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蒼穹の孤独  作者: 小田マキ
第一章 規格外の救世主
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 魔法王国ガルシュが首都テルベラより北西に位置する聖地ロラメットには、雲を貫くうずたかき塔があった。建国より以前からあったその塔は『時の塔』と呼ばれ、どこまでも継ぎ目のない八枚の石壁を隣り合わせて建てられている。石壁の厚みは人一人程度であり、斯程の高さでありながら、いかな天災が起ころうとも崩れることはなかった。神の手によって建てられたものに違いないと、その神秘に惹かれるようにして人々が集まり、ガルシュという一つの国となったという逸話が残されている。


 八角形の内部は大の大人が二十の歩数で横切れるほどの、ただの一間の空間でありながら、飾り気のない外壁とは裏腹に、眩く鮮やかな装飾が施されていた。内壁には、中に立つ者達を囲むように、大小複雑に砕かれた様々な色の輝石で、螺鈿細工のごとき精密な図が描かれている。


 赤銅色の波打つ長い髪に褐色の肌、湖面のような深緑の双眸をした人型の存在。


 大人の人の身の丈に比べ、優に十倍はあるように見える壁画の像は、似せているのか、それとも人間の方がその者の姿に似ているのか……同じ種族と呼ぶには、いささか差異が多かった。額には第三の目があるように暗緑色の輝石がはめ込まれ、先端の尖った長い耳と、そのうしろからは雄牛のそれのような、漆黒の角が生えている。さらに、紫紺の毛細血管のような文様が右目の下の頬から首筋を伝い、そのまま全身を覆っているらしい……断言できないのは、入れ墨のような文様で甚だ見辛いものの、鎖骨の下あたりから襤褸布ぼろぎれのような灰色の外套をまとっているように描かれているからだ。胸もとが盛り上がっていることから、性別は女性であると知れるが、外套の裾から覗く四肢にはそれぞれ五本の長い鉤爪を持っていた。


 光り輝く宝石を使って描かれていながら、神が造ったという謂れがありながら、見る者に何とも薄気味悪く不吉な胸騒ぎを覚えさせる、まさしく魔物の壁画だった。その像を越えた遥か上空には、建造物の中だというのに真っ黒な雲で覆われ、音もなく黄色い稲光が走っている。その光を受けて輝石は輝き、より一層不気味に像を浮き上がらせていた。


 稲光や輝石と様々な色合いが混ざり合った光を浴びる中央の石畳の上には、一本の黒い線で描かれた、塔の形と同じ八角形の魔法陣がある。そして、それを取り囲むようにして等間隔の壁面の前には、まるでエリアスルート創造の神々をなぞらえるように、人種も文化も異なる八人の人物が立っていた。


 壁画を正面から望む、他者よりも一歩中央に歩み出た位置に立つ金髪碧眼の青年は、魔法大国ガルシュが宰相補佐官であるユーシス・ヴァン・カルチェ。浅緑色のローブに、数多の小さな丸い銀の鈴を鎖で繋いだ漆黒の錫杖を携えているのは、彼が類稀なる一級の魔導の力を有し、王宮付き魔術師も兼任しているためだ。


 その向かって右隣の壁際には、他国の出身でありながら、ガルシュの近衛隊長を務めるアルフレインが至極厳しい表情で正面を睨みつけるように立っていた。エリアスルートでも珍しい銀の髪と双眸を持つ彼は、優れた身体能力を持つオルガイム人である。


 アルフレインの正面に位置する壁際に立ち、無表情に彼の鋭い双眸を受け止めるのは、海港国リゾナの陸軍隊長ディゾ・リーリングである。この場で一番の長身である彼は、短髪の白い髪に、隻眼は血のように赤かった。戦火で顔の左側を焼かれて失明しており、眼帯代わりに片顔だけを覆う漆黒の仮面をつけている。ひどく整った顔立ちだったからか、鑑賞に堪えない醜い火傷跡を晒すのがよほど嫌らしく、額に革のベルトを二重に巻いて完全に固定していた。何より、その背に負う人の身の丈ほどもある長剣が、その存在の不気味さを引き立てている。魔物がその爪を広げたような形をした柄に埋め込まれた魔導石が放つどす赤い光や、彼の手によって数多の人々の血を啜った経緯より、禍々しき魔剣と噂されていた。


 その左隣には、同国の海軍隊長ファルカス・ヴェルナード。かつてはエリアスルートの海の覇権を一手にした海賊集団であったリゾナ人特有の褐色の肌に緑の髪と暗い鳶色の目をしている、屈強な男だった。リゾナ王の実弟である彼は、近頃まで実質お飾りのような扱いだった陸軍と、それを統べる傭兵上がりのディゾを毛嫌いしており、今も反目を示すように小さく身を背けている。


 さらにファルカスの隣には、この場では最年長である香彩国ホリドゥラの王立騎士団長と副団長をそれぞれ務めるダリル、ベインのザンス兄弟が並び立っていた。白髪混じりの亜麻色の髪と目、そして豊かな口髭を蓄えた彼らは双子である。筋肉のつき方から身体運びまで同じ、長年つき従った騎士団員達でも時折両者を見間違えるほどに酷似していた。戦術家としてもその名を馳せており、『ホリドゥラの双炯眼』の異名を持つ二人だ。


 二人の正面に立つのが、他二ヶ国の代表達である。


 黎国シッキムの近衛隊長は、小柄だががっしりとした重厚感のある体格をしていた。雪国であるがための薄い金髪に緑の目、抜けるような白い肌がやや蒼褪めて見えるのは、隣に立つのが『白き死神』を自称し、戦地では情け容赦なく敵軍を切り捨てるリゾナ陸軍隊長だからだろうか……一度、彼一人に率いていた一部隊を皆殺しにされた経験があるのだ。


 その右隣、ユーシスとも隣り合っている紅一点の聖雷国パルシャードのリティア・ミドルトンは神子姫と呼ばれるパルシャードのミメイ神殿の神官長であり、聖獣使いだった。若い娘に見えるが、聖獣使いは他の人間と違って身体のときの流れが至極緩やかであるため、ホリドゥラの代表二人に次ぐ年齢らしい。染料で染めた紫の髪に、青紫の瞳はどこまでも穏やかで、唯一その実年齢を感じさせていた。


 そんな現存するエリアスルート五ヶ国の代表達が、ここ『時の塔』で一堂に会しているのは、深い事情があった。


 彼らはそれぞれ、同時に神の神託を受けていたのだ。





『地上を覆う凄惨な戦乱に終止符を打ちたくば、【時の塔】よりいずる救世主を得よ』





 白昼堂々、何の前触れもなく、執務室、訓練場、戦地に神殿その他、各国地域のばらばらな場所にいた者達すべての前に同時に現れた、金色こんじきの使者……それは天上界に住まう創造神が地上へ下した神託だと言った。


 そんな怪しげなものを即座に鵜呑みにしたわけではなかったが、神託を受け取った直後に天上界にまで届きそうな、果て知れぬ『時の塔』に異変が起こったのだ。遥か上空で、その他の場所は晴天であるにもかかわらず、真っ黒な雷雲をまとい、音のない稲光を周囲に放ち始めた。


 八年前に始まった地上を覆い尽くし、肥大していくばかりの戦乱……その首謀者である人知を超えた力を手にした飛行帝国クラウディアの猛攻を受けた折にも、傷一つつけられなかった神が創造した塔に起こった怪現象に、報告を受けた各国の統治者達は軽々しく神託を捨て置くわけにはいかなくなった。


 そして、金色の使者の指示通りに、神託を受け取った五人をそれぞれの国の代表者として、『時の塔』に派遣したのだ。


 しかしながら、神託を心より信じる者はこの場に一人としていなかった。本当に救世主が現れるのかも、それがどれほどの力になるのかも半信半疑、それでもこの明らかに人外の手によって引き起こされた怪異を見過ごすのは下手だ……あわよくば戦乱を収め、地上の覇権をも手にする糸口を掴むため、人々は集まっていた。





「……来ますっ……!」





 不意に、リティアが短く叫んだ。神の眷族である聖獣をその身に宿すことのできる聖獣使いである彼女は、場に漂い始めた神気に気付いたらしい。


「……そのようですね」


 錫杖を構え、眉間に微細な皺を寄せたユーシスも応えるように言った。


 すべての視線が中央の魔法陣に油断なく注がれる中、雷雲の中に停滞していた稲光の一条が、音もなく陣の真ん中に突き刺さる。


「なにっ……!」


 途端、巻き起こる旋風と白煙に皆がたじろぐ中、翻る青いマントも気にかけず、ディゾだけが殴りつけるような風圧に負けることなく見開いた一つ目で事象を見極めようとしていた。


 煙の向こうでは、石畳から何か植物のようなものが伸びゆくように、黒い影が急速に立ち上がっていく。


「……神が作った、救世主か」


 暴風に紛れるようにディゾが小さく吐き出した声には、殺気が潜んでいた。その手が、背中の魔剣にかけられる。


「ディゾっ……!」


 彼の放つ殺気の行き先に逸早く気付いたアルフレインは、怒声に近い呼号を上げた……が、ディゾは構わず剣を抜き、誰にとめる暇も与えず、魔法陣の中の目標物に向かって振り下ろした。





 白煙は血飛沫で赤く染まり、辺りには断末魔の悲鳴が響き渡る。





『……っ、……あっぶなっ……』





 皆が想像した惨劇は、刃が触れ合う甲高い音と、噛み締めた歯の隙間から漏らしたような声によって一蹴された。


 吹き荒れる強風は去り、ディゾの顔に初めて表情が生まれる。その手から伝わったビリビリした振動は、己が放った一打が受け止められたことを告げている。手加減など一切していない……悲鳴以外の声など上がらないはずだ。眉間に皺を刻んでも、この手に受けたものが肉を切り裂く感触に変わることはなかった。


『何なんだ、いきなり! ふざけんなっ、殺す気か……!』


 さらに刃は横に弾かれ、意味不明な言葉で怒鳴りつけられるとともに、二人の間に漂っていた白煙をかき分けて伸びてきた手に胸倉を掴まれる。大きな動きに視界を遮っていた煙の層は一層希薄になり、そこに立つ者の姿を明らかにした。


 ディゾの苛立ちに覆われた顔が、驚愕に染まる。





「アイリス人、か……?」





 吐息さえ感じるほどの距離、長身の自分を頭一つ低い位置から睨めつけていたのは、闇夜の双眸だった。





    * * *





 ごく普通に生きていればおよそ体験できない状況、全身を素粒子にまで分解され、再構築される気分を他の何かに置き換えるとしたら、素肌に少し食い込むくらいに爪先を押しつけられ、ツーッと撫で上げられる感じ……それが一番近い。痛くも痒くもないが、決して愉快だとはいえなかった。


 大体、心がまだ割り切れていない。


 頭に浮かぶのは幼馴染、弥生の顔……彼女は、もう自分のことを覚えていないだろう。それが世界の修正力というやつらしい。


 そして、それは忌々しいことに冴自身にも作用し始めている。自分を監視する役割を終えた弥生のように地球界での記憶が消えてしまうわけではなく、もう一つの世界の知識が新たに補完されていくという形で。


 冴が生まれた世界エリアスルートは、科学よりも魔法が発達したところだ。文化は中世ヨーロッパ、イスラム世界のような文化が入り乱れて、まさに地球界の人々が思い描いたお伽話や夢の世界といったところだろうか……異界の創造神達も今回の自身のケースのように、接触を持ったり、取引をしたりもするようだから、互いの世界について情報交換が行われ、知り得た異界の文化をそれぞれの世界に反映、浸透させるといった作業もあるのかも知れない。


 今、エリアスルートは長きにわたる戦乱によって滅びゆこうとしているのだ。ある強大な一国家の猛攻により、ここ八年の間に数十あった国は五ヶ国にまで減っていた。


 かつて、他国と同じ地上に築かれていたクラウディアは、自国の豊穣な大地が魔力を帯びていることに気付いた。地上の人々に自治を許した神々が、繁栄を願って自然物の中に残していった力が、そこには強く息衝いていたのだ。結晶化して形を持つようになったそれは魔導石と呼ばれ、クラウディアは奇しくも巨大な魔導石の一枚岩の上に国家を築いていたのである。サクリファと呼ばれたその魔導石は別名を万能石といい、土を豊かにすることはもとより、ありとあらゆる物の力を高める効用があった。クラウディア人は、無尽蔵、無期限の力に気付いてしまったのだ。


 欲に駆られた民達はサクリファを掘り返し、空を飛ぶ巨大な箱舟を造った。クラウディアこそは地上の覇者であると、その名を飛行帝国と改め、地上に残された国々に一方的な宣戦布告をしてきたのだ。彼らの武器は一撃で一国を滅ぼすほどの威力を持つ電磁波兵器と、硬い鉱石の体を持った殺戮兵団、そのすべてがサクリファで特化されており、地に根を張った他国には逃れる術がなかった。そんな膨れ上がった慢心はとうとう天上界の神の怒りを買い、クラウディアを排斥するための地上の救世主に、冴が選ばれたということらしい。


 冴にしてみれば、迷惑でしかない話である。


 自分一人に、一体何ができるというのか……すべての事情を隠され、平和な地球界の日本で育てられた冴には、使命感に燃えないのはもとより、本来の己の世界エリアスルートに対する愛着もまったく浮かんでこなかった。脳につけ加えられた事実は、学生時代に授業で習った世界史の教科書の一ページと同列の知識で、まるで絵空事だ。いずれ世界を救うために戦うんだ、そう幼い頃より教育してくれていればよかったのに、これではただの騙し打ちだ……始めから説明されていれば、弥生とももっと適度に距離を置いていただろうし、最後の最後で困らせることもなかった。


 不意に胸が痛み、少し前に再構築された右手を握り締めると、重厚感のある感触にまだ出来上がっていない脳に疑問が生じる。


 やや遅れて取り戻した眼球をそちらに向けたら、真っ白な靄に巻き込まれた自身の身体と、その右手が握り込んでいるものの正体が明らかになった。





 日本刀……それも、正宗だ。





 地球界では実家剣道場の道場主であり、刀剣収集家でもあった兄……エリアスルートでは戦の神サスキアであったらしいが、彼があらゆるコネを使い、湯水のごとく金銭を支払って手に入れたものに間違いなかった。己と同じ名前でもあったゆえの執着かと思っていたが、まさかこんなことに使うために、一般のサラリーマンの生涯年収を優に超える金額を使ったのかと思うと、怒りが湧いてくる。


 大体、自分に関係するものは根こそぎ消去されるのではなかったのか?


 当時は、手に入れるための馬鹿馬鹿しいほどの労力を補って余りある、造られて五百年以上経っていながらも衰えない刃の美しさに、冴も感動したものだった……けれど、今となってはこんなものよりも、卒業証書の方がよかったと思う。


 この美しい刀は自分と同じ、戦争の道具だ。


 収まりのつかない苛立ちに支配されて熱くなった冴の脳に、ピリリと電流が走る。深く考えるより先、一瞬前まで怒りを覚えていた相手に教え込まれたとおりに身体が反応した。衝撃を予期して腰が落ち、右手が柄に入ったままの刀を頭上に構える。


 違わず脳天に叩き込まれた一打を間一髪、受け止めた甲高い音が周囲の白い靄を吹き飛ばす。すぐそこまで迫っていたのは、鋭くも禍々しく輝く漆黒の刃……かつてない衝撃が、右手を伝って脳まで揺らした。





「……っ、……あっぶなっ……」





 紛れもない殺気……噛み締めた歯列を割って、そんな声が漏れた。


 危うく拾うことのできた命、ホッとするとともに再燃する怒りはもう止められなかった。


「何なんだ、いきなり! ふざけんなっ、殺す気か……!」


 いまだその腕でせめぐ刃を弾き飛ばした冴は、今までの憤懣をすべて込めた怒声を上げた。そして、ぼんやりと焦点を刻み始めた襲撃者の胸倉を掴んで引き寄せる。





『アイリス人、か……?』





 脳内補正された言葉を吐き、ひどく驚いた様相を浮かべたのは白髪隻眼の男……救世主と死神の初めての対面だった。

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