忘却の庭に咲く
初投稿になります。
まだまだ文章力は低いですが、最後まで読んで頂けると嬉しく思います。ちょっと長めです。
――ここは図書館。記憶と物語が交わる境界。
語られるのを待ち望む記憶が、静かに降り積もる場。
数多の日々が、名もなく本へと姿を変え、誰かの語りを待っている。
ここは記憶の庭。記憶は待ち望む。新たな輝きへと遂げることを。
★
ここは図書館。記憶の終着地。
ここは図書館。語られた命の結晶。
ここは図書館。誰かの想いが咲く庭。
ここは図書館。ここにはいる。かつての英雄が、戦士が、勇者が。――いつかの日々を生きる人々が。
ここは図書館。ここにはある。かつての再会が、涙が、喜びが。――名もない誰かの想いが。
ここは図書館。静かな空間が、この場を覆う。
上空には語られた記憶達が、恍惚とした星の輝きと化して、この場を踊り狂うように咲かしている。
夜空に咲く満天の星々。照らされているのは、本として形づけられた記憶達。
――それがこの場の在り方だった。
だから誰もいない。誰も訪れない。
――ただ、一人。魔女が佇む。
朝も昼も夜も。春も夏も秋も冬も。暑さも寒さもない。
永久の静けさの中で、星の輝きを一身に浴びながら、記憶という名の本をめくり、物語と言う光を灯す。
それは知らない時代の、知らない人々の、知らない記憶。
それは美しく、脆く、儚く、切なく。
それは希望に満ち、期待に膨れ、絶望に酔い、失敗に溺れて。
そうやって培われた人生という名の記憶が、一つの本としてこの図書館へと辿り着く。
それは誰の祈りでも、誰の願いでもない。
記憶は吸い寄せられる。あるべき場所へと還るために。
ただ、記憶は風化する。自らが懇願した訳ではなく、過ぎ去る時と共に、抗えぬ忘却の波に飲み込まれてしまう。
――だから、魔女がいる。
語れなければ、記憶は風化する。
語られなければ、記憶は物語になれない。
そして、忘れられた記憶は、物語になれなかった記憶は、光を失い、永遠の闇へと沈む。
――だから、魔女は語る。
記憶を無くさせないために。語って星にする。
けれど、触れられぬ記憶が一つだけあった。
その本は、無題で、白紙のまま。どれほどの時が過ぎ去ろうとも、変わらぬ空白がそこには映し出されていた。
ここは図書館。ここにあるすべての記憶が紡がれなければならない場。
けれど、語れない本が、そこに一つだけ、残っている。
永遠に、語りかけを拒み続ける白紙の沈黙。
――このままでは、語れない。
★
ここは図書館。銀河を照らす星々が、一段と輝きを濃くする。
世界の記憶はいつだってこの場に集結する。
誰にも忘れられたくない。そんな記憶の叫びが、聞こえてくる。
一つの本を手に取る。
それは、まだ魔女が語っていない記憶。そこに紡がれた記憶は、脳内を歩き回るかのように、魔女を刺激する。
見たことのない情景を、その心に浮かべながら記憶を語る。
――わたしの知らない時間、わたしの知らない過去、わたしの知らない知識。
ここは図書館。記憶は歌う、彼の者を楽しませるかの如く。
いつかの本を、手に取ってみる。
相も変わらず、無題で空白の本。
変わらない。何も変わらない。変わっていくのは星の輝きのみ。
何も、紡がれない。何も、刻まれない。いつまで経っても何も、語らせようとしない。
いつまでこのままなのか。それは例え、魔女でも分からない。
いつか、いつか語らなければならない。魔女が魔女である限り、記憶を語り継がなければならない。
満天の銀河に咲く光の花。語らない本を待つ間に、それは輝きを増していた。
いつか光で満ちた時、この場は失われる。
失われて、そしてまた始まって。その時、この場は墓場となる。
その前に、語れることを願うばかりだ。
★
ここは図書館。培われた叡智の結晶体。
世界が世界のままであらんとする限り、叡智は生まれる。
まるで天啓かのように、都度発明をして、気づき、考えて、それを記してきた。
作っては記録して、考えては記録して、解き明かせば記録をして。――世界はそうして作り変えられてきた。
良い方向に、悪い方向に。それは世界の気分次第。
舌が鼓舞すれば、幸福へと。舌が落胆すれば、不幸へと。
叡智は味次第。味がなければ叡智は生まれない。記録にも残らない。記録もされない。
ここは図書館。ここにはある。どんな些細な叡智ですら。
いつかの本を、また、また手に取る。
些細な変化すらも起こっていない。同じように無題で空白の本。
ここに眠らない記憶などない。刻まれない叡智などない。全てが少しずつ刻まれて、この場の輝きを生み出している。
以前にも増した空の輝きが、魔女の目を穿つ。
語り継いだ記憶たち。その光の全てが魔女には美しく映る。
どの光も引けを取らない。一つ一つの光から、世界を生きた証を、刻まれた証を、力強く受け取る。
いつか無くなるこの場が、美しく咲き誇っていたことを、どこかで誰かが覚えていなければならない。
――だから、その前に語ってきてほしい。わたしは忘れないから。
★
ここは図書館。幾千の記憶が身を寄せ合う場。
世界の無数の記憶が刻まれ、語られ、そして消えていく。
この場では誰もが主役。誰もが主人公。誰もが英雄だ。
平等で、不平等な人生。可能で、不可能な選択。そんな荒波の中で、人は成長という架け橋を渡る。
ある者は逞しく、ある者は勇敢に、ある者は優しく。
人は記憶を作り上げる。記憶は人を作り変える。
人が変われば、物語も変わる。
そこに意味のない記憶などない。
誰の目につかない記憶でも、そこに生きた証があるのならば、魔女は語る。――意味を、無くさせないために。
何も描かれていない本を、同じように手に取る。
いつものように無題。開いてみれば、変わらず白紙のまま。
白紙のままの本を、そっと優しく撫でる。
――どうして、この本は語れないのか。
――誰の記憶なのか。
――なぜ、いつまで経っても空白なのか。
長い月日が経とうと、魔女には分からなかった。
いくつもの物語が灯り、いくつもの物語が咲き、いくつもの記憶が語られる中で、この本だけが沈黙を破らなかった。
――いつまでも、静かに、ここに在り続けた。
これまでも、これからも、まだ図書館は多くの物語をこの身に刻む。
この先もこの場は無数の輝きを孕んでいく。そして、もっと輝きを満たした時に、この場は失われる。
いつかは分からない。語った分だけ、星の輝きは増していく。
魔女に未来は読めない。読めるのは、記憶だけ。
――だから、あなたが。あなたもいなくなってしまう前に、わたしに教えてほしい。
★
ここは図書館。幾重の記憶が今も生まれ、刻まれ、巡る場。
誰かが生きた証が、誰かが残した思いが、誰かが託した叡智が、誰かが歩んだ軌跡が。
ここにはある。ここにない記憶はない。ここに灯せない物語はない。
記憶たちは語られるのを、今か、今かと待ち望む。
それぞれの生まれ、歩み、出会い、別れ、そして終わりへと向かう記憶が、一冊の本となって。
長い時間をかけて、魔女は無数の記憶を語ってきた。
いずれ免れぬ終焉へと向かうこの場から、消え去られてしまう記憶を、物語を、忘れさせないために。
――それなのに、あなたは何も語らせようとしない。
無題の本を開き、そっと指でなぞる。何かを刻む様子もなく、静かに佇んでいる。
何も変わらないまま、何も刻まれないまま時は流れていく。
無題で、空白で、白紙で。
この本だけ、まるで時間の流れが止まったの如く、動き出す素振りがない。
――なぜ、なぜ語らせてくれないの。
どれだけ疑念の意を唱えようと、本は無垢な真っ白を映し出す。沈黙を破ることをしなかった。
この場にある限り、本には記憶が宿るもの。
それは例え、喜劇だろうと、悲劇だろうと、語るに足らない人生であろうと、些細な知識だろうと、この場にある限り、それは宿る。
――ただ一つの意味あるものとして、本に記憶が宿るのだ。
魔女はそれを語り継ぐ使命がある。
世界が忘れようと、魔女が忘れない存在として、語り継ぐ運命にある。魔女はそれを必ず忘れない。
――だと、言うのにあなたは何を怖がっているの? あなたは本当に記憶なの?
――答えはいつまでも、語られない。
★
ここは図書館。全ての記憶が刻まれる場。
魔女は記憶と共に、この場を照らし続ける存在。
記憶は星々となってこの場を。魔女は語り部となって記憶達を。
互いが互いを尊重し合うこの場は、いつも輝きに満ちている。
どちらかが欠ければ、どちらも存在しなくなる。
誰に言われずとも、それを理解し合っていた。それが、正しい在り方なのだと。
ある本を抱えて、魔女はその場に寝転ぶ。
静寂に包まれたこの場で、魔女改めて抱えた本を見つめる。
これまで多くの記憶を物語として輝かせてきたが、この
本は未だに語れていない。
何度も手に取り、何度も開き、何度も問いかけてきた。その度に、白紙のページは無感情なまでの冷たさを答えてきた。
――なぜ?
そんな疑問が、魔女の中に沸々と膨れ上がっていく。
膨れ上がって、そして最後に残るものは何か。それは魔女には分からない。
だけど、それはこの本を語らない理由にはならない。
――早く、あなたの記憶を語らせてほしい。
ここに眠るのは悲劇か、喜劇か、はたまた何でもない日常なのか。
知りたかった。いいや、知らなければならない。
遠くない未来。あなたを知っている存在がいなければ、消えてしまう。それは魔女がいる限り、許したくない。
だから、お願いだ。あなたを、教えて。あなたをーー。
「あ、なたは、何者、な、の、?」
――音。魔女の鼓膜を揺らしたのは、音と認識できる何かだった。
この場に鳴り響く本の音でも、ページの擦れる音でも、足音でも、服が乱れる音でも、何かの魔法とかの類でも、そのどれでもない。
だけど、魔女はどこかで痛感していた。この音は知らなければならない者の、悲痛の叫びだと。
その叫びに同調するように、魔女は空白の本を抱きしめた。
――いつまでも、あなたを知れなくてごめんなさい。
そんな感情と共に、一粒の熱が頬を伝う。
魔女はそれを知らなかった。いくつもの記憶を語ってきたのにも関わらず、『それ』を知らなかった。
やがて、『それ』は指先へと落ちて、――そして、抱えた本を潤した。
――瞬間、淡い熱が指先に伝わった。
まるで長い眠りから覚めるかのように、ようやく目覚める命の鼓動のように。
暖かく、温かい光が本を包み込む。その光と共に、これまで冷たかった本に血が巡る。
無題だった本。そこに一つの文字が刻まれた。
細く、淡く、儚く。それでも刻まれた一つの『名前』
――『魔女』。
その名前を見て、魔女は手が震えていた。気づけば、本を地面に落としてしまう始末。
この場でいくつもの記憶を語らなくてはならない者の名。
いや、名前なんて大層なものではない。が、この名前に該当する人物を魔女は一人しか知らない。
これまでいくつもの記憶を灯して来た少女の。
ただの一度も己を振り返ったことのない少女の。
誰も、知らないはずの少女の――『わたし自身』の記憶が刻まれようとしていた。
★
ここは図書館。全ての記憶が灯される場。
目の前に広がるのは、数多の記憶の数々。
意図様々な記憶も、まだ、語っていない記憶も、これまで語り継いだ物語も、ここには森のように広がっている。
図書館は、記憶の森。入り組んでいるように見えて、単純のようにも見える。
複雑怪奇のように見えて、ただありふれた物語達でも、魔女にとっては新鮮なものだった。
――ただ、今は手元の一つの本しか目に入らなかった。
空白の本に魔女の名前が刻まれてから、どれだけ経ったか。
本を開くことも、語ることもせずに、ただ手元に置いているだけの日々。
誰かの記憶を語る時も、その本は手放せずにいた。
いつも、この本は魔女の意識を引っ張っていく。まるで、自身の名を刻まれた本を開け、と主張してきているかのようで。
――そこに描かれている景色は何なのか。
魔女として生きた一人の少女の記憶は、どのようにして描かれているのか。
それを考えると、本を開くのに躊躇いが、恐怖が、戸惑いがあった。
長い年月、魔女は多くの記憶を読み解いてきた。
それは英雄の凱旋、戦士の誇り、人々の未来――。
そこには必ず『夢』があった。『願い』があった。
――皆が平等に持つことを許される輝きがあった。
だから、それらがない魔女の記憶には、何があるのか。そんな畏怖な気持ちが、本を開かせるに至らなかった。
魔女の記憶を灯したい。その気持ちに偽りはない。
刻まれた記憶を語ること。それは『彼女』も含まれている。
ようやく、そう、ようやく目を覚ました本。
ずっと語れなかった、語ることが出来なかった名無しの記憶。
そんな『彼女』だけを、仲間はずれにする訳にはいかない。だから、開かなければならない。
静かに、震える手をそっと本に添える。
情けない。自分の記憶を語ろうとしているだけなのに、このザマは何か。
魔女は自分自身のことを何一つとして知らない。
いや、自らを省みることをしなかった。魔女はいつも、他者の記憶だけを追いかけていた。
――まるで、それが当たり前かのように。
――まるで、それが宿命のように。
けれど、それは根本的な間違っていたのかもしれない。
使命としては正しいことをしていた。
忘却へと向かう数々の記憶を語ることは、魔女にしか出来ないこと。
それは『わたし』の役目。何もかもを知らない『わたし』の唯一知っていること。
ただ、本当は語るべき記憶があったのかもしれない。
語らなければならない記憶があったのかもしれない。
そうでなければ、いま、手元にこの本があるはずがない。
いつまでも語れることを待った。――待ったのだ。
そんな小さな魔女の願いが、叶おうとしているのだ。
それを『わたし』自身が否定してどうする。『わたし』が『彼女』を否定してはどうする。
小さく息を飲み込む。
そして、魔女はそっと本を開いた。
――そこには何も書かれていなかった。
★
ここは図書館。語らぬ記憶が沈む場。
過去の栄光は、水底へと還ろうとする。
沈んで、沈んで、沈んで――。誰にも救い上げられずに、深い眠りへと入ってしまう。
溺れれば、いずれは無くなってしまう。
それが記憶だ。息が出来なくなれば、誰がそれを呼び覚ませるのか。
――だから、魔女がいる。
――だから、図書館がある。
世界の記録者として、記録達が溺れ、迷わぬように優しく包み込まなければならない。
そう、何度でも言おう。魔女は記録者だ。
語れるのを、救われるのを待っている記憶達の拠り所だ。
――わたしは、記録者。
――わたしは、語り部。
――しかし、わたし自身の記憶は、ない。
開いた本を、撫でるように見つめる。
そこに広がるは、いつぞや本を開いた時と同じ。変わらずの白紙のまま。
どれだけページをめくろうと、そこには何も書いていない。
一つの文字すら刻まれていない。無が広がるばかり。
だからこそ、魔女は分かった。それが、何を意味するのか。――魔女は分かっていた。
これが、これこそが彼女の記憶なのだ。
だれかの記憶を語るだけで、『わたし』自身の歩んできた物語などない。
己という自我がない『わたし』が、彼女の記憶を追いかけることはできない。
だから、空白。これまで歩んできた軌跡は、誰かの後を追いかけてきただけ。
――空っぽなのだ。何もかも、魔女がこの場にいたその日から。
魔女は語るもの。
そこに願いも希望もいらないはずなのだ。
魔女は紡ぐもの。
そこに夢などないはずなのだ。
だから本は、その魔女に答えた。――答えた結果が白紙の本なのだ。
恐らくは目覚めるはずのなかった本。それが、魔女の一つの渇望に答えて、目覚めてしまった。
願いも、希望も、夢も、ない。そんな彼女のーー魔女の物語。
この先、何年も、何十年も白紙のままだろう。
生きてるようで、死んでいる。
何者でもない。何者にもなれない。
――空白
魔女を表す言葉で、これ以上の物語はない。
他人の記憶を、追うだけの魔女に、それ以上もそれ以下もない。
図書館は刻むべき記憶をはき違えない。
だから、何も――何も違わない。
ならば、この空白を語ろう。魔女として彼女を救い上げるために。
本を持ち上げ、床に座りながら、魔女は語る。――語ろうとする。
「わ、たし、は、だ、れ?」
おおよそ、語るに相応しくない音が響いた。いま、何か語ったのか。
いや違う。何も語れなかった。何を語るべきなのか、分からなかったのだ。
何せ、魔女に記憶と言える、物語はない。
それが自らの音に乗って、この場に響いたのだ。
何度も本に目を通す。
通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。 通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。通す。
変わらない。変わらない。――変わらない。
何一つとして、語るに至れない。
目に映る景色は、無色透明なまっさらなもの。それを語ることは、幾重の記憶を語ってきた魔女ですら不可能。
――空白を語ることなど、できない。
結局のところ、前と何も変わらない。
ただ悪戯に『魔女』と名前が記されただけで、この本は、変化を遂げることはなかった。
そう。名前が刻まれただけ。
本来ならば、この本は名前すら刻まれることは無かったはずだ。
取り急ぎ、魔女と名付けられてしまっただけで、これを名前ではない。
名前も、物語も、何もない『わたし』を表している本に、魔女の願いが届いてしまった結果の産物だ。
適当で、中途半端。それが、この本だ。
本があるなら、そこに語るべき記憶もある。
そこに語るべき記憶があるのならば、それは語らなければならない。
誰かの記憶を、誰かの生きた証を、誰かの育んだ結晶を。それが、この場での魔女の役割であるならば。
魔女が魔女である限り、その役割から逸脱してはならない。
――他と違うのは、今回は誰かではなく、自分の記憶であること。
語ることの出来ない『わたし』の記憶。
『わたし』が『わたし』として、役割を放棄しない限り、この本はずっと変わらない。
――ならば、役割を放棄するのか。
違う。それはしてはならない。魔女は役割を放棄することを許されない。
語る。それは魔女に残された唯一のこと。
この場にいる魔女にしかできないこと。それを自らが箒してしまっては、いけない。
考えた。
――空白しかない『わたし』を語るにはどうしたら良いか。
考えた。
――なぜ、『わたし』は『わたし』のことを知らないのか。
初めての経験だった。
過程がどうあれ、魔女がこんなにも、自らのことについて考えたことはない。
今まで、自分の在り方という者について、ここまで思慮したことなど、なかった。
魔女の役目は、記憶を紡ぐこと。
記憶という名の本に、物語と言う光を充て、その存在を無くさないこと。
そこに自らの存在について、割り込む余地はない。
今まで語ってきた記憶達を、思い返す。
ある人間は勇者として、世界に蔓延る『悪』を打ち倒していた。
それは紆余曲折ある、決して平坦ではない人生。
ある時は喜び、ある時は悲しみ、ある時は苦しみ、ある時は嘆き――。
ある人間は人里の多い集落で生まれ、何不自由なく過ごしていた。
そこに激動という言葉は見つからず、人生と言う言葉を体現したかのようで。
ある時は楽しみ、ある時は笑い、ある時は泣いて、ある時は悩んで――。
ある人間はどこで生まれたのか、自らが把握していなかった。
そこに待ち受けるは暗闇と光。絶望と希望が隣り合った人生を歩んでいき。
ある時は僻み、ある時は恨み、ある時は信じ、ある時は歓喜して――。
――あった。
どの物語たちにも願いも希望も。
――色がついていた。
魔女みたいに、無色透明な記憶ではなかった。
そこには感情があって。
意思があって。
心があって。
名前があって。
誰もが同じ色をしているようで、誰もが違う色をしていて――。
思い返して、思い返して――そして、ようやく理解するのだ。
――魔女は、ただ記憶を読み上げる存在でしかないことに。
魔女にとって、記憶はただ読み上げる者。
それを忘れないように、忘れさせないように、誰もが生きた証を無くしてはならないように。
読んでいて、楽しい物語には幾重も出会えた。出会えてなお、魔女は理解しきれていなかった。
――だから、『わたし』を知らなかった。
魔女は語ることしかできないから。語ること以外に何もできないから。だから魔女はここにいる。
そんな存在に、他の色を見せる資格などあるはずがないのだ。
それはきっと、幸福なことなのかもしれない。――そして、酷く残酷なことなのかもしれない。
――誰も、自らでさえ、その記憶に触れることができないのだから。
――ああ、そうか。そうだったのか。
そこまで至って、魔女は初めて自分という存在を理解した気がした。
この本は誰かの記憶を語ることで存在し続けている。
そこに一片たりとも、『わたし』という自我も私情を挟むことも許されない。――それは、この場ではお気に召さない行為らしい。
図書館からすると、きっと『わたし』はかなり面倒くさい存在なのだろう。
生まれたての赤子が、何年もその身の時を止まらせたまま、時間に身を置いた結果がこれだ。
成長を知らない無垢な無機物。
無機物に、自我はない。無機物に、私情など関係ない。
何を刻むにも、何も刻めない。
他人を覗き見ること『だけ』しかしない存在に、物語を刻めという方が無理ある。
『わたし』は誰。
それを『わたし』自身が知らないのに、これまで歩まなかった記憶に委ねるのは、虫が良いと言う話。
魔女は『わたし』を知らない。誰もが知っているはずの『それ』を魔女は知らない。
この身体は『わたし』のものではあるけれど、魂は借り物なのだから。
ならばどうすればいいのか。――否、『どうすれば』など誰かに問うことなどできない。
だって魔女はそもそも、誰かではないから。
――だったら、どうすればいい?
結局、問題は振り出しへと駒を戻される。
一歩ずつ解いてきた糸を、知らない間にまた雁字搦めにされた感覚。これが、今まで自らを省みなかった代償なのだろうか。
――でも。それでも。それらを知ることができた。それらの感覚を知ることができた。
振り出しに戻されても、魔女が持ち帰ることができた手土産がある。
感情の波に揺られながら、初めて感じることができた『わたし』。
――なら、また考えるだけだ。
何度も何度も戻されても、その度に魔女が何か一つ持ち帰れるものがあれば良い。
それを人々は成長と呼ぶのだろうと思いながら、魔女は考える。
――何度も、何年も、何十年も、何百年も、時間をかけてしまったが、魔女に初めて自分に歩み寄れる時間が、いま、初めて作られたのだ。
☆
ここは図書館。誰かの記憶が刻まれ、だれかの記憶が語られる場。
この図書館で、記憶を語る存在が一人。
その存在は、世界の記憶を語り、物語へと昇華させるのが役割だった。
――魔女。
それが、その存在の名だ。名なんて大層なものではないが、それが自らを称するのには正しいのだと、どこかで感じ取っていた。
そんな魔女が今まで語ってきた記憶は数知らず。自分でも数えるのは、骨が折れるのではないかと思う所存。
でも、それでも。光を灯した物語の数々を、一つも忘れたことはない。忘れてはならない。忘れることは許されない。そんな物語たち。
だから、ここに語ることのできない記憶がある時、魔女は初めて困惑の色を見せた。
それが困惑なのかは、魔女からすれば分からない。誰かから教えられたことがない。
だから、魔女はその感情の揺さぶりを困惑とすることにした。
困惑すれど、魔女には対処が分からない。
何せ初めてのことだ。名前も、中身も空白。語ることしかできない魔女に、それ以上も、それ以下のこともできない。
できないから困った。
できないから悩んだ。
そんな訴えが本に通じた結果、『わたし』が生まれた。生まれてしまった。
魔女は『わたし』を知らない。『わたし』は魔女のことを知らない。
魔女の物語は空白だった。そこに刻まれたのは適当な名だけ。中身に刻まれる物語はなく、まるでこの無を語れ、と言うかの如く。
だから、魔女はその通り、空白を語ろうとした。
それが『わたし』の意志なら、その訴えに魔女は正しい回答を叩きつけようとした。
無に刻み込まれる空白に、意味を与えようとした。
そこにどんな想いを込められたのか、誰に語れることでもないけれど。
――だから、それが出来なかった時、魔女は深く悩んだ。
どうしたら語ることができるのか。
悩んで、悩んで、考えて、考えて、魔女は一つの問いが脳裏に浮かんだ。
――『わたし』は誰なのか?
魔女は答えを持たない。その問いに対しての答えを持ち合わせていない。
そもそも、自分は何なのかなど考えたこともなかったのだ。考える必要などないと思っていたから。
だが、そんな疑問が魔女の中に芽生えてしまった。気付いてしまった。
それは不安や恐怖といった感情にとても似ていたけれど、どこか違っていたような気がすると魔女は感じていた。
この感情を抱いてしまうということは、何かを間違えているのだろうかと悩みもしたけれど、結局答えは出なかった。
答えは応えない。応えないくせに、いつも思考は振り出しに戻ってしまう。
そうして、魔女は少しずつ自分の理解を深めていった。
ただ、振り返えってなお、持ち帰れるものは少ない。
それほどまでに、自分という存在は、何も持ち合わせていないのだ。
空白で、色がなくて、何もない魔女の、自分を求める旅路。
長くて、果てしない道のり。そこに近道なんて言うものは存在しない。
小さいながらも、一歩と呼べない足跡ながらも、魔女は歩き続けた。
――そう。考えて、考えていって。
そうしているうちに、前よりも少しだけ、この問いの答えに近づけた気がした。
答えが何なのかは分からない。だけど、この感情を抱いた時点で、答えは近い気がした。
――『わたし』は誰?
この疑問を持つということは、自分が何者なのか知りたいと言うこと。
だけど、知るために何が必要なのか。記憶なのか、そこに至れるための物語なのか。
否、そのどれでもない。
魔女にはこれまで歩んできた人生はない。
自らの体に、借り物の魂だけで、この場にいることを許されているだけ。
自分には何もない。だから、魔女の思考は同じ場所を彷徨う。
自分を知りたい。知りたい。知りたいはずなのに、何もない自分を知ることができない。
――『わたし』は誰?
同じ場所を彷徨って、遠回りをして、ぶつかって、足を挫いたりして。――そして、魔女は辿り着いた。
自分が何者かを知りたいのなら、自分のことを知れば良い。自分のことを知るためには、自らを知る必要があるから。
――知るためには、まず在らなければならない。
――在るためには、示さなければならない。
――示すためには、与えなければならない。
だから、魔女は思考を巡らせる。
自分を知るために、自分に与えられるものを考えるために。
自分に必要なものは何か。誰にもあって、自分に存在しないもの――。
「な、まえ」
――名前。
そうだ、名前だ。自分にはまだ名前と呼べるものがない。
いや、もしかしたらあるのかもしれない。ただ、どこに問いかけたところで、その声は返ってこない。
当たり前だ。この問いには答えがないのだから。答える人もいないのだから。
だから、答えのない問いに委ねるのではなく、自らが答えて、自らが付ければ――。
「――ぁ」
その声は無邪気なものだった。
今まで綴じたままだった頁に、ようやく言葉が流れ出したように。
巡ることのなかった内側に、静かな温度が宿ったように。
あった。
答えはここにあった。
――なんだ。答えなんて、求めてしまえば簡単ではないか。
そんな音が漏れ出してしまうほど、酷く単純だった。
今まで答えだけを欲していた。
答えだけを欲して、自らその答えを生み出そうとしなかった。
そう。答えのない問いをずっと求めていたのだ。
そのようでは誰も分かるはずがない。
なら、どうしたら良いのか。
魔女の物語は空白。これまでも、恐らくこれからも変わらない。
嘆いていても変わらない。答えを求めても、誰も答えられるわけがない。
――だから、紡げばいいのだ。自らが空白に書けばいいのだ。
自らが、自らを俯瞰して、空白の本に刻み込む。
生憎と、自分に歩み寄った時間は沢山あった。今なら、魔女は『わたし』の人となりが少し理解できている。
そうすれば、この本は語り出す。本と題された記憶は語るのだ。
こに空白があるのなら、そこに自分を与えればいい。そして、その答えが示すように、魔女は深く考えるようにして、自らにも名を刻んだ。
名前を得るのは辛かった、
名前を得るのは怖かった。
――それでも自らが刻んだ名前を抱きしめたいと思った。
――ライラ。
それは新たな生命の誕生。自らに刻み込んだ名前は、心に、体に浸透する。
名前にはどうやら意味が込められるらしい。
ライラ。
魔女は少し考えて、ある物語からその名前を拝借するように、自らを名付けた。
意味は、確か、そう――夜の天使。
『わたし』はまるで朝焼けを知らない夜。この図書館に朝は訪れない。そこに眠る物語たちを導く存在。
一人の天使として、物語たちを願わく場所まで連れていく者の名だ。
名付けて、少し気恥ずかしさを覚える。魔女から天使へと昇格。自分でつけておいて自惚れるにも程がある。
――ただ、今はそれでいい。そうやって『わたし』は私を認めていければいい。
そうして、長らく息を潜めていた魔女の本は、歓喜の声をあげるかのように、淡い光に包み込まれた。
――『魔女』ライラ
題名に新たな名前が刻まれた。ただ、魔女という肩書きは消えることはない。
――『わたし』は魔女だ。そこに偽りがあってはならない。
そして、ライラはこの物語の始まりとなるその一文を、自分の本の最初のページに刻んだ。
――ああ。ようやくだね。ようやくあなたを語れるね。長く時間をかけてごめんなさい。
――そして、今こうして紡がれている物語は始まりの音を告げた。
☆
ここは図書館。全ての記憶が紡がれる場。
そして今、新たに生まれた一つの輝きが、一つの終着点を迎えようとしていた。
何も齎さなかった魔所は、自らに新たな一歩として、自らに名を与えた。
――『魔女』ライラ。
それはひとえに夜に寄り添う者。
静寂の中に優しさを湛え、光の届かぬところにも、そっと手を差し伸べる者。
夜の天使とは上手く言ったのもだ。
ここは、人間からしたら死後の世界と同義。そこに蔓延る存在として、これ以上の名目もない。
人間の死は、物語の死だ。その行きつく先がこの図書館。ここでは何も生まれない。
――だからライラには、物語と言える記憶がなかった。
ライラの本には、空白が一つだけ。それ以上も、それ以下でもない。悲劇も喜劇も、何にもない。そんな空白が一つ。
そんな空白の本に、始まりの言葉を刻んだ時、図書館に満ちる星々の光が、より一層輝きを増した。
――それは喜びだった。
――それは始まりだった。
――それは永遠だった。
そこでライラは知った。
ライラには物語を『始めるための時』が来ていなかっただけなのだと。
考えて、考えて、考えて、そしてようやく見つけた。
未熟で、まだ色づき始めたばかりの――でも確かに『わたし』と呼べる何かを。
記録者としての使命は変わらない。
語り部としての在り方も変わらない。
けれど、それらに『わたし』という意味を与えることが、ようやくできた。
――今まで、他人の色を語ることしか出来なかった語り部の、自らを語る物語が幕を開けたのだ。
それを祝福するかのように、星々は輝きを増していく。
煌びやかな壮観に息を飲むものもいるだろう。
ただ、この図書館が星の光が満ちた先に待つのは終焉だ。全ての物語が消え失せ、虚空と化す。
その先に何が待ち受けるのか。
――物語たちの死が始まる。畏怖すべき死が、図書館の崩壊と共に音頭を鳴らす。
そこからはライラだけが、物語を知る存在になる。
何のために語り継いできたのか。それらの物語を亡き者にしないためだ。
誰に言われた訳でもない。ただ、ライラがここにいた時からそれだけは知っていた。
――終わりを迎えた者へ最後の贐を渡すこと。
そう。ライラは知っていた。ここは終焉を迎えるために存在する場所。
すべての記憶は、すべての物語は、星々となり、やがて空へと還っていく。その終わりを見届ける者――それが、ライラだった。
たとえこの図書館が失われようとも、語られた物語たちは、彼女の中に確かに宿っている。
それらは決して、無へと帰すものではない。
一度でも、誰かが生き、誰かが願い、誰かが夢を紡いだならば、たとえ世界が終わろうとも、その輝きは消えることはない。
一つの本を、大事に抱える。
空白だったその本には、もう確かな存在が刻まれている。
名前を持ち、問いを持ち、迷いながらも自らを知ろうと歩みだした『ライラ』という存在が。
図書館の空を満たした光たちが、静かに流れ落ちる。
まるで、長い夜の終わりに降る、星の雨のように。
――もう、この場の終わりは近い。
崩壊が、終焉が、滅びが、喉元まで迫ってきている。魔女ライラが語るべき記憶は終わろうとしていた。
全て、全て語った。ライラが『わたし』を確立するまでも、ライラは語ってきた。
語らなくても、この場は滅ぶ。語っても、この場は滅ぶ。
星の光が満ちた先にある終わりと、満たされなかった終わり。
今は、その後者に近い。崩壊の兆しが、静かに、確かに、辺りに現れ始めていた。――その理由は一つだけ。
まだ語られていない一つの本。それを語り終えた時、この場は完成を迎えることが出来る。
魔女としての役目。ライラは、それをいま、果たそうとしていた。
語るべき記憶が、途中から押し寄せてこなくなった。――それはもう、ライラが語るべき記憶は無くなったということ。
見え始める崩壊の兆し、語り終えた図書館の物語たち。
ここまで至って、ライラの記憶は刻むべきものを終えた。
だから、あと一つ。
最後に、まだ語り終えていない最後の物語を語って、ライラの役目は終わりだ。
ライラは語り始める。自らが刻んだ記憶を。
これまで生きた『わたし』のために。――そして、すべてを終わらせるために。
語り終えて、ライラは名残惜しみながら、本を抱える。
そして、それを羽ばたかせるようにして、ライラは一つの言葉を紡ぐ。
「わたしは、ライラ。物語たちの語り部――ここに生きた全てを、忘れない者」
はっきりとした音だった。
この音が、この場を締めくくる最後の音だ。
思い返す。語ってきた数えきれない物語たちを。
――そして、ようやく芽生えた『わたし』という存在を。
言葉は静かに、しかし確かに世界に染み渡る。
それはやがて、最後の物語となって、すべてを包み込む。
――図書館の崩壊は、始まった。
☆★
ここは図書館。星々輝きがすべてを覆いつくした場。
――終わりの時は訪れた。
世界の物語たちは、その命を燃やし尽くした。
かつてあった悲劇も、喜劇も、絶望も、希望も、誰かが生きた証も、すべて光となり、そして今、静かに消えようとしている。
崩れ落ちる本棚たち。音もなく崩れる壁。流れゆく無数の本たちは、空へと溶けていく。
その中で、ライラは一人立っていた。空へと帰す物語たちを、静かに見守っていた
崩壊したとしても、この場は壮観を保っている。この崩壊すら、もはや芸術の一つとして見て取れるものだ。
崩壊はつまり、物語たちの死。
でも、忘れてはならない。図書館そのものは消えても、そこに刻まれた記憶は消えないということを。
なぜなら、その記憶を抱く者――ライラが、ちゃんといるから。
語られたものは、もう二度と無には帰らない。語る者がいれば、世界は、命は、繋がり続ける。
図書館はそのために存在していた。
最初から、最後まで、ただそれだけを信じて――。
「さようなら。わたしの愛したすべての物語たち」
やがて、すべてが静寂へと飲み込まれる。
光も、音も、存在も、すべてが静かに、優しく、終わっていく。
それは恐ろしいものではなかった。――それは、祝福だった。
すべてを語り尽くした者にだけ与えられる、穏やかな旅立ちだった。
最後に残ったのは、一つの微かな光。
それは星となり、夜空の彼方で、静かに、静かに瞬いていた。
その星の名前は、誰も知らない。
けれど、それは確かに存在する。
ここに、世界に、誰かが生きた証として。
――ここは図書館。すべての記憶が紡がれた、最後の物語の庭だった。
そして今、ライラという一つの灯火が、静かに、永久に、夜を見守っている
読みにくいし、面倒くさい魔女のお話でした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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