辺境伯令嬢は変わり者
気づいたとき、私は赤ん坊だった。
前世の最期は、研究室だった気がする。積み上げた資料、徹夜続きの疲労、ふっと意識が遠のいて・・・それっきり。
そして次に目を開けたら、豪奢な天蓋の下で泣いていた。
辺境伯家の一人娘として。
最初に悟ったのは、この世界が前世とは違うということ。そして、自分の中にあまりにも多くの知識が残っているということだった。
そんな、前世の記憶を持つ私は、この世界において不思議な子供として成長していく。
「リシェル、これを見なさい」
そんな不思議な子に話しかけるのは、私の父で辺境伯のアルヴェイン。分厚い帳簿を机に広げて何やら考え込んでいたようだ。私が不思議なことを言うことから、時々呼ばれては、意見を聞かれている。
・・・これは。
去年と一昨年の収穫量の比較だ。
「どう思う?」
父からの短いとい。これもいつものことだ。本当に意見を聞かれているだけ。
だから、私も手短に答える。
「水、ですかね」
私の答えに、父は納得していないようだ。無言でこちらを見ており。言葉を待っているようだ。
「雪解け水が一気に流れ込み、表土を削っています。保水が足りません」
父の眉が動く。
「解決策は?」
「段階式水路の設置。沈殿槽を作り、流速を落とします。それから土壌に灰を混ぜて酸を和らげるべきです」
私は思ったことを述べた。しかし、誰からも返事は来ず、部屋は静まり返る。普通は、子供がこんなことを言っていたら、頭がおかしくなったとか、気持ち悪いと思うことだろう。だけど、この家は違う。
私は、そっと視線を上げた。
母が穏やかに微笑み、そして姉のセシリアが腕を組んでこちらを見ている。
「理屈は通っているわね」
私の意見に対して、簡潔に姉が言う。
「でも、どこで覚えたの?」
とても真っ直ぐな問い。
私は少し考えてから、答えた。
「・・・分かりません。でも、知っています」
嘘はつきたくなかった。でも、信じてもらえるとも思ってなかった。父はしばらく私を見つめ、やがて静かに言う。
「試してみよう」
その一言で、我が領内では大規模な施策が行われることとなった。上手くいけばいいのだが・・・。
季節は流れ、次の春が訪れる。試験区画の麦は、以前とは明らかに違った。穂が重く、色が濃い。
「四割増だ」
家臣の報告に、父は息を吐いた。まさか、ここまでの成果が出るとは思っていなかったのだろう。
これはもう、偶然ではない。それを理解するのに、時間はかからなかった。
どうせならと私はさらに提案する。
「家畜の糞は発酵させてから肥料に。井戸には蓋をし、排水路を分けてください」
「排水を?」
「飲み水が汚染されています。腹の病の原因です」
そして、水の次に気になったのが衛生面だ。この辺境では流行病で亡くなることは普通だったのだ。
だから、石鹸も作った。
油脂と灰汁を混ぜ、煮詰め、固める。最初は奇妙な塊だったが、改良を重ねて白く滑らかな形にする。
「手洗いを徹底してください」
半信半疑だった使用人たちも、結果を見て黙った。夏の感染者数は半減。医師が目を丸くし、姉が言う。
「あなた、本当に何者なの?」
私は答えられなかった。ただ、怖くなった。普通ではないと知られることが。
けれど・・・
「何者でもいい」
父が、落ち着いたら声色で、それでいてしっかりと言い放った。
「お前は我が家の娘だ」
母が私の髪を撫でる。
「誇りに思うわ」
姉は笑う。
「もし王都が騒いでも、私が黙らせる」
家族の言葉に、胸の奥が熱くなる。
私は守られている。
ならば、遠慮する必要はない。
ーーーーーーーーーー
そんなことがあってから二年後。
辺境は劇的に変わった。
簡易製紙工房ができ、帳簿や契約書が普及する。石鹸は交易品となり、商人が増える。街は活気づき、税収も安定した。
そして
「第一王子殿下が視察に来られる」
父の言葉に、空気が張り詰める。ついに、辺境の改革に王都が、動いた。もう無視できる段階ではないのだ。
雪の残る城門前。
黄金の髪を持つ青年が、静かに降り立った。
「初めまして、辺境伯令嬢」
柔らかな声。完璧な微笑。けれどその碧眼は、鋭い。
「水路設計、土壌改良、衛生改革、石鹸、製紙……」
正確に、そして淡々と並べる。
「すべて、あなたの発案ですね?」
これは、問いではない。そう、ただの確認。
だか、正直に言ってやる必要もない。私は惚けることにした。
「どうでしょう」
私の返答に、一瞬呆気に取られるが、王子の口元が、わずかに上がる。
「噂以上だ」
一歩、距離が縮む。
「あなたの才は、この辺境には収まらない」
その言葉に、背筋が冷えた。家族以外で初めて、私を“正しく見た”人。
そして、同時に最も危険な人。
「ぜひ、詳しくお話を」
穏やかな声。
だが逃げ道はない。
私は直感する。
この出会いが、私の運命を変えるのだと。




