あなたたちが命を懸けて守った日本で――いま、少し戦争を考える。
※この文章は、十年前の二〇一六年八月十五日にブログへ掲載したものを、現在の私の言葉で加筆・修正したものです。
※戦争や重い話が苦手な方は、閲覧をお控えください。
昨日は、八月十五日でした。
十年前の八月十五日、私は三本の戦争映画を借りてきて、続けて観ました。
――◇――
――七十一年前。
一九四五年八月十五日。
昭和天皇の玉音放送によって、日本がポツダム宣言を受諾したことが国民へ伝えられました。
私は戦争を知りません。
戦争について語れるほど、歴史に詳しいわけでもありません。
なぜ日本が戦争を始め、なぜ途中でやめられず、あれほど多くの犠牲者を出すまで続けてしまったのか。
その複雑な事情を、私は人に説明できるほど勉強してきませんでした。
だから、戦争の是非や責任について、何かを断言するつもりはありません。
ただ、三本の映画を観て、一人の人間として感じたことがあります。
◇
三本の映画。
・硫黄島の戦いをアメリカ側の視点と戦後の苦悩から描いた『父親たちの星条旗』。
・同じ島の戦いを、地下壕に追い詰められた日本兵の視点から描いた『硫黄島からの手紙』。
・そして、沖縄へ向かう途中で沈んだ巨大戦艦と若き乗組員たちを描いた『男たちの大和/YAMATO』。
この三本を同じ日に観ました。
敵にも味方にも、故郷に大切な家族がいて、生きて帰ることを望んでいた普通の人間がいました。
勝ち目のない戦場へ送り出された若者たちが最期に想っていたのは、お国のための栄誉ではなく、残していく家族や故郷のことでした。
硫黄島が落ちれば、次は沖縄。沖縄の次には、日本本土がある。
一九四五年三月、硫黄島で日本軍の組織的な戦闘が終わりました。
四月には米軍が沖縄本島へ上陸し、十分な航空援護もないまま沖縄へ向かった戦艦大和も沈みました。
五月にはドイツが降伏しています。
そしてその八月、広島と長崎へ原子爆弾が投下されました。
三本の映画を続けて観ながら、私は率直に思いました。
「もう、日本の負けじゃん」
歴史を知っている今を生きる私たちには、その後に何が起きるのか分かっています。
けれど、あの時代を生きていた人たちは、その先を知りません。
明日、戦争が終わるのか。
来月まで生きていられるのか。
自分が死んだあと、家族は無事なのか。
そもそも、日本という国が残るのか。
何も分からないまま、目の前の一日を生きていたのだと思います。
◇
戦争を、自ら仕掛けてはいけない。
けれど、大切なものを守るために、戦わなければならないときもある。
戦争を知らない私にも、それだけは言えます。
日本は戦争を始め、戦線を広げました。
その結果、日本人だけではなく、日本が戦場にした国々でも多くの命が奪われました。
正しさを掲げて始めた戦争であっても、そこで死ぬ一人ひとりには、それぞれの人生があります。
親がいた。
妻や夫がいた。
子供がいた。
好きな人がいた。
戦争が終わったら、帰りたい場所があった。
家族や国を守るため、自ら戦うことを選んだ人もいたのでしょう。
本当は戦いたくなかった人もいたと思います。
何が正しいのか分からないまま、命令に従うしかなかった人もいたはずです。
好むと好まざるとにかかわらず、多くの兵士たちが戦争へ巻き込まれ、帰ることができませんでした。
空襲や原爆、沖縄の地上戦によって、戦うための武器さえ持たない多くの人も亡くなりました。
その人たちが何を思って死んでいったのか、今の私には分かりません。
「国のため」だったのか。
「家族のため」だったのか。
それとも、ただ生きたかったのか。
一人ひとり、違っていたのだと思います。
◇
私は、戦争で亡くなった人たちが犠牲になったから、今の平和な日本ができた、と単純に言いたいわけではありません。
もっと早く戦争を終わらせられていたら、助かった命があったはずです。
生きて帰りたかった人たちを戦場へ送り続けたことまで、美しいものにしてはいけないと思います。
それでも、一つだけ、私に言えることがあります。
あの時代を生きた人たちの先に、今の日本があります。
戦場へ向かった兵士も。
帰りを待ち続けた家族も。
焼け野原から立ち上がった人も。
亡くなった人も、生き残った人も。
その人たちが生きた時代の続きに、今の私がいます。
七十一年前の人たちが見ることのできなかった夏を、私は生きています。
蝉の声を聞きながら、冷たいものを飲み、暑いと文句を言い、家へ帰れば家族に会える。
明日も今日と同じ日が来ると、当たり前のように思っています。
けれど、その当たり前がなかった時代が、本当にありました。
◇
あなたたちが命を懸けて守った日本が、今のこの日本だったのかは分かりません。
あなたたちが未来へ残したかった日本に、私たちはできているのでしょうか。
今の私たちが、あなたたちに望まれたような人間になっているのかも分かりません。
胸を張って、
「あなたたちが守った未来は、こんなに立派な国になりました」
と言える自信もありません。
それでも、私は今、ここにいます。
あなたたちが帰ることのできなかった場所で暮らし、あなたたちが迎えることのできなかった八月十五日を生きています。
三本目の映画を観終えたあと、テレビの画面は暗くなりました。
私はDVDを止め、いつもの日常へ戻りました。
外は、相変わらず暑いし、蝉が鳴いています。
喉が渇けば冷たいものを冷蔵庫から出して飲み、お腹が空けばレトルトをレンジで温めて、夜になれば家族と一緒に屋根の下で寝る。
映画の中で続いていた戦争を、私はテレビの電源一つで終わらせることができました。
けれど、あの時代を生きた人たちは、戦争を途中で止めることも、巻き戻すことも、画面の外へ逃げることもできませんでした。
『父親たちの星条旗』にも。
『硫黄島からの手紙』にも。
『男たちの大和/YAMATO』にも。
そこにいたのは、最初から死ぬために生まれてきた人たちではありません。
親がいて、家族がいて、帰りたい場所があった人たちです。
だから、せめて忘れないようにしたいと思います。
これは、「死んでくれてありがとう」という感謝ではありません。
死ななくてもよかったはずの人たちです。
もっと生きたかったはずの人たちです。
髪が白くなっても、しわの増えた手をつなぎ、寄り添って生きていきたかった人たちです。
家へ帰り、家族と笑い、戦争のない未来を自分の目で見てほしかった人たちです。
その人たちが確かに生きていたこと。
それぞれに守りたいものがあり、帰りたい場所があったこと。
そして、その人たちがたどり着けなかった未来を、自分が今、生きていること。
三本の映画を観て、私が最後に感じたのは、戦争の勇ましさではありませんでした。
帰れなかった人たちの先に、今の自分がいるということでした。
八月十五日を、私はこれからも、帰れなかった人たちを思い出し、静かに頭を下げる日にしたいと思います。
右とか、左とか、そんなことではなく。
過去を変えることも、失われた命を取り戻すこともできない、一人の日本人として。
あなたたちが見ることのできなかった今日を生きている、一人の人間として。
心から、黙祷を捧げます――。




