20の1 夏空
一九四五年八月六日の広島に原子爆弾は落ちなかった。もちろん世界のどこにも。
日本本土は無傷で、東京大空襲も、玉砕の悲劇もなかった。飢えも疎開もなく、子供たちは普通に学校にかよっている。
北海道も同じである。前知事の原田一樹は六十六歳になっていた。
秩父宮様と勢津子妃の間には、樹仁親王殿下がお生まれになり、現在四歳にまでご成長なされた。
ご家族三人での北海道行啓は、今日が初めてである。
快晴で波の静かな室蘭港で、原田夫婦と北さん(北畠浩司)は、ご一家のご到着を待っていた。ゆっくりと太平洋航路の客船が入港して来る。
初めて出会ったのは九年前である。
当時一九三六年の世界へ、二〇二六年から原田は飛んで来た。北海道と青森県北部が五五〇万人とともに時空転移してしまったのだ。
そんな偶然の出会いから戦争の時代を経て、北海道は観光、農業、漁業、石油産業、電子部品製造、先端医療に加えて航空産業でも発展して来た。
ロケット発射基地はトラック諸島にある。
秩父宮様たちと待ち合わせて北海道を観光した後は、トラック諸島に飛んで八月十五日の人工衛星発射に立ち会う予定だ。この気象観測衛星「ひまわり」によって、日本列島の台風被害も減るだろう。
道内の観光プランは練ってある。四〇校に再編した大学のいくつかを見て、旭山動物園や富良野の花畑も楽しいだろう。
白日の月が細く出ていた。
「あの月まで行きたいなあ」
原田は天を指差して、隣にいる相棒の北さんに話し掛けた。
「アポロ宇宙船の月面着陸は一九六九年です」
さすが物知りの北さんだ。
「えーと、二十四年後か。自分は九十歳になってしまう」
「こっちの世界なら十年で行けますよ。きっと」
「八十歳か。やっぱり孫世代だろう。なあ」
妻の由紀に話を向けと、急に微笑んだ。
「うちの、美紀ちゃんも高校生になっていますわ」
目に入れても痛くない原田家の初孫は、もう小学生だ。札幌育ちの都会っ子だが、夏休みなので友達と遊んでいる。
客船から、我先にと乗客が降りて来た。
「ミンミン」
待ち受ける人波を掻き分けるようにして、壮年の男が美しい中国娘に駆け寄った。仕事の制服だろう。同じ石油会社の集団が周りを囲んで見守る。
港は再会の場である。
鮮やかなグリーン・ネクタイの欧米紳士も、優雅にタラップを降りて来た。黒服のボディーガードたちは皆アメリカンフットボール選手並みの体格だ。
国際色豊かな北海道である。
「なあ、北さん、自分たちは少しでも、この北海道を良く出来ただろうか」
信頼できる相棒に聞いてみた。
「大変でしたねぇ」
「ああ」
戦争の時代。あっという間だった。楽しい事もあった。まあ、こんなもんだろう。真っ青な空だ。潮風が気持ちいい。
「おっ、殿下がお着きになられた」
秩父宮様と勢津子妃、樹仁様が下船して埠頭に立つと、原田たちは笑顔で出迎えた。
「北海道へようこそ」
(了)