだから、もう心配ないと思うな」


 母さんも微笑んだ。目元には涙が流れた跡が残っている。


 本物の桜井真のことが、うらやましくなった。

 あいつは、みんなにちゃんと愛されてる。


 偽物の僕なんか、お前に作り出されたときから一人ぼっちなのに。


 こんなに大事にされてるんだから、今度こそ幸せになってほしい。

 そうじゃないと僕が報われない。


 腕の中に抱っこしていた白猫に僕は質問する。


「シロは、本当にこれでよかったの? あいつが僕たちのこと忘れちゃうかもしれないよ?」


 白猫は小さく頷いてから微笑む。


「これでいいのです。飼い主様は今を生きてらっしゃいます。けれど私は過去にいます。いつまでも過去を見ていては、前に進めません。私のことを忘れてもらえるほうが、飼い主様にとってはいいことなのです」


「寂しくないの?」


「いいえ、こうやって飼い主様に感謝の気持ちをお伝えすることができただけでも、私は嬉しいのです。アバターのあなたにも、大変感謝しています。私のわがままに付き合っていただいて、本当にありがとうございました」


 白猫は僕の腕の中から飛び降りると深くお辞儀をした。

 宝箱を開けて、エスコートするように前足を差し出す。


「ではまいりましょうか。元の世界までお連れします」

「そうか。もうお別れなんだな」


「残念ながら。あなたは本当はこの世界の住人ではありませんので、仕方ありません」


 また明日から一人ぼっちか。

 気づかれない程度に小さなため息をつく。


「最後にもう一度、頭を撫でてもらえませんか」


 初めて出会った時のように、白猫はそう言って微笑んだ。あの時お願いしてきたのは白いお姉さんだった。あれからいろんなことがありすぎて、何もかもがまるで遠い昔の出来事のようだ。


 シロがあの事故で亡くなって、この世界に来てからずっと、飼い主に撫でてもらえる日が二度とこないことはわかっていたはずだ。


 それが叶わないからこそ、僕に出会った時にあんなお願いをしたのだろう。でもそれはきっと僕ではなく本当の僕にしてもらいたかったことかもしれないけれど。


 それでもいい。


 僕は白猫の前にしゃがんで、何度も頭を撫でてやる。

 本物の桜井真の代わりに、たっぷりと白猫の頭を撫でる。


 白猫の気がすむまで。

 僕の気がすむまで。いくらでも。


 白猫は目を細めて気持ちよさそうにしている。

 この時がいつまでも続けばいいと思った。


 そんなことは無理だとわかっていても。そのことは僕だけじゃなく白猫が一番わかっていたはずだ。


「やっぱり撫で方までそっくりですね」


 なんだか白猫の目が涙で潤んでいるように見えた気がした。気のせいかもしれない。

 きっと僕の目が涙で潤んでいたからそう見えただけかもしれない。これ以上撫でていたら、みっともないぐらいに泣いてしまいそうだった。


「じゃあ、行こうか」

 ぶっきらぼうにそう言って、僕が白猫の頭から手を離した瞬間、白猫は僕の首に抱きついてきた。


「本当は……お別れしたくありません」

 ぎゅっと抱きしめ、もふもふの顔を押し付けてくる。


「お会いした時にも言いましたが、あなたは飼い主様に似ているのです。飼い主様が作ったアバターだから当然ですね。本物の人間の中で一番大好きなのは飼い主様です。でもこちらの世界で一番好きなのはあなたです」


「え?」


 一瞬、なにがどうなったのかわからなかった。

 白猫は僕にキスをした。


 なんだか口元がもふもふになった。こそばゆい。

 人生で初めてのキスの相手が、白猫っていうのはどうなのだろうか。


 でも本当はものすごく嬉しかった。僕も大好きだよ、白猫のこと。


「ありがとう、さようなら」


 そう言って目を細めて微笑む白猫に促されて、僕は宝箱に吸い込まれると、元の世界に落ちていった。



     ※



 元の世界に戻ると、僕は一人だった。


 テーブルの上には、すき焼き弁当の空箱とお箸が残されている。レールから金具ごと引き剥がされたカーテンがぐしゃぐしゃに放置されたままだ。


 SNSにデータをアップデートしたおかげか、前はなかったはずのシロや両親の写真などが増えている。なぜか買った覚えのないプログラム関連の資料本が本棚に大量に増えているようだ。

 どうやら本物の桜井真さくらい まことは、真面目に勉強を開始しているらしい。


 ふと頭上を見上げると、今日の日付とコマンドのようなものが表示されているのが見えた。



《きょうのできごとリスト》

 大学の授業に出た   学力+10pt

 バイトに行った    仕事力+20pt

 すき焼き弁当を食べた 幸福度+50pt 

 異世界へ冒険した   現金+9999億9999万9999円



 あんなにいろんなことがあったのに、こちらの世界ではたった一日の出来事だったようだ。

 ちゃんと約束の報酬も振り込まれている。なかなか律儀な奴だ。


 あんなに序盤に死にまくったのに、こんなにもらってもいいのだろうか。

 全部使ったあとで返却しろと言われる詐欺だったらどうしようと、ちょっと不安になる。


 もちろん素人が作った『第二の人生シミュレーション』というゲームの世界で、9999億9999万9999円も手に入れたところで、やれることはたかが知れている。

 すき焼き弁当をいっぱい食べて、幸福度をアップさせるぐらいしか思いつかない。


 もしこの世界にも、ちゃんとすき焼き屋さんが用意されているのなら、毎日豪遊してやってもいいが、一人ですき焼きをしても虚しいだけだ。


 どうせならまたみんなで一緒に食べたいが、きっとそんな夢は叶わないのだろう。


 もうあいつに会えないのかな。

 そう考えていたとき、ピンポーンと玄関のチャイムが鳴った。


 まさかな。

 いくらなんでもそれは。


 僕は玄関に向かい、鍵を外し、ゆっくりとドアを開ける。

 そこには見覚えのある赤い宝箱を背中にしょっている、あの白猫が立っていた。


「シロ……!」


 ちょっと照れくさそうに、僕のことを上目遣いで見つめている。


「来てしまいました。またお願いがあるのですが、聞いていただけますか?」

「う、うん……内容による……けど」


 なんだか嫌な予感がした。


「新しいRPGを、飼い主様が作ったみたいなんです」

「は?」


 あのへぼい創造神の作ったバグだらけのRPGを、またやらされるのか。

 大きなため息をついた僕の腕に、白猫がしっかりと抱きついている。


「クリアするために一緒に行きましょう」


 下僕に断る権利は用意されていないようだ。

 みるみるうちに僕と白猫は、宝箱に吸い込まれていった。



     ※



「やっぱりここからですか」

「みたいですね」


 見覚えのある荒野が広がっている。


 身につけている衣装も、見覚えのある金色刺繍入りの深紅のローブだし、宝石がついた杖もまったく同じもののようだ。


「さっき新しいRPGだって言ってなかった? このだだっ広い荒野とか、いかにもな衣装とか、ものすごく見覚えがあるんだけども」


「よくわかりませんがどうやら続編らしいので、多少は使い回しもあったりするのではないかと。出てくる敵の強さは二倍に、マップの広さは十倍になってるそうですよ。ほら、マップも見てください」


 白猫が端末で見せてくれたマップは、今度は世界地図っぽい形をしていた。

 前作の日本地図っぽいマップに比べれば、確かに大幅に広くなっている。これがマップの広さが十倍ということなのか。


「確かに、パワーアップしてるっぽいのはヒシヒシと伝わってくるね。もちろん悪い方向に」


 僕はため息をついた。

 やっぱり嫌な予感しかしない。


「ご両親も、また隠しキャラとして参加するみたいですし、頑張ってクリアを目指しましょう」


 さらに大きなため息をついた。

 どうせまた雑なバトルバランスに、雑なマップに、雑な装備に、ありとあらゆるバグをかいくぐりながら進めないといけないのだろうなと思うと、始まる前から、すでに僕はぐったりしていた。


 不機嫌そうにしている僕の顔を、白猫が下からじっと覗き込んでいる。


「そんなに嫌なのですか?」


 少し首を傾げている表情が、惚れ惚れするほど可愛い。

 さすが恐ろしき白い毛玉だ。


「私はあなたと旅ができればそれでいいですよ。あなたは違うのですか?」


 白猫とキスをした瞬間を思い出して、ドキリとした。


「いや、まぁ、ぼ、僕も再会できたのは、う、嬉しいけど」

 無駄にしどろもどろになりながら答える。


「じゃあ、旅を開始しましょう。最初のミッションのタイムリミットは五分です」


「みじかっ!」

「急ぎましょう」


 白猫が徒歩のモーションで、滑るように移動をし始めた。


「また競歩かよっ。いい加減に、乗り物を実装しろよー」


 こうして再び僕と白猫の冒険は始まった。


 ほんとにクリアできるのかな、これ。

 クリアできる予感がしないけど。


 でもまた白猫と会えて嬉しいから、まぁいいか。

 そのときの僕は気楽に考えていた。


「そうだ。前に約束していた、モカポカとボッコルイを作ってきました」


 白猫が背負っている宝箱に前足をつっこんで取り出したタッパーを開けると、この世のものとは思えないほど、不気味で謎のぐちゃぐちゃな物体が詰め込まれていた。


 紫色の箇所やショッキングピンクの物体が所々に混じっている。食材の原型すら想像できないし、どう考えても食べられる代物には見えない。


「け、結構です」

「遠慮しなくていいですよ」


「いや、遠慮じゃなくて」

「ほら、あーん」


 白猫が前足で掴んだ謎の料理を、無理やり口にねじ込まれた。

 その直後、僕は気絶してその場にぶっ倒れた。



 コンティニューしますか?

 はい

 いいえ



 僕が『いいえ』を選ぼうとしたが反応しない。

 どうやらカーソルは『はい』しか選べなくなっているようだ。


「さっそく……バグ……かよ……」


 どうして本物の僕は、公開する前にもっとちゃんとスクリプトを確認しないんだ。

 ちゃんとしてくれ、まじで。


 こんなのどう考えてもクリアできる気がしないんだが。


 完全に死ぬまでのカウントダウンが頭上に表示されている状態で、大きなため息をつく。

 今回も長い旅になりそうだ。


 もしあんまり酷いようだったら、またこの世界のルールを僕が勝手に変えてやるからな。

 覚悟してろよ、本物の桜井真さくらい まことめ。


 そう思いながら、僕はしぶしぶ『はい』を選んだ。


 本物の僕が新しく作ったMMORPGが、のちのち世界的に有名になるかどうかは、まだ今の所はわからない。


 とりあえず僕たちは、新しいRPGの世界で、今日も楽しく白猫たちと冒険を続けている。


 でも、最後にこれだけは言わせてくれ。

 こんなクソゲーはもう嫌だ!






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