1の2 転移の日
ドアを開けるとSATを先頭にして、物々しく原田たちはヘリから降り立った。靴底には薄い雪を踏んでいた。
そこは港湾近くの空き地で、一〇〇人ほどの兵士が待機していた。
「原田知事、お待ちしておりました。自分は海上自衛隊の山根忠雄三佐であります。近くの青森駅跡に旧陸軍第八師団長の下元熊弥中将と秩父宮様がお待ちであります」
一人駆けて来て報告した。
上空からライト越しに見た限りでは、市街地は消えてしまっていた。
「山根三佐ありがとう。自分が来る事は、警察から聞いたのですか」
「はい」
「ご協力に感謝する。北海道知事の原田です。案内して下さい」
空き地の端へと歩いて行った。氷点下の寒さとヘリの風で死にそうに寒い。
原田と北さんは、SPとSATに囲まれて兵士の中に入って行った。
「山根三佐、君はどうして青森に居たのですか」
「雑務で青森へ行く途中、夕刻の閃光と地震に遭いました。浅虫温泉から先は、人気の無いことに気付き、街並みも消えてはいたのですが、それでも青森まで確認に来た次第です。やっと出逢ったのが第八師団で、下元熊弥中将でした。大隊長として紹介されたのが、なんと若い頃の秩父宮様です。それはもう驚きました。ギリギリ携帯が使えたので一一〇番しました」
「町は消えたのか。で、撃たれなくて良かったなぁ」
「はい。中将の顔は恐いのですが、心は広いようです」
海自の制服に少々遠慮があったのであろう。
「そうか、それは良かった」
そうして暗い夜道の薄雪を踏んで歩いた。大きなビルもなく、原っぱに大きな焚火が幾つも炎を上げていた。近付くと暖かい。兵は数百人規模であろう。
「北海道知事がお越しです」
山根三佐が紹介してくれた。
床几から立ち上がったのは中央に中将、両脇に大佐と少佐であった。銀色参謀緒のお附き武官のいる少佐が、たぶん秩父宮様だ。細身の御顔と丸い眼鏡には見覚えがある。
「第八師団長の下元熊弥中将である。よく来てくれた。で、あの飛行機は何なのだ」
「弘前歩兵第三十一連隊長の倉茂周蔵大佐です。貴殿らは九十年先の人間と聞いている」
「連隊第三大隊長の秩父宮雍仁です。ゴホゴホ」
秩父宮様の咳が気になった。ひどく悪い咳をする。
「北海道知事の原田一樹であります。政治家になる前は海上自衛官でした。未来の海軍少佐であります。あの航空機はヘリコプターと申します。隣にいるのは北畠浩司公設秘書官です。自分たちが知っているのは、閃光が走り大地震が起きて、この時代に来てしまったという事です」
「中将閣下、こちらの世界では何があったのですか」
北さんが助け船を出してくれた。
「二、三日前から住民や家屋が消えるといった報告があり、調査を命じたが、青森歩兵第五連隊さえも消息を絶った。弘前から急ぎ駆け付けると、原野となっていました。これは決して脱走などではなく、神隠しであります。本官も殿下と共に御上にご報告せねばなりません」
下元中将は訴えた。陛下から預かった兵が消えた。そして住民も消えたのだと。
「そこに海軍の山根君が自動車で現れた。驚くことに未来人だという。小さな機械で写真を見せられて、何となく理解した。ビルディングの街と新しい青森駅が写っていたのでな」
説明をする下元中将。
頷く秩父宮様が、ゴホゴホと咳をした。かなりお辛いようだ。
「そうでしたか。宮様のお咳が気になりますが、肺炎や結核では命に関わりますし、恐れ多くも天皇陛下に病気をうつしてはなりません。どうでしょう。未来の北海道で治療しては如何でしょうか。百聞は一見に如かず。その間にも時間の謎が解かると思います」
原田はご提案をした。ここは自分を信用してもらうしかない。
「まったく得体が知れない状況ですが、殿下、如何しますか」
下元中将がお伺いを立てる。
「この原田をご信用下さい」
原田も頭を下げる。
「陛下に曖昧なご報告して、しかも病気までうつしては恐れ多い。私が北海道の様子を見て来ましょう」
秩父宮様が毅然と答えた。その凛々しいお姿は、さすがに貴人である。
「では、病院を調整しますので、宮様は準備をして下さい。お供は最小限で願います」
「承知しました」
「では、北さん頼む」
調整を北さんに任せた。
「判りました。函館のドクターヘリに救援をお願いします。病院は札幌市内を第一希望とします」
原田は下元中将に助言した。
「宮様の治療についてはご安心下さい。二つの世界ですが、お互いに協力しましょう」
「殿下を頼む。万一の事があったら、陸軍百万が北海道に攻め込むからな」
「大丈夫です。これは通信手段です」
SATの持つ携帯無線機を渡した。使い方の説明は彼らに任せる。
「恐れながら殿下、聞こえますでありますか」
「下元中将殿、聞こえます。もっと離れてみましょう、ゴホ」
すぐ下元中将と秩父宮様とで通信の練習を行い、幾分かは安心した表情の中将であった。
緊急出動で函館からドクターヘリが来着し、医師が短時間で秩父宮様をご診療いたし、お附き武官と北さんを乗せて飛び立った。
「頼んだぞ、北さん」
原田たちのヘリも倉茂周蔵大佐に見送られて、夜十時に空へと上がった。
それから四十五分後、札幌の道警本部ビルの屋上ヘリポートへ、病院に付き添った北さんを除いて全員が無事に帰って来た。
「ご苦労さまでした」
原田はお礼を言って、隣の道庁本館に戻る。知事室に帰ると一気に疲れが出た。
北海道と青森県北部が、昔へ時空転移してしまった。タイムスリップという重い現実。
携帯電話が鳴った。北さんだ。
「先生、宮様は無事に札幌医科大学附属病院にご入院なされました。明日は詳しい検査だそうです。案内役として私は病院に泊まり込みます」
「すまんが宜しく頼みます。ご質問には誠実に答えて下さい。二・二六事件もその時期が来たら、ご報告お願いします」
「解りました。今日は先生も徹夜でしょうか」
北さんが気を使ってくれた。
「ええ、明日にでも記者発表せねばパニックになるでしょうから、状況把握をして置きたいのです」
「長丁場です。急に寒くなりましたし、ホテルで熱い湯にでも浸かって下さい。先生の代わりは居ないのですよ」
もう北さんとは長い付き合いだ。苦労もよく知っている。感謝したい。
「有難う。北さんも風邪をひかないように。じゃあ」
電話を切った。疲れてはいても、もう一仕事だ。よし、と電話連絡を入れる。
「石田危機管理監に繋いでくれ……ああ、石田君、青森の様子はだね……」
大事な話をしていると深夜零時を超えた。
知事室の秘書たちも残っていたので、
「ありがとう。もう帰りなさい。女子は気をつけて」
と言って帰した。
決裁や指示待ちの道庁職員も、多くがまだ残っていた。話し込んでいるうちに深夜二時となってしまったため「今日はここまで」と切り上げた。
原田は熱い風呂に入って考えを整理したいと、道庁の北隣りの「ホテルポールスター札幌」に一部屋を借りて落ち着いた。