終電
「起きて……起きて!」
呼びかける声が聞こえ、私はどうにか目を開けた。
「……寝てしまったのか?」
今日は会社の残業で、終電に乗るのがやっとだった。
目の前の車内はがらんとしていて、ほかに人影は見当たらない。
頭上の照明が何度か点滅し、やがて正常に戻った。
何度か瞬きをすると、ぼやけていた視界がようやく焦点を結んだ。
向かいの座席には、古めかしい制服を着た少女が座り、にこにこと私を見つめていた。
「やっと来たね。三十年も待っていたんだよ」
私は戸惑いながら少女を見つめた。頭の中はまだぼんやりとしていた。
少しでも頭をはっきりさせようと、私は首を振った。
「君は……? それに、三十年も待っていたって?」
時代錯誤な旧式制服はともかく、彼女の見た目は三十歳にはとても見えなかった。
目の前の少女に見覚えがないのは確かだ。
それなのに、心の中には言いようのない懐かしさが満ちていた。
「私?」
彼女は立ち上がり、両手を広げてくるりと一回転した。
ひとつに束ねた長い髪が私の目の前をかすめ、懐かしい匂いが鼻をくすぐった。
それでも、記憶の中から該当する人物を思い出すことはできなかった。
「思い出せない?」
彼女は両手を後ろに回し、私の表情を覗き込んだ。
「うん」
私は正直に頷いた。
「じゃあ、ヒントをあげる」
彼女は目を細め、人差し指を立てた。
「あの火事のこと、覚えてる?」
もちろん覚えている。おそらく、一生忘れることはないだろう。
「……君は一体、誰なんだ?」
私は少し警戒しながら尋ねた。
あの日、私は遊びに夢中になり、帰るのが少し遅くなった。
家の近くまで戻ってくると、騒がしい人だかりと何台もの消防車が目に入った。
そして、猛火に包まれたアパート。
一瞬にして、私は大切なものをすべて失った。
両親、姉、そして慣れ親しんだ家。
唯一、救い出すことができたのは、姉が飼っていた猫だけだった。
私はその猫を連れて、祖父のもとに身を寄せた。
あのつらい日々の中で、あの子はずっと私のそばにいてくれた。
けれど、猫の寿命は人間よりも短い。
あの子も、ずっと昔に私のもとを去ってしまった。
「これでも思い出せない?」
少女はごく自然に隣へ移り、気だるげに私の膝に頭を預けた。
「おい!何をしてるんだ?」
私は慌てて尋ねた。
しかし、彼女はまるで気にする様子もなく、私を見上げた。
「ふふん」
手を伸ばし、私の頬をそっと叩く。
その手のひらは温かく、柔らかかった。
「本当に鈍いんだから」
列車が激しく揺れ、私は危うく床に転げ落ちそうになった。
車両の外から、耳障りな摩擦音が響いてくる。
「うおっ!?」
私は驚きの声を上げた。
「そろそろ時間だね」
彼女は身を起こし、座り直した。
「ほら、早く降りて。次はもう終点だよ」
「でも、私は……」
まだ最寄りの駅に着いていないし、目の前の少女が一体誰なのかも分からない。
本当に言われたとおりに降りていいのだろうか。
けれど、言葉が喉につかえてしまい、最後には一言だけが口をついて出た。
「……君は?」
「私には私の行くべき場所があるからね」
彼女はまるでハエでも追い払うように、ひらひらと手を振った。
ちょうどそのとき、電車が駅に到着した。
私は電車を降りた。
少女は私を見つめ、ゆっくりと瞬きをした。
金色の瞳が夜の闇の中で輝いていた。
「まだこっちに来ちゃダメだよ」
ドアが閉まった。
私は駅のベンチに座り、まぶたがひどく重くなるのを感じていた。
遠く彼方から、耳をつんざくような音が聞こえてきた。
ドンッ!
大きな衝撃音。
そして、意識はついに眠気に抗えなくなり、闇へと沈んでいった。
「お客様!……お客様!」
目を開けると、心配そうな顔をした駅員がいた。
「お客様、大丈夫ですか?」
「あ、はい、大丈夫です」
私は立ち上がり、ずっと駅のベンチで眠っていたことに気づいた。
「あの……」
駅員が恐る恐る口を開いた。
もしかして、昨日からここにいらっしゃったんですか?
「ああ、昨夜の終電ですが……何かあったんですか?」
私は不思議そうに尋ねた。
「そ、そうでしたか」
駅員はほっとしたように、無理に笑みを浮かべた。
彼の話によると、昨夜、電車が制御不能になったらしい。
終点で、凄惨な事故が起きたという。
「お客様、運がよかったですね」
駅員のその言葉に、私は何も答えなかった。
ただ、複雑な笑みを浮かべた。
ふと、垂れ下がった指先に何かが触れた気がした。
あの頃と同じように、あの子は私のそばを通るたび、そっと体を擦り寄せてきた。
「……そうですね。本当に……運がよかったです」
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