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第21話 人間になりたかった猫

「人間になりたかったのはご先祖さまではなくて、私のことだったのです」


 僕の腕の中で抱きしめられていた白猫は、恥ずかしそうに一度視線を外したあと、上目遣いで見つめてきた。


「飼い主様のことが好きでした。雪の中、どんどん兄弟が動かなくなっていって、きっと自分も死ぬかもしれないと思った時に出会い、命を救ってもらった日から、飼い主様のことが大好きでした。ずっと一緒にいたいと思っていました。だから人間になりたかったのです」


 少し悲しそうな顔をした白猫のことを、僕は愛おしくなって、無意識のうちにぎゅっと抱きしめていた。


「人間になる方法はわからないままでしたが、あの日、あんなことになるまで、いつも飼い主様と一緒にいられて楽しかったのです」


 僕はSNSにアップされていたシロの写真や動画のことを思い出していた。僕の本物の桜井真さくらい まことが写した画像は、どれもシロに対する愛情に溢れていた。


 幸せそうに丸まって寝ている顔、いたずらをして怒られても澄ましている顔、おもちゃに夢中になってテーブルから落ちた時の何食わぬ顔、飼い主が食べているご飯をじーっと眺めてよだれを垂らしている顔。


 どんな顔をしていても、飼い主の愛情が伝わってくるようないい画像ばかりだった。その白猫が、どれだけ飼い主に愛されていたかなんて、嫌というほどわかる。


「でもあの日、突然の事故で亡くなってから、人間になるどころか飼い主様のそばにいることすらできなくなりました。けれど、こうしてゲームの中に転生することができて、なんとか存在することができています。現実世界では死んでしまい、その運命を変えることはできませんが、この世界の中だけならバグのおかげで人間になるという夢まで叶って、人間界の食べ物を食べるという真似事もできて、新しい楽しみも増えました。だからそういう面では感謝しているぐらいです」


 死んでから夢を叶える。

 ちょっと悲しいけど、白猫が喜んでいるならそれでもいいのだろう。


「時々、飼い主様が私のことを見守ってくれているのを感じます。でも、飼い主様はずっと悲しそうにこのゲームを遊んでいます。いつもクリア間近になると、わざと途中でやめてしまうのです。まるで終わってしまうのを拒んでいるみたいに。やがて本当にクリアできないようにプログラムの修正すらしてしまいました」


 本物の桜井真にとって、両親やシロの記憶は大切な思い出なのに、同時に辛い思い出も一緒に蘇らせてしまうトリガーにもなっていた。


 だから自分に都合の悪い記憶だけなかったことにして、どんどん歪めていって、本当は死んでいないという嘘を捏造して、アバターの僕やSNSに偽りの情報を与え続けていたんだろう。


「終わらないRPGでわざとゲームオーバーになって、また初めからプレイするのです。それをずっと続けています。飼い主様の世界は、ずっとぐるぐると同じところを回って止まっているのです。私はそれを見ているのがつらいのです」


 偽物の僕はまんまと騙されていた。

 何も知りもしないで、のん気に偽物の人生をずっと送っていた。


 なのに画面の向こう側にいる本物の桜井真は、過去に閉じ込められていた。

 どちらが間抜けなんだろうか。どちらが惨めなんだろうか。

 どっちもバカであることには違いない。


「だから、できればどなたかに、このゲームをきちんとクリアしていただきたいと思いました。そうすればきっと飼い主様も、もうこのゲームに踏ん切りがついて、新しい人生を歩むことができるのではないかと考えました。それに、このゲームにはクリア後にプレイヤーから製作者に対してメッセージを送る機能があるので、これを利用すれば飼い主様にメッセージを送れるのではないか、そういう期待もありました」


 ひきこもっていた本物の僕は全てを拒絶していた。現実世界を歪めるために、嘘のアウトプットをするだけで、外の世界からのインプットすら拒絶していた。


 どうせ誰もクリアできないんだからと放置されていたクリア後のメッセージ機能だけが、白猫にとって最後の希望になっていた。


 その希望を叶えるために、偽物の僕はこんなふざけた出来損ないのRPG世界を冒険する羽目になったのだ。


「いろんな人間界の人を連れてきてクリアしてもらおうとしましたが、今まですべて失敗し続けてきました。結局、このゲームをクリアできるのは飼い主様しかいない、そう思いました。でも飼い主様にはクリアする意思はまったくありません。だから最後の手段として、別のゲームの中でアバターとしてネット上で成長し続けているあなたをお連れしたのです」


 終わらないRPGの世界を閉じるために必要なのは、アバターである偽物の僕だった。皮肉な話だ。


「おかげでこうしてクリアできました。ありがとうございます。飼い主様に代わってお礼を申し上げます。このゲームを終わらせるお手伝いをしてくださって感謝しています」


 本物の僕は、SNSに残っていた両親やシロに関するデータのすべてを、一度は消去しようとしてゴミ箱にいれていた。


 だが、そのゴミ箱を完全に消去することができないまま放置されていた。サルベージしたおかげで、今こうして僕はすべての記憶を思い出すことができたのだ。


 すべての記憶を補完した僕は、この世界を変えた。


 終わらないRPGを終わらせた。

 すべては終わったのだ。


 白猫は震えるように泣いていた。

 気がついたら、僕も同じように泣いていた。


 ねぇ、知ってた?

 僕もシロのことが大好きだったよ。


 でも君が好きなのは僕じゃない。本物の飼い主である桜井真さくらい まことなんだ。

 そんなことわかってる。僕がこの世界に誕生したときからわかっていた。僕はただのアバターなんだから。


「お礼を言わなきゃいけないのは、僕の方だ」


 僕は白猫にこの世界に連れてこられるまでは、ただの偽物でしかなかった。

 ネット上でSNSに紐付けされたシミュレーションゲームの中で、どこかの誰かがアバターを観察しているときだけ存在する、ちっぽけな0と1から作られたアルゴリズムでしかない。


 そんな僕でも、自分の力でこの世界を変えることができた。


 本物の僕が作り出したアバターでしかない偽物の僕が、ただの幻想だったとしても、この世界を変えたいという白猫の思いが僕に宿り、誰かを救うための役に立てたなら、それだけで十分だ。


「できれば飼い主様には、もう自分のことは忘れてほしいと思っています。でも本当はちょっとだけ覚えていてほしいなと思ったりもします。ずっとじゃなくてもいい。ときどきでいいんです。なにか嬉しいことがあったときだけでもいい。ふとした瞬間に思い出してもらえたら、そんな風に思っています」


「大丈夫。きっと届くよ、その思いは。偽物の僕が言うんだから間違いない」


 僕がそう言うと、白猫は微笑んだ。






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