第9話 初依頼
護が向かった先にある掲示板は三つあり、そのうち二つはブロンズとブロンズ+の依頼で埋め尽くされている。
残りの一つがアイアンとアイアン+だ。
そことは別の場所にシルバーからゴールド+までの掲示板もある。
プラチナとなると依頼がある事の方が少ない。というより、そもそもプラチナランクの冒険者がいない街の方が多い。
ブロンズランクの依頼は街中の雑事が多い。ブロンズ+で草原での採取依頼がいくつかある程度だ。アイアンランクになってようやく森での討伐依頼や採取依頼がある。
いくつか他の冒険者が取っていった依頼の中から、草原での採取依頼を剥がして受付カウンターに向かった。
どれだけスキル取得に熱中していたのか、もう大体の冒険者は依頼に向かっていて、受付前の列はまばらだ。勿論護が並ぶのはあの小柄の受付嬢のところだが。
依頼書と共にギルドカードを提出し、依頼の受理が完了する。
「初めての依頼、頑張って下さいね。薬草の知識が無いなら、あちらの部屋に資料があるので、確認していって下さい。
それと、森に近付きすぎると獣や魔物に襲われる事もあるので、注意して下さいね」
ここで言う薬草の知識とは、何もスキルに限った話ではなく、個人で蓄積した知識も指す。
スキルが無くても剣は振れるし魔術も使える。
個人での鍛錬でスキルと同等以上の技術や知識を身につけることも可能なのだ。
実際、ポイントの溜まりにくさからスキルに頼らず、その実力のほとんどを鍛錬で身に着ける冒険者も少なからず存在する。
ただ、一定の実力に達した時にぶつかる、才能の壁、とでも言うのだろうか、そういった成長の限界をぶち破るのに、スキルはとても有効だ。
実力の伸びに限界を感じた者、望む将来に対して無才な者にとって、スキルはまさに神から与えられた恩恵となるのだろう。
護は知識に関しての問題は無いと告げ、受付嬢の忠告に頷き、逸る心を抑えて草原へと向かっていった。
今回の採取対象は、道具屋で購入した軟膏にも使われているコチウ草という薬草だ。
その効能と音の感じから、小治癒草などとも呼ばれることがある。
この薬草は繁殖力は普通だが、生命力はかなりのもので、根さえ残っていれば根元から千切っても一週間もあれば元通り再生する。
軟膏に使うのは葉っぱで、その部分だけなら二日でまた採取出来るようになるため、そんな横着な事をする冒険者はそうそういないが。
ファスターに三つある門のうち、東にある門を抜ける。街に来た時にくぐったのはここだ。
「お、どうやら無事冒険者になれたみたいだな。これから初依頼ってとこか?」
門を抜けた先で、見覚えのある顔に出会う。門番のゲートルだ。
「登録したてじゃあ、まだ戦闘スキルも持っちゃいないだろう? くれぐれも森には近付きすぎるなよ、また獣に襲われちまうぜ」
依頼の内容を告げる護に対し、ゲートルはまだ体に馴染んでいない装備を見て、受付嬢と似通った忠告をしてくれる。
もうスキルをいくつも持っているが、吹聴してまわるつもりもない。護は素直に頷いてその場を後にした。
草原に生える草の高さは、足首までの場所もあれば、腰に届くほどの場所もある。[素材知識:植物]で得た情報を元に、小治癒草を探す。が、見つからない。
手慰みに手元で生活魔術をいくつか試していく。そんなことをしていれば尚更目的の物など見つからないだろうに、いつしか依頼そっちのけで魔術に夢中になっていた。
一通り簡単な魔術を堪能したところで、視界の隅に小治癒草を見つけ、ようやく本来の目的を思い出し、必要な数だけ葉を集めていく。
――小治癒草を袋にしまい、さあ帰ろうと立ち上がった、その時だ。
ガサ、と茂みから音がした。
(嫌な予感がする。どうして、まだ森からは遠いはず)
そしてふと気付く。目と鼻の先に森があることに。
気もそぞろに草原を歩いている間に、森の近くまで来ていたのだ。
(くそっ、なんで! 気配察知は、空間把握はどうしたんだ!)
確かに気配察知は気配の感じ方を理解できるし、空間把握はLvに応じた範囲の空間を把握しやすくなる。だが、それは自動ではない。
やり方は理解出来ても、それを意識的に行わなければ意味がないのだ。
急ぎ小剣を引き抜き、盾を構える護、先日襲われた恐怖を思い出したのだろう、その手は小刻みに震えている。
(いや、大丈夫なはずだ。駆け出しとはいえ戦闘スキルだって取ったし、魔術だってある!)
武器を構えた護に刺激されたのだろう、猛然とそれは襲い掛かってきた。
スキルにより剣の腕はシルバー相当かもしれない、だが恐怖で及び腰になった人間が、その腕を発揮できるだろうか。
咄嗟に剣を振るが、当たらない。逆に剣を持つ腕に噛み付かれてしまう。
「あっ!」
かろうじてその牙が手甲を貫通する事はなかったが、衝撃で剣を落としてしまった。
噛み付き続けても効果が薄いのを理解しているのだろう、それはあっさりと腕から離れた。もし噛み付いたのが首ならば、その息の根が止まるまで離れる事は無かっただろう。
それは、中型犬サイズの茶褐色の獣、そう、忘れるはずも無い、先日護を襲ったばかりの狼によく似た獣だった。
獣は逃がした獲物の臭いを覚えていたのかもしれない、森に近づいた獲物を貪るため、その臭いを追った先に見つけた護に襲い掛かったのだった。
「なんでっ、なんでだよ! くそっ。……駄目だ、逃げないと」
その鋭い爪に、尖った牙に、その逞しい体躯に勝つビジョンを見出せず、護は即座に逃亡を決める。その脳裏には魔術の事など欠片も出てこない。
後ずさりする護に対し、獣は今度は逃がさないとばかりに護を押し倒し、押さえ込んでその牙で首筋を狙う。
「うわっ、うわあああああああ!」
護の心にはもう一欠けらの冷静さも残っていない。完全にパニック状態だ。無意識のうちに腕で首から上をかばいつつ、必死に獣の下から這い出ようとする。
「う、やだ、いやだっ! 死にたく、ないっ、死にたくない!!」
パニックになりながらも、護はある一つの決意を思い出す。
(……そうだ、俺は決めた、決めたはずなんだ。
この世界を、全力で楽しむって。全力で生きるって!)
「――だから!」
「どけよおおおおお!!」
まだ離していなかった盾を思いっきり獣の頭部に叩きつけた。
ドガッ、と鈍い音を立てて弾き飛ばし、護は獣に逆襲する。
「うああっ! うああああああああああっ!!」
それには技術の欠片も無い、ただひたすらに殴る、殴る、殴る。
「ぜえっ、ぜっ、ぜぇ、んく、……はぁ、はぁ」
気が付くと、護は荒い呼吸をしながら、むせ返るような血臭と、辺り一面に飛び散った血溜まりの中に座り込んでいた。
獣の頭部はとうに原形をとどめていない、そこにあるのはぶちまけられた脳漿と、潰れた目玉、砕けた頭蓋の欠片だ。
盾はへこみ、歪んでいるし、手甲を補強していた板金はひしゃげ、かろうじてぶらさがっている。拳は腫れ上がっていくつか白い骨片が突き刺さっているが、痛みを感じない。
「はぁっ……ふぅ。なんとか、生きてる」
呆然と呟く護。
自らの身体を確かめ、鼓動を確かめ、そこに確かな生を感じて束の間、涙した。
落ち着いた護は辺りの光景に気分を悪くしながら、獣の遺骸はそのままに、少し離れた場所に落ちていた小剣を回収する。
幸運にも、まだ獣達が血臭に誘われて姿を見せていない。急ぎその場を後にする。
まさかのちーとなんてなかった展開!