2. 邂逅
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頬に触れる湿った草の気味悪い感触と、鼻腔を突く甘ったるい、嗅いだこともないような匂いによって、私はふと我に返った。
のろのろと上体を起こし、あたりを見回してみる。
「……ここは、どこだ」
呟いた私の情けない声は、不気味なほど静まり返った森の奥へと吸い込まれて消える。
しかし、その森の様子が、どうもまともではない。
見上げると、青紫色の不気味な葉を広げた巨大なシダ?のような植物が鬱蒼と群生し、その太い幹には、まるで生き物のように脈打ちながら薄気味悪く発光する蔦が絡みついている。
ぼんやりと光を放つ胞子のようなものが、まるで季節外れの雪のようにふわりふわりと舞い踊っていた。
これを裏山の散歩道だなどと、どうひいき目に見ても解釈できるはずがなかった。そもそも、地球上の景色とすら思えなかったのである。
呆然としたまま立ち上がろうとした時、私はある決定的な違和感に気がついた。
いつもならば必ず悲鳴を上げるはずの、あの忌まわしい膝や腰の痛みが、全くないのである。私は狼狽して自分の両手を見下ろし、思わず息を呑んだ。
そこにあるのは、節くれ立って醜いシミの浮いた、あの六十手前の薄汚い老人の手ではなかった。
不気味なほど瑞々しく、張りがあり、血色の良い……おそらくは二十代の頃の、いや、ひょっとするとそれ以上に屈強で若々しい、青年の手だったのである。
信じられず、顔や身体をペタペタと無様に触って確かめてみる。
醜く弛んだ腹の肉は消え失せ、あろうことか引き締まった筋肉が服の下に感じられるではないか!
「若返っている、というのか……?」
夢でも見ているのかと思ったが、近頃、会社の若い連中が休憩時間に話題にしていた、『異世界転生』などというふざけた言葉が脳裏をよぎった。
まさか定年を目前に控えたこの私が、そんな漫画じみた荒唐無稽な出来事に巻き込まれるなど、にわかには信じがたいことではあったが、しかし、この身体に持て余すほど満ち満ちている無駄な生命力は、まぎれもない現実であった。
ともかく、こんなところでただ呆けて立っていても始まらない。この狂ったような状況を整理するためにも、まずは誰か人のいる場所を探さなければなるまい。
私はあてもなく、この得体の知れない森の奥へと歩き出した。若返った肉体というものは驚くほど軽く、足場の悪い獣道を進んでも息切れ一つしない。そのあまりの軽快さに、私はなんだかひどく滑稽な気分になり、思わず笑みが漏れてしまうのだった。
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しばらく進むと、「カン、カン」という乾いた音が、微かに聞こえてきた。
木を叩くような、明らかに人の手による作業の音である。
人の気配を感じて私はすっかり安堵し、急いでその音の鳴る方へと、鬱蒼とした茂みを掻き分けて進んでいった。
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不意に視界が開けた先には、私をこの世界へと突き落としたあの樹と同じほどの太さの、巨大な樹がまた鎮座していた。
その根元に、小板を手にして何か土木作業のような行為に勤しむ人影が見える。
透き通るような真っ白な肌に、まるで月光をそのまま紡ぎ出したかのように美しい白髪。そして、その髪の隙間から覗く、長く尖った耳。
それは、お伽噺の中にしか存在しないはずの、「エルフ」と呼ばれる生き物であった。
年は十代の半ば、いや、あるいはもっと幼く見えるかもしれない。そのあまりにも完成された、現実離れした儚い美しさに思わず見惚れてしまって――あろうことか足元の枯れ枝を、パキリと間抜けな音を立てて踏み折ってしまったのである。
「……っ!」
彼女は弾かれたようにこちらを振り向くと、手にしていた小板を放り出し、傍らに立てかけてあった鋸のような道具を、剣のように構えてこちらへと突きつけた。
「何者だ……!」
ピンと張り詰めた空気を微かに震わせる。
翡翠色の大きな瞳が、はっきりとした敵意と警戒心とをもって、私を真っ直ぐに射抜いている。
それは外敵を前にした猛獣というよりは、行き場をなくして追い詰められた小動物が、ただ必死に虚勢を張っているような、悲壮な警戒心であった。




