第六話 その魂は永遠に
「ゼルフィウス様……お顔が……!」
エレノアは狼狽え叫んだ。
だがゼルフィウスはそれを宥めるように、彼女の背を優しく撫でる。
「問題ない。……この世の空気が……合わないだけだ。完全に蝕まれる前に冥界に戻れば……すぐに回復する」
気にすることではないと言う彼の言葉とは裏腹に、美しい眉は僅かに歪み、苦痛を堪えるように呼吸は浅い。
肌を覆う黒色は、どんどん広がっていた。
「エレノア……よく聞くんだ。今から言う物を集めてほしい。まず灼熱草の花弁、それからヤッカの実……青風鳥の羽根──」
ゼルフィウスは、幾つも幾つも、草花や石などの名前を呟いていく。
エレノアは涙を堪えながら、必死で耳を傾け、それらを頭に叩き込んだ。
「──それらを全部粉にして、混ぜて……冬の一番寒い満月の夜、水面に映した月に……その粉をふりかけるんだ。水は……君の魔力を込めて……水晶のグラスに入れなければいけない」
そこまで言うと、ゼルフィウスは大きく息を吐き、エレノアの熱をその身に移すように、彼女をきつくきつく抱きしめた。
濡羽色の髪がはらりと頬にかかり、熱を孕んだ夜空のような瞳は、エレノアだけを映していた。
「それで……冥界とこの世を繋ぐ道ができる。一年に一度だけ……君に会いに来られる。だからもう泣くな。泣くのは……私がいる時だけにしてほしい。そうでないと……君を慰めてやれない」
ゼルフィウスの肌は、もう殆どが黒く染まってしまっている。
エレノアは涙を堪えるのに精一杯で、声を出すこともできず、大きく何度も頷いてみせた。
「君は……100歳の寿命まで、弟神エクトゥワのものだ。それまで毎年……必ず私を呼んで欲しい。会いに来る。毎年……君に会いに。そして100歳の寿命で君が死ぬ時、必ず迎えに来る。そうしたら……君の魂は、永遠に私のものだ」
──パチン。
ゼルフィウスが指を弾いたと同時に、エレノアは崖の上、落ちる前の救助隊達がいる道に戻っていた。
「エレノア様!!」
落下したはずの聖女が側に現れ、騎士達は驚きと喜びの声を上げる。
ゼルフィウスの姿は消え、風は再び吹き始め、川は流れ、鳥達の声が谷にこだましていた。
エレノアはぐいと涙を拭うと、晴れやかな顔で、まるで自分自身に言い聞かせるように言った。
「私はもう大丈夫。さあ──行きましょう!」
その日から、エレノアは死ぬ事も、無理をする事も、一人で泣く事もやめた。
ただ毎日を大切に生き、人々のために祈り、ゼルフィウスに言われた材料を黙々と集め続けた。
「……久しぶりだな」
一年で一番寒い、凍てつく冬の満月の夜。
水晶のグラスから溢れ出た月の光が形を作り、エレノアの部屋の中に現れたゼルフィウスは、飛び付いてきたエレノアの髪を撫で、そう言った。
それから、エレノアとゼルフィウスは、一年に一度──満月が夜空に輝き朝日に溶けて消えるまでの時間、二人でたくさんの事を語らって過ごした。
自分のこと。
家族のこと。
友人のこと。
仕事のこと。
好きなことは何か。
嫌いなことは何か。
驚いたことは、悲しんだことは、嬉しいと思ったことは──今までで一番、美しいと思ったものは何か。
この世と冥界の境は、魂以外が越えることはできない。
住む世界が違う二人は、贈り物ができない代わりに、数えきれない程の言葉を贈り合い、触れ合う体温だけを渡し合った。
そうして、エレノアが100歳を迎えた日の夜。
枯れ木のような細い指を胸の上で組み、ベッドに横たわるエレノアの枕元に、月光を背負ったゼルフィウスが静かに現れた。
「迎えに来た。──後悔はないか」
冬の夜空のような、濃紺から漆黒に滲む美しい瞳が、優しくエレノアを見ている。
エレノアは、深く刻まれた目尻の皺をさらに深め、瞳だけで小さく頷いた。
「ずっと、待ってたわ。……ゼルフィウス様こそ……こんなおばあちゃんで、いいの?」
横になったまま、少し不安げに囁いたエレノアの額を、ゼルフィウスは愛しみを込めてそっと撫でる。
「どんな姿でも、君がこの世で一番美しい。──君をずっと、愛している」
「──嬉しい」
ぼろりとエレノアの目から涙が溢れ、にっこりと微笑むと、エレノアはそのままゆっくりと、瞼を閉じた。
──パチン。
指を鳴らす音が聞こえて、エレノアは再び目を開けた。
彼女が立っていたのは、真っ白な壁に大きなガラス窓、ライム色のカーテンが風に揺れている、あの部屋だった。
先程まで鉛のように重く、起き上がることもできなかったエレノアの体は、今は羽が生えたかのように軽く感じる。
自分の手足を見れば、そこにはつるんとした美しい肌が瑞々しく輝き、どこにも皺はない。
エレノアは、初めてこの部屋に来た時と同じ、若々しい姿に戻っていた。
「エレノア」
低く響く優しい声で呼ばれ、後ろを振り向くと、ゼルフィウスが立っていた。
彼の透き通るような白い頬に、一筋、涙が伝う。
「ゼルフィウス様!!」
エレノアは両手を伸ばし、思いきりゼルフィウスに抱きついた。
彼女の存在を確かめるように、ゼルフィウスも、彼女を力一杯その腕の中に閉じ込める。
ゼルフィウスの温もりに埋もれ、エレノアは泣きながら照れ隠しで言った。
「おばあちゃんでも良いって言ってたのに、やっぱり、若い方が良かったんですか?」
何年か前に、ゼルフィウスはエレノアに説明していた。
弟神エクトゥワの加護が消え、死後に冥界に留まるには、ゼルフィウスの加護を受け、彼の眷属になる必要があると。
冥界での姿は、神であるゼルフィウスが望んだ姿になることが多いとも聞いていた。
エレノアは揶揄うように笑ったが、ゼルフィウスは僅かに目尻を赤く染め、視線を逸らすと、エレノアの耳元で囁いた。
「年齢は関係ない。その姿は……君が初めて、私を見てくれた時の姿だから」
その言葉に、エレノアは目を丸くすると、じわじわとその顔を赤く染め、満面の笑みで言った。
「これからは、ずっとゼルフィウス様を見ています。ずっと一緒です。ゼルフィウス様のことが、大好きです!」
ゼルフィウスの加護を受けたエレノアの魂は、二度と生まれ変わることはない。
だが同時に、もう二度と、好きな人に会うために、死ぬこともないのだ。
ガラス窓の外の庭には暖かい光が降り注ぎ、穏やかな風で、ライム色のカーテンが優しくはためいた。
満開に咲き誇る薔薇の花は静かに花弁を揺らし、いつまでも美しく、輝いていた。
────完────
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