第11話 近くにある町は近くない
「まだつかないの?」
僕はふらふらになりながら、白猫に聞いた。
「やっと半分ぐらいです」
まるで「なにか問題でも?」と言いたげな表情で、白猫は答える。
そういえば昔に実家で飼っていたシロも、家族が留守にしている隙に観葉植物を倒して植木鉢を割り、土を豪快にばらまいておきながら、その隣でなにもなかったかのような顔をしていたときがあったが、あの表情とそっくりだ。
「近くって言ったじゃないか」
「一番近くにある、と言ったのです。ほかの町はさらに何十倍も遠いですよ。しかも商店があるのは、これから向かう町だけなのでほかに選択肢はありません」
白猫は宝箱から端末を出してきて、マップを見せる。日本地図っぽいところの東京っぽいあたりから、今度は四国っぽいあたりまで行かなければならないようだ。
この世界の創造神は、バトルバランスも適当だが、マップ設計もいいかげんなようだ。
ふざけるな、こんちくしょー。
「質問なんだけど」
「なんでしょうか」
「この世界を作った人って、ど素人なの?」
「しーっ。批判はやめてください。ここまできて強制終了とか困りますから」
僕は小声で喋り続ける。
「どう考えてもおかしいでしょ、いろいろと」
白猫も小声で答える。
「確かに作ったのはプロではない方です。いわゆるフリーで公開されている自作ゲームというやつなので。もともと多人数で参加できるオンラインゲームを目指して制作されていたらしいのですが、いろいろ作者の都合といいますか、あれやこれやと技術も時間も足りない状態だったにもかかわらず、やむを得ない事情で製作途中なのに公開されてしまい、未調整な部分が数多く残ったままになっているということのようです」
あーやっぱりと、何もかもが腑に落ちた。
今までのいろいろとおかしな設定やシステム周りの不備について、僕は思い出していた。
「だからやたらと序盤から敵が強かったり、こんなにマップが無駄に広いのか。っていうか、それおかしくない? おかしいよね。調整しないまま公開したらダメでしょ」
「一応、公開後にアップデートをしてパッチを当てるなどをしていたようですが、よけいにバグがひどくなったり、最悪の場合は進行不可になるバグが追加されたという噂があるぐらい、やればやるほど酷くなっていく有様で、結局、今はもう放置されたままになっています。なので本来はMMORPGのはずなのですが、現在ほかに遊んでいる人はほとんどいない状態で、閑古鳥が鳴きまくっています」
あんまりだ。
そんないい加減でオワコン状態のゲームに付き合わされる身にもなってくれ。
これだけ疲れてくると、たかが絹のローブですら重く感じる。手に持っている杖なんて放り投げたい気分でいっぱいだ。
あ、さすがにチェーンソーは重いから、必要なとき以外は宝箱に戻してますけどね。
「お疲れのようですから、ちょっと休憩しますか。お腹も空きましたし」
白猫が背負っていた宝箱を地面に下ろして、なにやらゴソゴソと中を探っている。
「本当は、後でこっそり私だけで食べようと思っていたのですが……」
宝箱から取り出したのは、可愛いうさぎさんの絵が描かれたタッパーだった。
白猫はタッパーに頬をすりすりしている。
よっぽど食べられるのが嬉しいらしい。もしかしたら、ただ単に自分の所有物だとマーキングしているだけかもしれないが。
胡散臭げに見ていると、白猫はタッパーの蓋をパカッと開けた。
中に入っていたのは、大きなおにぎりだった。どう見てもあちらの世界の食べ物だった。
「もしかしてこれ、あのアパートの部屋を調べてたときに、冷蔵庫からとってきたんじゃないだろうな」
白猫が人の部屋の冷蔵庫を勝手に開けているのを注意したら、いたずらを見つかった猫みたいな顔をしていたことを思い出す。
「そうですよ」
「そうですよって、ダメじゃん。人のものを勝手に持ってきたら。それは窃盗って言うんですよ」
「いえ、あの部屋は勇者様のアジトのうちの一つなので、大丈夫なのです」
「アジト? でも、あそこには小さな女の子が住んでたはずだけど」
「実は彼女もこちらの世界の住人なのです」
「えぇ?! そうなの?」
「だから大丈夫なのです」
「ふ、ふーんそうなんだ」
白猫は、おにぎりを両方の前足で器用にはさむと、あーんと食べようと口を開けた。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って。それを食べたらアレになるんじゃないの。ほら、その、アレがアレだから」
「あぁ、そうでした」
白猫はマントのように身につけていた緑のジャージの袖に前足を通して、ぶかぶかのズボンに後ろ足を入れる。
そのあと、おにぎりにかぶりついた。
一瞬で、猫から白髪の女性へと変貌する。
今回はちゃんと服を着ていたから大惨事にはならなかった。
ほっとしながらも、もう一人の自分が「なぜ注意したんだ」と心の奥底で叫んでいる気がするが聞こえないふりをする。止めるのは大惨事になってからでも遅くなかったのだ。
どうせ今は、僕たち以外はこの世界にほとんど誰もいないのだし。
もし今度同じ機会があったら、ちょ、ちょっとだけ待つことにしよう。そうしよう。
とはいえ、このシチュエーションも、さすがに二回目にもなるとちょっとは慣れた気がしなくもない。
というより、今はハムスター勇者もいるので二人きりではないから大丈夫という可能性もあるが。
「あー、なんて美味しいんでしょうか。さぁさぁ、お二人とも食べてくださいね。早く食べないと私が全部食べてしまいますよ」
白いお姉さんは、次から次へとおにぎりを口に運んでいる。
僕とハムスター勇者は、慌ててタッパーからおにぎりと米粒をそれぞれ手に取り、ぱくりと食べる。
うまー。
実にいい塩梅だ。
具がなにも入ってないのに、こんなにおいしいおにぎりなんて、実に素晴らしい。
柔らかすぎず、硬すぎず、ちょうどいい米の炊き方もいい。
手に持ったときは、しっかりとしているのに、口にいれた瞬間にほろりとほどける握り具合も絶妙だ。
最近は食べていないが、なんだか母さんが作ったおにぎりを思い出した。
ハムスター勇者も美味しいのか、何粒も食べてはむはむと味わって、ずっとニコニコしている。
さらに頬袋にため込もうと米粒を次から次へと口に含み、頬がパンパンになっていた。ヒマワリの種などとは違って、ご飯粒はぎゅうぎゅうに詰めるとくっついてしまうから危険だ。
「たぶん後で取り出すときに大変なことになりそうだから、頬袋に入れるのはやめておいたほうがいいよ」
僕のアドバイスを受けて、ハムスター勇者はしぶしぶご飯粒を蓄えるのをあきらめて、その場で全部食べてることにしたようだ。
「あの方が作ったおにぎりは大変美味なのです」
とろけそうな表情でそう言った白いお姉さんは、まるで猫が前足を舐めるように、何度も左手を舐め回す。
そのまま今はないはずの髭を掃除するかのように顔を撫でる。
体は人間になっているのに、いつもの癖は抜けないようだ。
「もし私がオスでしたら、ぜひお嫁さんになっていただきたいぐらいです。そのくらいほかの料理もお上手なんですよ」
白猫が言うように、まだ子供なのにこんなにおにぎりが上手に作れるなんて、隣の部屋に住んでいたあの女の子は、確かにいいお嫁さんになれそうだなと思った。
それに比べて、この白猫こと白いお姉さんは、食べることだけは得意そうだけど、きっと……。
「なんでしょうか」
「いえ、なんでもないです」
「私だって、料理ぐらいしますよ」
そういう目で見ていたのがばれてしまったようだ。
今は人間の姿をしているけど、猫ってこういうところが鋭いから怖い。気をつけたほうが良さそうだ。
「こちらの世界の料理だけしか作れませんけど。モカポカとか、ボッコルイとか」
「モカポカ……? なにそれ。全然想像もつかないんだけど」
「もしミッションが成功したら、作ってあげますから楽しみにしててくださいね」
「えーっと、いや、まぁ、はい」
白いお姉さんがなんか不敵な笑みを浮かべている。
なぜだかわからないが寒気がした。危険な予感がする。とりあえず、今は考えないようにしておこう。
「ちなみに、その人間の姿はどのくらい続くの?」
白いお姉さんは首をかしげる。
「わかりません。早いときは数分で戻ることもありますが、丸一日ぐらい治らなかったときもあります。別の世界にいけば、サクッと元に戻れますから、緊急のときはそうしています。たぶん、大幅にデータを読み込むような処理が入るとリセットされるということかもしれません」
「なるほど。そうなんだ」
とりあえず、バトルをするときや移動するときは、猫の姿より人間の姿になってるほうが便利そうだから、それはそれでいいのだろうか。
結局、十個以上あったおにぎりの大半は白いお姉さんが食べてしまった。
ふと見ると、なんだか白いお姉さんのお腹がぽっこりしている気がする。食いしん坊なのは承知しているが、さすがに食べ過ぎではないだろうか。
とはいえ、きちんと休憩したおかげでかなり体力は回復したようだ。
「じゃあ、出発しますか。ではどうぞ」
突然白いお姉さんが、僕の目の前でかがむようにしてお尻を向けている。
「え?」
いきなりなにをしだすんだ。こんなところでセクスィーアピールとかどういうことだ。
ハムスター勇者も見ているんだぞ。
「ほら、お疲れなんでしょ? 私がしばらくおぶって歩きますよ」
「え? あ、はい」
なーんだ、おんぶか。
「って、いやいやいや、いいよそんなの」
白いお姉さんにおぶられている姿を想像した。
よく考えてみたら、彼女はジャージを着てはいるが、下着はなにもつけていないのだ。
うぉぉ、だ、だめだ。そんな状態で、体を密着させるようなおんぶなんて、とんでもない。
「遠慮しなくていいですよ。私、こう見えても結構な力がありますから」
「いいってばっ。じ、自分で歩くよ」
いけない妄想でなにかが大変なことにならないうちに、そそくさと歩き出した。
「そうですか。あとで泣いて頼んできても知りませんよ」
「大丈夫だってば」
勇者ご一行様は、ここらへんでは一番近くにあるらしい町に向かって、再び競歩で移動していった。