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第2話 すき焼き弁当を奪われた

「これ……うるさい」


 不機嫌そうに僕を睨みつけているのは、小さな女の子だった。


 白いもふもふなウサギっぽいパジャマを着ている。ゆるく三つ編みをしていても腰ぐらいまである長い栗色の髪をしていて、ビスク・ドールのような白い肌と、大きな鳶色の瞳をしている。


 なぜか少女の肩には、小さなハムスターが乗っている。

 紐や首輪はついていない。よく逃げ出さないなと不思議になる。


 そもそも小さな女の子が、こんな学生向けのオンボロアパートにいること自体が謎すぎる。場違いにもほどがある。


「玄関に放置ダメ」


 少女は僕と極力目を合わせないようにしているくせに、人の体の頭から足下まで何度もなめ回すように見ている。

 肩に乗っているハムスターにもジロジロ見られているような気さえする。


 なんだかよくわからないが気まずい。

 少女と小動物に睨まれている大学生っていったいなんなのだろうか。


 しかも身に覚えのないことで叱られるとか、とばっちりにもほどがある。


「廊下は共同、物を放置は禁止」

 少女が赤い宝箱を、強引に押し付けて来た。


「いや、あの、これ……僕のじゃないんですけ」

 僕の言葉を最後まで聞かずに、少女は隣の部屋に入ってしまった。


「なんだよもう」


 自分の持ち物ではないとはいえ、もう一度通路に放り出すわけにもいかず、仕方なく僕は赤い宝箱を持ったまま部屋に戻ることにした。


 食べかけのすき焼き弁当の隣に、赤い宝箱を置く。

 玄関で見たものは幻想ではなかったようだ。あのしゃべる謎の猫はまだ入っているのだろうか。


 ふと、なぜだか『シュレーディンガーの猫』を思い出した。小さい頃に読んだ本に書いてあったことだから、あんまりよく覚えてはいないのだが。ずっと気になっていたことがある。


 シュレーディンガーは、どうして猫を使った思考実験をしたのだろうと、当時は疑問に思っていた。なぜなら猫を使ってしまうと、わざわざ箱を開けなくても生存確認ができそうだからだ。


 試しに目の前にある宝箱を傾けてみた。


「ニャッ」


 中で大変なことになっていそうな鳴き声が漏れる。

 初めて猫っぽい反応を見た気がする。

 あんなに流暢に人間の言葉を話すくせに、びっくりしたときは「ニャッ」と鳴くのか。


 おかしな状況が何度も続くとさすがに免疫ができてきたのだろうか。なんだか面白くなってきて、もう一度ひっくり返してみた。


「やーめーてーくださいぃー」

 ガタガタガタと中で暴れ倒している音がする。


 シュレーディンガーと知り合いだった科学者たちは、「猫が鳴いたり勝手に動いたりしたら終わりだよね」という、初歩的なツッコミを誰もしなかったのだろうか。


 正確を期したいのであれば鳴き声を発しない魚や、動かない植物のほうが適任だろう。もちろん本質はそこではないのだろうけど。


 時々思うことがある。

 僕自身も誰かが観測していなければ存在していないのかもしれないと。どこかの誰かが見ていなければ、この世にいないのかもしれないなんて思うのは、考えすぎだろうか。


 例えば、僕が物語の登場人物だったとしたら、どうだろう。


 ほら、今も誰かが僕の思考を覗き込んでいるかもしれない。こんなどうでもいいことをグダグダと考えているのを覗き見して、バカだなーと思っているかもしれない。


「あーけーろー! 呪いますよー、このやろー!」


 いつもの癖で妄想の世界に入り込みそうになっていたが、さすがにこのまま放置して呪われるのはちょっと困るので、鍵を開けることにした。


「うぉぉ、し、死ぬかと思った」


 宝箱を開けた白猫は、ぜーぜーと荒い息をしている。ここからでは見えないが、もしかしたら肉球が汗でびしょびしょになっているかもしれない。


 よく見ると、薄水色の首輪にネームプレートが付いていた。


 そのネームプレートに触れた瞬間、まったく見覚えのない映像が脳裏に浮かんだ。

 車を運転している父と、その助手席で白猫を抱っこしている母の姿だ。


 家で飼っていたシロは、車に乗るのは病院に行く時と相場が決まっていたから、車のことは大嫌いだったはずだ。だからケージに入れないでおとなしく車に乗っている状態は通常ありえない。


 だとしたらこの記憶はなんなのか。

 よくわからない。なぜだかわからないが、さっぱり思い出せない。


 プレートを裏返してみると『シロ』と描かれている。


 自分の昔飼っていた猫と同じ名前だ。名前まで一緒なのか。まぁ白猫にシロと名付ける飼い主なんていくらでもいるだろうが。


「ちょっとあなた、Sっ毛がひど過ぎますよっ」


 白猫は後ろ足だけで立ち、ビシッと前足を僕に向けて抗議している。

 怒っているようだが、全然そうは見えない。ただの可愛い白い毛玉だ。


 台詞と見た目のギャップがハンパない。

 思わず吹き出してしまった。笑いすぎて涙まで出てきた。


「何を笑ってるんですかっ。せっかくあなたの為にチャンスをお届けしようとしてやってきたのに、あんまりです」


 ひとしきり笑った後、目からこぼれた涙を拭いた。


「さっきからチャンスだなんだと言いくるめて、僕を騙そうとしても無駄ですよ。そもそも壷とか買う金は持ってないから」

「騙す? 壷? 何を言ってるんですか」


 白猫は困惑したような顔をしている。


 どんな表情をしていても可愛いのは卑怯だ。これが『可愛いは正義』ってやつか。

 なんたる恐ろしき白い毛玉よ。


「相手の好きなモノを勝手に送りつけて、金を巻き上げる詐欺商法とかそういうのでしょ?」

「ち、違います」


「だって頼んでもない宝箱を勝手に部屋の前に届けて、猫がしゃべってチャンスとか言い出すなんて、明らかに怪し過ぎるだろ」


 もう完全に論破したなと思ったので、食べかけだったすき焼き弁当に再び箸をつける。


 残念ながら少し冷めてしまっている。でも暖め直すと、せっかく半熟でいい感じだった卵の黄身が固まってしまうのはいただけない。


 仕方なくそのまま食べることにする。

 多少冷めていても十分にうまい。


 あーうまいなー。


 気がつくと目の前に白猫が座り込んで、じっと肉をながめていた。

 口からみっともないぐらいにヨダレが垂れている。


 実家で飼っていたシロとそっくりだ。人間の食べ物に興味がありすぎて魂を抜かれているような、バカっぽい表情まで瓜二つだ。


 僕は笑いをこらえられず、まだ食べている最中なのにうっかりブハッと吹き出しそうになり、慌てて手で口を塞ぐ。思わず白猫に向かって肉とご飯粒を発射するところだった。


「もしかしてすき焼きのお肉が好きなの?」


 僕の声で我に帰ったらしき白猫は、慌てて前足でヨダレを拭き取りながら、首を横に振る。だがその仕草とは裏腹に、白猫の視線は肉にロックオンされたままだ。


「でもこれ長ネギと一緒に調理してるから、猫は食べられないと思うよ」

「私は猫ではないので大丈夫です」


「いや、どう見たって猫ですよね」

「いえ、どう見たって猫ではありません」


 相手が譲らないので、もう諦めた。そもそも言われてみれば、喋っている時点で普通の猫ではない。相手がいいと言うなら大丈夫だろう。


「じゃあ、一枚ぐらいならいいよ」

 小さめの肉を箸でつまんで、白猫の前に差し出す。


「でも食べたら、とっとと帰ってもらえるかな。明日提出する宿題をやらないといけないんだ」


 白猫は目を見開いて、肉と僕の顔を交互に見比べている。


「結構お高い弁当なんだから、ちゃんと味わって食べてよね。ほら」


 白猫の鼻先に肉をちらつかせる。白猫はくんかくんかと肉の匂いを堪能して、ごくりと生唾を飲み込む。だが必死に首を振って抵抗する。


「だ、ダメなのです。こちらの世界の食べ物を食べてしまうと、呪いにかかってしまうのです」

「こちらの世界? 呪い?」


 またわけのわからないことを言う。

 この詐欺だかドッキリだかを企てた奴は、大人になっても中二病をこじらせたままのタイプなのだろうか。


「そんな設定はいいから。ほら食べて」

 白猫は必死に抵抗している。


「じゃあもういいよ。全部自分で食べるから」


 これ見よがしに、あーんとしながら口に肉を持っていこうとした。

 その瞬間、白猫の前足が素早く肉をかっさらった。


 と思ったら、目の前には裸体の女性が転がっていた。






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