モノローグ-父の幻影-
僕は、父を一度も見たことがない。
母曰く、父は家に帰ってきてくれないらしい。母は悲しそうにそう言っていた。だから僕は、母と二人で長く暮らしていた。
母の葬式の時にも、姿を表さなかった父。
だが、来なかった父は恨んだりしていない。
――どこに知らせたらいいのかわからないのだから、来るはずがない。
それに、いくら血がつながっているとはいっても、会ったことがないので赤の他人のようにしか感じないだろう。
僕は母の遺品を整理する。
母は几帳面な性格で、様々なことを日記に記していた。昔、どこかの研究所で働いていたときの癖だと言っていた。その母の記したものには、愛が感じられた。
兄と同じ名前を弟につけるという、どこか狂ったような母ではあるけれど、そんな母でも、僕にとってはかけがえのない唯一人の母だった。
母の遺品の整理を始めて数日後、僕は見つけてしまった。知らないでいた方が幸せだったであろうものを見つけてしまった。この母の遺品がきっかけで、「自分が何なのか」という僕の抱える悩みが、その苦悩が、さらに深く泥沼に沈んでいく事となる。
見つけてしまったもの、それは僕の父が死んでいたと言う証拠。
――父が死んだと知らせる一通の手紙。
父は僕が生まれる3年も前に死んでいた――
人は十月十日、約1年かけて生まれてくる。
つまり、僕が生まれる3年前に死んだ父からは、僕が生まれるわけがない。僕は、母が父だと言った人の子供ではありえないのだ。
父の死を知らせる手紙とともに見つけたのは2冊の「リダの成長日記」。
1冊目には、かわいい赤ちゃんの写真や家族三人で写った写真が貼ってあり、幸せいっぱいの文字にあふれていた。しかし、その日記は途中から白紙になった。
成長を記録する対象が、いなくなったのだ。
これは兄の記録。
僕の記録ではなく、兄の記録。
僕は、そこに存在していない。
僕は、もう一冊の日記をめくった。
これは、僕のものだ。
僕の生きた証なのだ。
僕の成長日記は、受精卵の時から始まっていた。
成長日記というよりは、研究日誌といったところだろう。
兄が死んだ数日後から始まるその記録は、狂喜に満ちていた。
僕の母は科学者だった。
小さい頃はよくわからなかったが、今ならよくわかる。
僕の母は確か――クローンの研究をしていた。
日記には難しいことが書いてあったが、これだけはわかる。僕は間違いなく、人工的に生まれた存在だった。
もしかして……僕は兄の細胞をつかってつくられたクローンなのではないか。そう疑惑が浮かび上がる。
僕は本当に、兄の代わりに生まれたの?
僕と同じ顔、僕と同じ体、僕と同じ名前。僕は兄と同じなのだろうか。
僕はここにいるのに、兄だけが、兄の存在だけが、そこにある。
僕は母の中に存在していたのだろうか。
僕は兄なのだろうか?
僕はだれ?