25話
「……妙な気配だな」
草花の話声が聞こえてきそうなほど静かだ。
敵どころか何も出てこない。
自分の呼吸音だけがやけに大きい。
一体俺たちはどうなっちまうんだ。
嫌な予感しかしねぇ。
突然――
天井から「落ちる」
壁から「滲む」
床から「盛り上がる」
気づいたらそこに“いた”
ミレーヌは、顔をしかめる。
「……増えてる、じゃないわ」
「最初から、いたみたい」
エラはもうどうにでもなれといった雰囲気だ。
「あー、これさ」
「数、もう数えてないやつだねぇ」
種類は同じ。
強さも同じ。
だが数だけが不定。
俺は考えるのを止めた。
今はこいつを振り回すしかねぇ。
「やるっきゃねーんだよ!」
ただ横凪ぎにはらう。一体倒す。
次の瞬間、別の方向から衝撃。
後ろを見ていない。
銃身の異様な質量が“存在を消す”
潰れた瞬間、形がなくなる。
音だけが残る。
押し潰した「感触」が腕に溜まる。
どれくらい殴った?
分からない。
数を数える余裕なんて、最初からなかった。
銃身が何かに当たるたび、重さが腕に返ってくる。
汗が目に入る。
視界が滲む。
瞬きをする暇すら惜しい。
呼吸が乱れているのは分かる。
だが、止め方が分からない。
最初は息が切れた。
次は汗が冷えた。
その次に、疲れていること自体を意識しなくなった。
振る。
当たる。
消える。
それを何度繰り返したか、もう思い出せない。
さっき倒した敵は、今の敵と同じか?
分からない。
景色が変わらない。
敵も変わらない。
なのに、身体だけが確実に重くなっている。
――いや、進んでいるのか?
その疑問が浮かんだ瞬間だった。
景色が、ズレた。
一瞬、視界が白く反転し、
次の瞬間、足元の感触が変わる。
「……っ?」
石畳だったはずの床が、歪んでいる。
いや、歪んだんじゃない。
“組み替えられている”。
壁が、動いている。
音もなく、だが確実に。
背後を振り返った瞬間、息を呑んだ。
――近い。
さっきまで数十メートルはあった壁が、
今は数歩分の距離まで迫っている。
「ちょ、ちょっと待って……!」
ミレーヌが声を上げる。
だが、壁は止まらない。
押し潰す気じゃない。
逃げ道を、消している。
左右を見る。
同時に、空間が“せり出す”。
「……作り替えてる」
ミレーヌが歯噛みする。
「ダンジョンが、自分で形を変えてるわ」
「戦闘用じゃない……これは――」
「強制誘導、だね」
エラが笑う。
だが、いつもの余裕はない。
正面だけが、開いている。
そこには――
今までとは明らかに違う構造の通路。
角度が歪で、
奥行きの感覚がおかしい。
見えている距離と、空気の重さが合わない。
迷宮だ。
「戻れない」
俺が言った瞬間、
背後の壁が、完全に塞がった。
ゴリ、と低い音。
もう振り返る意味もない。
「……脱出ゲームかよ」
誰に言うでもなく呟く。
敵を倒して進む場所じゃない。
立ち止まったら、終わる。
考えすぎても、終わる。
“選ばせない”構造だ。
「クロ―」
ミレーヌが早口で言う。
「この先、ルールが違う」
「たぶん、倒しても減らない」
「進まないと、詰む」
エラが肩をすくめた。
「神さ、飽きたんだと思うよ」
「殴り合いじゃ、もう数字が動かないから」
……なるほどな。
だから、場所ごと変えた。
「行くしかねぇな」
俺は銃身を握り直す。
殴る相手が敵じゃなくても、
進まなきゃ終わるなら――
選択肢は一つだ。
俺たちは、正面の迷宮へ踏み込んだ。
◇神TV
「いいですねぇ!」
「完全な持久戦です!」
歓声が上がる。
笑い声が重なる。
だが裏で――
司会席だけが静かだった。
更新されないオッズ。
点滅を繰り返す表示。
誰も触れようとしない操作盤。
「……おかしい」
司会は小さく呟く。
マイクは、入っていない。
「数が……戻らない」
「……待て」
「この進行、記録に残せない」
「……観測規約外だ」
◇クロ―
なんだこのログは。
【敵性存在数:――】
【想定値:取得不能】
それに呼応するようにミレーヌとエラも反応した。
「……数が、取れてない」
「そんなはず、ないのに」
「あはっ♡」
「ね、クロ―」
「これ、もう“イベント”じゃないよ」
……。
何だ、何が起きているんだ。
俺は確かに敵を殴っている……つもりだ。
だが――
床が沈んでいる。
壁が歪んでいる。
殴った“先”が、
少しずつズレてる気がしやがる。
わけわかんねえ。
たったの一撃。
俺は、地面に銃身を叩きつける。
敵ではなく「場」に当てる。
【警告:空間安定度 低下】
【補正:不能】
ログが警告を出した時点で、
あいつ等からもう手離れしてんだろう。
「ねぇクロ―」
エラの声が、やけに近かった。
「……あたしさ」
「今、ちょっと変なこと考えちゃった」
笑っている。
いつもと同じ、はずなのに。
「クロ―を、こんなに苦しめるなら」
「この場所、要らないよね?」
モーニングスターが、きしりと鳴る。
「壊した方が、楽になる気がして」
「あはっ……変かな?」
いやむしろそこまでなら正常だ。
俺の方がおかしくなってくる。
悪ノリがすぎんぜ、神はよぉ。
もう誰も止める気もねぇんだろうな。
神も、
ダンジョンも、
――そして俺たち自身も。
どこまで壊せば終わる?
その問いだけが頭に残る。
だが答えは返ってこない。
壊しているのか、
壊されているのかすら、
もう区別がつかなくなっていた。
嫌な予感だけが残る。
ああ、見えねぇ。




