第59話 双竜騎士団
夜も半ば、ファスターの者達にとって長い長い一日が終わり、日付が変わろうとしていた頃。
地竜騎士団に先んじてファスターへと到着した天竜騎士団の面々は、上空から見える月明かりに照らされた街の被害に眉を顰め、しかしそこに見当たらない惨禍の原因である重岩殻下等竜の姿を求め、すぐに動き出した。
「第一、第二中隊は街の周囲を調べろ。
第三から第五中隊は街の内部で生存者の捜索。事態を把握している者がいれば連れて来い。
残りは戦闘に備えて待機じゃ。いつでも動けるようにしておけ!」
風の魔術を使い、各部隊へと指示を伝えたのは二メートル半を優に超え、齢百八十を過ぎて尚衰えを見せぬ、鍛え抜かれた竜に近い体躯を持つ獣人族竜人種の男、ヴィオランティ・ラフィールド・ヒュリム。天竜騎士団の騎士団長だ。
各所へ散っていく竜騎士達を眺めながら、ゆっくりとファスターの南側に面する平原へとに降り立つ。
(災害個体とは聞いていたが、あの破壊跡……たった一体が残したものだとするなら、まさか本当に……?)
出撃前に聞いてはいた。
ファスターの街を襲ったのは山のように巨大な岩石系の下等竜種であると。
しかしそれを端から信じる者などそうはいない。
山の中には子供でも登れるような小さい山もあれば、雲を突き破ってはるか天にまで届きそうな霊峰もある。
などと、暗に報告を疑う者もいた――ヴィオランティもその一人だ。
災害個体と銘打たれていても、その分類に明確に判断するための基準は無い。
共通点としては"既存の種が変異したものである事"や、"明らかに異常であると判断出来るほどの突出した特異性"、または"捕食のためでないにも関わらず同種ですら見境無く殺害する"等。
今まで確認されていなかった新種である可能性もあるし、派生種や単なる――と、言うのもおかしいが、魔力によってのみ変異した種である可能性もある。
それらは御伽噺に出てくるような災害個体ほどでは無くとも手強いものがほとんどで、今回もその類の襲撃だと考えられていたのだ。
夜闇の中では詳細に知る事は出来なかったが、街への侵入時に破壊されたと思われる外壁の穴の規模、そこから続く蹂躙の跡からして、それは確かに、あまりにも巨大な"何か"の存在を匂わせられた。
「災害個体……か」
ポツリと漏らした呟きに、傍らの飛竜がどこか不思議そうに首を向ける。
ヴィオランティはそんな相棒の頭を撫でながら、部下の報告を待つのだった。
半刻ほど経ち、各部隊から上がってきた報告と生存者からの情報によって事態の推移をおおよそ把握した頃だろうか。
「む、来たか」
南の街道から地響きを立ててやってきたのは、夥しい数の走竜――その背に騎士を乗せた地竜騎士団だ。
南門の前に待機する天竜騎士団を前に、走竜を先頭で率いていた二メートル程の大きな獣人族熊人種の騎士が声を掛ける。
「どうされた、天竜の。
……もしや、もう任務を果たされましたかな?」
彼の名はゴウハルト・フラム・ベムノア。地竜騎士団の騎士団長だ。
ゴウハルトも本気で言ったわけではない。
予定では先行した天竜騎士団の面々が標的の注意を引きつけ、行動パターンを見極めながら地竜騎士団を待ち、そこから一気に仕留めるつもりであった。
無論、それはあくまで想定の一つであり、そうでなかった場合の事も考えてられている。
「冗談じゃろう。仮にも災害個体と目された敵が相手なんじゃ、これほど早く終わるはずもあるまい」
「まあ、そうでありましょうな……それで、対象は今どうなっておるので?」
心なしか呆れたような老竜人の物言いに微苦笑を返しながら、熊人の男は仔細を訊ねる。
「うむ……まず、儂らが来た時には既にその姿は無かった。
と言っても、街の様子から住民が全滅したわけでも無さそうでな、近隣の村に向かった可能性もあるが……恐らく領軍か冒険者の手によって遠ざけられたと考え、ひとまず情報を集めてお主らの到着を待ち、万全の態勢で討つ事に決めたのじゃ――相対しておる者らには悪いが、の」
「それは…………むう。
酷ではあるが、今回ばかりは致し方ない……か」
ゴウハルトは僅かに反感を抱くも、自身らが討たんとしている相手の事を考えれば口を噤まざるをえなかった。
これから彼らが相手をしようとしているのは、災害個体、かもしれないのだ。
災害個体と一口に言っても、その強さには隔たりがある。
それこそ天竜騎士団だけでも倒しうる個体もあれば、双竜騎士団が多大な被害を出しながらも倒しきれない個体も過去には存在していた。
そんな強さが未知数の敵を相手にするのだ、可能であればあらん限りの情報を集め、万全を期して挑まねば返り討ちに遭うやもしれない。
そしてもし、彼らの力が及ばなかったとするなら。
イーセン王国に双竜騎士団と同等の戦力を有した騎士団はほぼ無く、場合によっては大陸における三大国の内、王国を除いた残る二大国に救援を要請する事になるだろう。
そうなれば対価に何を要求されるか分からない。
かといって手をこまねいていては、災害個体に王国の民を踏み散らされてしまうのだ。
要するに、双竜騎士団に失敗は許されない。
――例え王国民に犠牲を出してでも、だ。
「……続けるぞ。
部下の調べでは、戦闘の痕跡は東の林道に沿って残っているらしい。
複数の生存者から集めた話とも一致する。……ほぼ間違いなく、その先に対象がいると見て間違いはないじゃろう」
ヴィオランティはゴウハルトの葛藤を意にも介さぬ様子で説明を続ける。
「肝心の対象の特徴じゃが、幸い直接対峙した者らから話が聞けた。
まず、動きはさほど速くは無いらしい。魔術師には厳しい程度だそうじゃ。
この点は機動力を重視した儂らにとって相性がいいと言えるじゃろうな」
一呼吸。
ヴィオランティは一転して厳しい表情となった。
「――そしてやはり、下等竜種らしくブレスを吐いてくるそうじゃが、問題はその特性でな……岩石系の魔獣の中でも特に珍しい"石化"の性質を持っているそうじゃ」
「"石化"……! まさか、真であったとは……」
軍団を率いる者として、当然両名とも戦闘知識系スキルを取得している。
今回の襲撃に際し、出撃前に齎された情報から重岩殻下等竜の詳細を参照し、その特性を把握してはいた。
しかし、数多くの魔獣を屠ってきた彼らでさえ、実際にその特性を持つ魔獣と遭遇した事が無く、本当にそのような特性があるのか半信半疑だったのだ。
「うむ。まだ儂とてこの目で見たわけではないが、各所にやった者らが顔を青くして戻ってきおってな。
報告によれば――丁度この門の向こうに、石と化した群集が大量に並んでおるそうじゃ」
ゴウハルトは息を呑んで目前を遮るファスターの南門を見つめる。
その眼にはどこか恐れのようなものが伺えた。
「最後に一つ、これが災害個体たらしめる特異性なのかは判らんが……。
石化の吐息と同様の性質を持った灰色の煙を全身から放出し、一定の範囲に展開するそうじゃ。
展開速度は速いが、その前に若干の溜めがあるらしく、効果範囲は対象の対表面からおよそ30メートル……気をつけていれば逃れる事は出来るじゃろうが、迂闊に近付く訳にはいかんじゃろうな」
「……承知した。情報の共有に感謝する。
こちらでも対策を検討しようと思うのだが、そちらからは何かおありか?」
「ふむ、そうじゃな……む? ――そこにおるのは誰じゃ」
いくつか考えていた案を話そうとした矢先、竜騎士達の合間を気付かれる事無く通り過ぎ、自身らの元へと近付く、限りなく希薄な気配をヴィオランティが捉えた。
「おや、話の邪魔をしてしまったようだ。これは申し訳無い」
「――っ!?」
黙々と戦闘の準備を進めていた竜騎士達の間からその声は発された。
予期せぬ場所から突如として発せられた声に竜騎士達は驚愕し、即座に距離を取って各々の武器に手を伸ばす。
整然と立ち並んでいた竜騎士達の合間、ぽっかりと空いた円形の中心には、陽炎のように朧げな輪郭に黒色の炎を揺らめかせる、闇の中に在って尚、闇よりも深い"漆黒"が佇んでいた。
魔術の灯りと月の光に照らされているはずのそれは、しかし見る者の目にその実体を映さない。
竜騎士達は声を発されて初めて認識出来た存在が目の前にいても幻のように気配を捉えられず、あまりにも不気味に感じられた。
「そう警戒せずともいいのだが……まあ当然か。
貴方方の指揮官に用件があるのだ。是非会わせて頂きたい」
その声は精鋭たる竜騎士に周囲を完全に囲まれていながらも揺らぐ事無く、自信に満ちていた。
言いながらも視線は唯一自身の接近に気付いた、巨漢の老竜人に固定されている。
騎士団長である二人は無言で視線を交わし、ゴウハルトが任せるとばかりに頷きを見せた。
「儂がこの騎士達の指揮を執っておる者じゃ。
……それで、お主は何者で、その用件とはなにか」
内心を悟らせぬ声でヴィオランティは返事をする。"漆黒"を見据える目に、油断の色は欠片も無い。
「私はこの街を拠点にしている一介の冒険者ですよ、騎士殿。
話をする前に一つ確認させて頂きたいのだが、貴方方は下等竜の討伐に来た、という事で間違いがおありでないかな」
慇懃無礼とはこういった態度の事を言うのだろうか。
声の調子からは自らを"一介の"冒険者などと思っていない事は明らかであったが、つまりは名を明かす気が無いのだろうとヴィオランティ達に悟らせた。
「ふむ……確かにその通りじゃが、用件とは対象に関する情報の提供かね?」
「そうですね、ある意味そうだとも言える。
ですが、アレの討伐に来たと言うのならやはり伝えねばならないでしょうな。
アレは既に私が討ち果たし、今現在ファスターへの脅威は無いのですよ」
"漆黒"を中心に、どよめきがさざ波のように広がる。
「何……? 今、討ち果たしたと言ったか。
"私が"と言ったが、まさか災害個体と目されたほどの魔獣を一人で討ち果たしたと言うのかね?」
竜騎士達が驚愕に揺れ動く中、ヴィオランティは真偽を確かめるように目を細め、"漆黒"へと問い掛けた。
「災害個体……なるほど、あれが。
討伐せしめた事に関しては概ねその通り、と言って差し支えは無いかと。
無論、街から遠ざけようと戦った者達の功績を否定するつもりはありはしないが、彼らでは有効打を与えられなかったのも、また事実」
「ふむ……?
もしや、お主が『永遠なる影炎を駆る漆黒の貴公子』か?」
「おや、存じておられたか。
――如何にも。確かに私はこの街の者達からそのように呼ばれている」
そこに到るまでの経緯は様々だが、生存者達の話の最後には黒装の何者かがドレイクに痛打を浴びせ、東の林道を駆けていったという複数の証言が得られている。
そして、対象と直接対峙したという冒険者達からは詳細な対象の情報と、それを単独で引き受けたという黒鎧の男『永遠なる影炎を駆る漆黒の貴公子』、その行いと外見の特徴を聞かされていたのだ。
なるほど、とヴィオランティは心の内で納得する。
見るからに怪しげな出で立ちをした男だが、本名を明かさない以上、今その名を騙る意味はあまり無いだろう。
もしこの"漆黒"が本人であるなら、討伐したという話は生存者達の話した状況の推移ともある程度符号する。信憑性もあながち低くは無い。
「とはいえ、本題はこれからなのですよ。
討伐が目的であったと言うなら、それは既に果たされたはず。
ひいては散り散りになってしまった民衆の捜索に協力して頂きたい。
統率がとれ、機動力があり、更には空からの捜索も可能な貴方方であれば、より多くの者を保護する事が出来ると思い、こうして相談に参ったのです。
……本来であれば、貴方方のような精鋭たる竜騎士団に頼む事では無いのでしょう。
ですがファスターの領軍は今、まともに機能していないようなのでね」
実の所、それは僅かな手勢と共に未だ街に留まっていたファスターの領主からも頼まれていた事でもあった。
ドレイクが姿を消している間に保護し、纏まった避難をさせたい。と言う点で違っていたが。
ファスターの領主リーシウ・ゲーナ・ニルギリィはドレイクの出現を知らせる伝令を王都へ遣わせた後、逃げ出していなかった兵達を纏め上げる。
その兵のおよそ半数を避難者の護衛をさせて共に南のスィカーネクトへ向かわせ、もう半数は西門を出てからもスィカーネクトへ向かう事無く逃げ散ってしまった民衆の保護に向かわせた。
しかし集まった兵は本来の三割にも満たない少勢なのだ。
ただでさえ少ないそれを更に半数に分けてしまっては、捜索出来る範囲など高が知れている。
対単体の討伐隊であるが故に兵数がやや少なめであるものの、機動力に優れた天竜騎士団は領主からすれば救いの手に見えた事だろう。
だがその要請を受けた折、ヴィオランティは頷く事は出来なかった。
真偽が不確かであろうと、姿を消した災害個体という脅威は放置しておくには危険すぎる。
災害個体の討伐は、何よりも優先して果たさなければならない任務なのだ。
――眼前の"漆黒"は、それが既に果たされたのだと言う。
「……ふむ。
確かに、対象を討ち果たしたと言うお主の言葉が真であるのなら、儂らも捜索に協力する事は吝かではない。
じゃが、それが事実である事を確認するまでは、動く事は出来ん。
対象の死骸を回収しているなら、それを見せて証明してくれんかね」
「残念だが、それは出来ない」
「なに……?」
ゴウハルトを始めとして、これまで静観していた周囲のあちこちから訝るような声が洩れる。やはり嘘だったのではないか、と。
しかし、"漆黒"はそれを気にも留めないように言葉を重ねる。
「アレは、大きすぎるのですよ。
私の魔力も幾分かは回復したが、アレとの戦いで半分も残っておらんのでね。
アレを丸ごと取り込めるほどの影を展開してしまっては、半刻と持たずに底を突いてしまう。
……貴方方からすれば疑わしい事この上ないだろうが、死骸を直接確かめていただく他無いだろう」
ヴィオランティはしばしの間、黙考した。
正直に言って不審極まりない男だが、言っている事に筋は通っている。
もしも虚言であったとしたなら、その真意はどこにあるのか。
荒唐無稽な憶測であればいくつか思いつくが、分からない。
「――いいじゃろう、今から部下を向かわせる。
対象の死骸を確認し次第、捜索に協力させてもらおう。
ただ、それは見ただけでも対象であると分かるものなのかね?」
「ええ、あれは正しく災害を一個体で体言してると言えるでしょう。
アレは東の林道を抜けた先の谷底にあり、そこまで行けば一目でそれと分かる筈。私は一足先に捜索に行かせていただく」
その言葉を最後に"漆黒"の輪郭が揺らめいたかと思えば、既にそこには影も形も残されていなかった。
「ぬっ……むう、逃げられたか」
「……尋常ならざる使い手でありましたな。
貴殿にすらあれほど近くに来るまで気付かせず、更には周囲を騎士達に包囲されていながらも易々とすり抜けてしまうとは。
『永遠なる影炎を駆る漆黒の貴公子』と言ったか。冒険者だと申していたが……一体何者なのか」
"漆黒"の声から察せられた若さとは裏腹な、高い実力を窺わせる得体の知れない存在に、ゴウハルトは未だ緊張を残した声で疑念を零す。
「少なくとも風と影に阻害、複数の魔術に秀でている事は確かじゃろうな。
夜の闇に影の阻害が助けられた部分もあるのじゃろうが、儂の『風読み』にあの距離まで悟らせぬためには高度な身のこなしと風の魔術が不可欠であったはずじゃ」
このヴィオランティ、実を言えば『武具扱い:重槍』と『攻撃魔術:風』、二つのスキルをLv8まで取得している歴戦の猛将なのである。
彼の風の魔術と空間把握、気配察知を組み合わせた『風読み』の結界は、範囲内の非常に高精度な情報を術者に集め続ける。
"漆黒"にほんの10数メートルの距離にまで近付かれた事は、彼の『風読み』の能力を知っている者からすれば驚嘆に値する出来事であった。
「まああ奴については後でよい。素性も後々調べさせるとして、今は対象の死を確認する事が先じゃ。
儂の部隊から確認に向かわせるが、恐らくは真であると見ておる。
して、儂らは捜索の準備を進めておこうと思うが、お主らはどうする?」
「……そうですな、自分も同意見です。
こちらでも準備を進めておきましょう」
部隊を向かわせてから半刻と経たず、対象の死骸を確認したという報告が彼らの元へ齎される。
――それは確かに山のように巨大で、谷の底に横たわっているのが暗闇の中でも一目で分かったという。
騎士団長の二人はその報告を契機として各部隊へと矢継ぎ早に指示を出し、逃げ散った民衆の捜索を開始した。
一部の者達は点在する村々に身を寄せていたが、大半は恐怖に駆られて脇目も振らず通り過ぎており、遥か遠方の街にまで辿り着いている者までいたという。
村人達も避難を促されてもぬけの殻となっている村もあり、肉祭り当日であった事も重なって避難民の数は膨大である事が予想され、捜索は一週間に亘って続けられた。
新キャラ出すと口調が安定しなくて困るです、特に漆黒さん()
ちなみに老竜人さんは歳を重ねているだけあって、相性的に護に勝てないまでも負けないくらい強かったりします。
とはいえ、護のような危なっかしい戦闘をするわけではないので、仮にドレイクと戦う事になっていたとしても、倒すのにかなりの時間が掛かったと思われます。




