第1話|婚約破棄されたので、とりあえず包丁を握ります
「──君との婚約を、破棄したい」
そう告げた彼の声は、どこか得意げだった。
騒めく夜会が一瞬で静まり返る。
突然の出来事に、頭が真っ白になってしまう。
震えているのが自分で分かる。意外と冷静なのかもしれないわ。
私は彼の背後に立つ少女へと視線を向ける。
伏し目がちで、か弱そうに彼の袖を掴む──
私とは違い、守ってあげたくなるような女性。
「……理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
私は、彼をじっと見つめながら問い掛ける。
「彼女と親しくなるうちに、私は真実の愛に気付いてしまったんだ」
震える彼女の肩を抱き、優しい目線を彼女に向ける。
もともと政略で決められた縁。
彼にとって私は、条件の一部でしかなかった。
ただ、彼の物語のヒロインに心を奪われた。
それだけの話。
「お待ちください、キリギウス殿下!それはあまりにも──」
重臣の一人が声を上げる。
けれど彼は聞く耳を持たなかった。
諌める声も、どよめきも、二人の世界を作り上げた彼らには届かないらしい。
周囲に漂うのは、諫めと諦めが混じった沈黙。
私は小さく息を吐き、背筋を伸ばす。
肩を寄せ合う二人を見据えて、口を開く。
「承知致しました。 ……婚約破棄をお受けします」
ざわり、と周囲が揺れる。
凛と受け入れる、それがせめてもの見栄。
追い縋っても、きっと……。
その瞬間、自分の目の前が歪んだ気がした。
─── ッ!?
な、に…… 、今の……?
彼は、予想外だったのか目を見開いた。
「……いいのか?」
…………。
良いも悪いも、貴方から仰ったんでしょうに。
「ええ。 殿下のお心が私に向いてないのであれば、仕方ありません」
本心だった。
ここで異議を唱えて何になるというの。
……それに感情で縋るほど、貴方を好きなわけでもない。
──だって私は、既に一度、人生を終えている。
そう、思い出してしまったのだから。
婚約が解消されてから、私の生活は驚くほど静かになった。
社交の予定は白紙。
花嫁修業に通う必要もなくなった。
優雅な昼下がり、と言えば聞こえはいいけど。
「ロゼリア様、 大丈夫ですか……?」
侍女のアメリーが心配そうに伺ってくる。
普段は勝気な彼女にこんな表情させてしまうなんて。
「ええ、大丈夫よ。 心配掛けてごめんなさい」
「そんな! ロゼリア様は悪くありません! それもこれも、あの馬鹿王子のせいです!」
「もう、アメリー。 そんなこと言ってはダメよ」
「ロゼリア様はお優しすぎます!」
婚約破棄をされたあと。
両親よりも怒っているんじゃと思わせられるくらい、憤ってくれたアメリー。
私が気落ちしないように、不敬とは分かっていながらも、殿下の悪態を付きつつ励ましてくれた。
この様子を見ると、未だに怒りは冷めていないみたいね……。
「アメリー、 お茶を入れてくれる?」
「かしこまりました! 茶菓子もご用意致します!」
「ふふっ、ありがとう。 あ、カップは2つお願いね」
「2つ…… ですか?」
「ええ。 今日は貴女も、ね?」
「……はい!」
ニコニコとお茶の用意をしに部屋から出ていくアメリー。
切り替えがきちんと出来るのは、アメリーの良いところね。
部屋に一人になった私は、ふと考え込む。
私は町の小さな食堂の娘だった。
仕込みから調理、配膳まで何でもやった。
食べるのも、作るのも大好き。
常連客に囲まれて、楽しい仕事だった。
「美味しい」
その一言だけで、私は幸せになれる。
もっともっと料理を作りたい。上手くなりたい。
そう思っていたのに──
気付いたら、私は貴族令嬢として生活していた。
正しくは、乙女ゲーム『ルナティック・ノワール』
──その悪役令嬢として。
「こんなことってあるのね……」
思わずぽつりと零してしまう。
仕事が終わったあとのお楽しみ、乙女ゲーム。
料理以外の趣味はそれだけ。
新作の『ルナティック・ノワール』を楽しみにしていて、発売されてからは連日遊んでいたはずなんだけれど。
断片的にしか記憶はない。
食堂のことなら何でも覚えているのに……。
転生したと自覚したのは、婚約破棄を受け入れた時。
洪水にあったかのように記憶が蘇った。
元に戻る方法も分からない、この世界で生きていくしかない。
それならば、自分の好きなように生きていきたい。
婚約破棄されて良かった。 ……なんて思うのは不敬かしら?
画面越しでは、ロマンチストなところが好きだったんだけどな…… キリギウス殿下のこと。
……って、その時はヒロイン視点だったから当たり前ね。
悪役令嬢とはいっても、公爵令嬢。
好きに生きていくと決めたとしても、そうもいかない事も多そう。
婚約破棄された令嬢となった今、しばらくはそういった話はないだろうけど。
それでもいつか政略として嫁ぐまでは───
「……やるしかないわね」
時間はいくらでもある。なら今しかないわ。
「ロゼリア様、どちらに?」
部屋を出ようとする私に、侍女のアメリーから呼び止められる。
そういえば、お茶をお願いしていたんだったわ。
お茶を運んできたアメリーは不思議そうな顔をする。
「ごめんなさい、少し外すわ。 貴女はここで待機してて?」
「はぁ……」
ポカンとした表情をするアメリーをあとに、私は歩みを進める。
向かう先は厨房。
この時間は、使用人達の休憩中。
今なら誰にもバレずに料理が出来る!
材料を物色し、調理器具も並べる。
思わずニヤけてしまうくらい感動している。
包丁を握る。
「……懐かしい」
それだけで、少し泣いてしまいそう。
でも泣いてるヒマなんてないわ。
包丁を握り直す。
まずは一品。
私の新しい人生の、最初の料理を。
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