19の2 日英仏講和
昨年末のインド洋海戦では、日本がイギリス艦隊を完全に破ったことで、オーストラリア国民に「もう援軍は来ない」と知らしめる結果となった。
陸戦でも一九四一年一月には豪州西部のパース、二月には東海岸のブリスベンが陥落すると、オーストラリア陸軍はシドニー=アデレード・ラインを設定して籠城の構えを見せた。
「戦争が長引けば国民の犠牲が増える」と主張したのは、ベテラン政治家のロバート・メンジーズ首相だ。
メンジーズ首相は日本に降伏することを決意し、オーストラリア総督のゴウリー男爵を動かして、正式に豪州軍総司令官の前田利為大将に「降伏」が告げられた。
三月六日、ブリスベンの都市部に一・一キロ四方もの広大な敷地を有するクイーンズランド大学で、石原総参謀長も立ち会った。
一、降伏により、オーストラリア軍は武装解除すること。
二、治安維持のために、司法と警察は現状維持のこと。
三、外交や立法などの主権は、日本国天皇に移ること。
四、オーストラリアは保護国となり、賠償金はなし。
五、地下資源は国に帰属し、採掘権は売買される。
六、日本軍には、土地や建物の買収権がある。
降伏条項は石原が現地で作成し、前田大将が許可したものに、ゴウリー男爵がサインした。
午後には、東京のアメリカ大使館経由で、イギリスからの講和申し込みが打診された。
米内光政総理と吉田茂外相は、三軍の総長にもお伺いを立てて講和交渉に臨んだ。
昭和天皇からも「米内総理に任せるので、しっかり頼みます」とのお言葉を頂いた。
リンドバーグ大統領が積極的に仲立ちになってくれたお陰で、チャーチル英国首相に加えて自由フランス(ロンドンにて亡命政権)のドゴール将軍も講和交渉に参加した。
講和の場所はサンフランシスコに停泊中の豪華客船ボイジャー・オブ・ザ・シーズで、日時は三月二十日と決まった。
日本側全権大使は吉田茂外相、副全権にはオーストラリアから石原莞爾中将が乗り込むつもりだ。
三月二十日の朝九時に日英仏の代表が会場にそろった。
ボイジャー・オブ・ザ・シーズは一三万七〇〇〇トンと巨大だ。そこは一つの町を貸し切ったのと同じことである。
石原はへそ曲がりなのだが、未来の船には素直に敬意を表している。美しくて機能的だから。
自由フランスのドゴール将軍は、数日前に米大陸横断鉄道で到着し、この豪華客船で映画や食事を満喫していた。
いまだ激戦のチャーチル首相は、副全権のアンソニー・エデン外交秘書官を伴って、直前に飛行機で現れた。
落ち着かずに葉巻の灰を絨毯にこぼしながら歩き廻るチャーチル首相が、石原にはみっともなく思えた。おそらく日本に負けたことで、苛立ちがあったのだろう。
「それでは閣下、席に着いて下さい」
勝利側の石原が指導した。通訳が伝える。
広いテーブルには、吉田全権と石原と通訳が、反対側にエデン秘書官とチャーチル全権とドゴール将軍が着席した。
「講和会議は英語とします。よろしいですね」
石原の問いに、チャーチル首相は掌をちょいと上げて同意し、ドゴール将軍は「イェス」と返事をした。
「日本側の条件は、英仏がアジアとオセアニアの植民地を放棄することの一点です」
「で、日本が支配するのか」
チャーチル首相が葉巻をもみ消した。
「それは一部であります。香港島、シンガポール島、モルディブ諸島、アデン港を日本領、オーストラリアを臨時保護国にして、その他の国は独立いたします。ニュージーランドもニューカレドニアもフィジーもパプアニューギニアも独立です。このことは既にインド各地が独立しておりますので、ご存じのはずです」
「ふん」とチャーチル首相は鼻を鳴らした。
「日本のメリットはオーストラリアだけか。他は資金の持ち出しで赤字だろう」
なかなかに計算高い。カナダ売却でマスタング戦闘機を買い付け、イギリス本土を救った男だ。カナダ人には迷惑なことであったが。
「戦争で日本にはお金がありません。しかし平和となったら貿易で儲けます。それには独立した相手国が必要です。この理屈はわかりますか」
「まあ、いい。日本のことは日本が決めろ。なあ」
チャーチル首相はドゴール将軍をつついた。
「フランスは海外領土しかない。海軍も全滅した。もう逆転は不可能だ。ポリネシア開放で手を打とう。やめだ、やめだ、戦争はやめだ」
「では、これにサインを」
石原は用意した講和文書を提示した。
日英仏の全権はサインをして、お互いに握手した。これで日本の戦争は終結である。
イギリスとフランスは、アジアとオセアニアの領土を放棄する。
日本は、放棄されたこれらの国々を保護する。
日本、イギリス、フランスは、戦争を終結する。
一九四一年三月二十日
昭和天皇裕仁 全権大使吉田茂
ジョージ六世 全権大使ウィンストン・チャーチル
自由フランス政府 全権大使ドゴール
その一方で、ナチスドイツの超快進撃は長くは続かなかった。
爆弾による暗殺未遂で、ヒトラー総統は火傷と強い打撲の傷を負い、一週間も生死の境をさまよった。政務が執れるように回復するには、数ヶ月を要する。
ナチスではヒトラー総統の命令が絶対であり、勝手な行動は死を意味する。その結果、将軍たちは互いにけん制しつつも、責任者が曖昧なままで、戦争終結へと傾いた。
停戦時のドイツ領土は、イギリスを除く全ヨーロッパと中東諸国や北アフリカをも含む広大なものであった。
占領されたヨーロッパの国々は、それぞれが亡命政権を打ち立てた。
アイスランドのレイキャビクには、デンマーク王室が避難した。
南米スリナムのパラマリボには、オランダ王室が避難した。
コンゴのキンサシャには、ベルギー王室が避難した。
自由フランス政府はロンドンからマダガスカルのアンタナナリボに移転した。仏領西アフリカ諸国を領有実効支配している。
自由ポルトガル政府はモザンビークのマプートにて樹立し、アンゴラも同時に支配する。
自由イタリア政府はソマリアのモガディシュにて樹立し、エリトリアも同時に支配する。
共産国家のソビエト連邦は、ウラル山脈以東に追われた。
第二次世界大戦後における世界の一等国は「米独日」の三国となった。
カナダを併合して北米大陸の大半を占めたアメリカは、今度の大戦で無傷だった。
ヨーロッパと北アフリカを占めるドイツだが、ヒトラーはまだ死んではいない。
日・朝・台に豪州を加えた日本は、有り余る地下資源が得られた。