12の1 英仏宣戦
二年前に日本軍は長城以北へ引いたので、日中戦争は起こらなかった。
しかし、昨年七月にソ連が「朝満ソ国境」にある張鼓峰に陣地を構築した。
国境における軍事緊張は、すぐに戦闘となった。これが張鼓峰事件である。
日本軍は直協機と零観を飛ばして空爆と観測を行い、戦艦「長門」と「陸奥」から三式焼散弾による艦砲射撃で、ソ連軍を全滅させた。
ソ連の戦死者は約五〇〇〇名、日本軍はほぼ無傷であった。
負けた復讐と満洲石油が欲しいソ連軍は、各地でゲリラ戦を仕掛けて来る。
そのため関東軍はモグラ叩きに躍起だ。
この不毛な戦いに圧力を加えるべく、宇垣総理は「日独防共協定」を結んだ。これを世界各国は、協定ではなく「日独軍事同盟」と同じ意味に受け取った。
この張鼓峰事件から日本では、対ソ臨軍費が出ていた。
正式名称の「臨時軍事費特別会計」とは、戦争の開始から終結まで経費を一般会計から切り離して処理する仕組みだ。だから何にいくら使うか報告する義務はなく、全てにおいて軍事が最優先となる。戦争に負ければ全てを失うのだから仕方ない。
日本の紙幣は偽造防止のために、精密印刷の出来る北海道で刷られている。今までに二〇〇〇億円もの大金が刷られて、順次古い紙幣と交換されていた。
臨軍費で陸海空軍は、戦車、艦艇、飛行機に対して大増産を掛けた。
さらに日本は燃料廠を満洲の大慶と盤錦、日本の新潟、徳山、川崎に建設した。
一方で、時空転移してきた製油所には、JX日鉱日石エネルギー室蘭の日産一八万バレルと出光興産苫小牧の日産一四万バレルがあり、フル稼働していた。
今や北海道の石油は安定供給されている。
一九三九年五月二十一日、北海道知事選挙が行われた。
新しい知事には、前危機管理監だった石田京ノ介(五十三歳)が二二〇万票で当選した。
他の候補は、民主系の高木孝一氏が五五万票、共産党の荒木俊彦氏が一八万票、無所属の中松聡氏が九万票であった。
六十歳の原田一樹は非常時とはいえ、強権政治を行った責任から引退を決断した。
とはいえ今後も石田知事を助けて道民のために尽くす所存だ。息子の伸一に家を任せて、妻の由紀と旅にでも出たいところでもある。
しかし、世界はまもなく戦争の時代に突入する。
様々な情報は、東京と光ファイバー回線で通じているので、三軍のホテルから石田知事経由で原田たちは入手できた。
これは軍事秘密だが、HI(日立・石川島)二五〇〇型ターボプロップエンジンはすでに完成していた。全長一四〇〇ミリ、直径六三五ミリで重量は二三〇キロしかない。前五段後二段の軸流式で軸馬力は二五〇〇馬力である。
八月一日、第二次世界大戦での対米英戦を想定して、海軍の米内光政大将に組閣の大命が降下した。
元老の西園寺公望はすでに九十歳で弱っており、天皇陛下は重臣らとご相談して、軍縮の宇垣一成内閣から、海軍の米内光政戦時内閣へと交代をお決めになられた。
「日本は島国であり、国防には制海権が重要であります」
未来の北海道を体験した秩父宮殿下のお考えに、陛下もご同意された様子だ。
これに伴い三軍の顔ぶれも代わった。
【参謀総長】(留任)杉山元大将
【参謀次長】石原莞爾中将
【陸軍大臣】板垣征四郎大将
【教育総監】安藤利吉大将
【関東軍司令官】東條英機中将
【軍令部総長】(留任)永野修身大将
【軍令部次長】井上成美中将
【海軍大臣】吉田善吾大将
【連合艦隊司令長官】小沢治三郎中将
【航空総長】山本五十六大将
【航空次長】大西瀧治郎中将
【空軍大臣】木下敏大将
【航空士官学校校長】草鹿龍之介中将
史実では、第二次世界大戦はヒトラーが始めた。
第一次大戦に負けたドイツは巨額な賠償金の支払いに苦しめられていた。この体制を打破すべく立ち上がったヒトラーは、一九三三年に政権を取り、ドイツを中心とした世界新秩序の建設を目指した。一九三八年には同族ドイツ語圏のオーストリアを併合する。
ヒトラーはアウトバーン(高速道路)建設と大規模な公共工事で、六〇〇万人もいた国内の失業者を無くし、フォルクスワーゲン(国民車)の大量生産と販売で景気を回復させた。
外交では日本と「日独防共協定」を結んでソ連を東西からけん制した。
ところがヒトラーはソ連とも「不可侵条約」の密約を結んでおり、ヨーロッパ制覇の野心を固めた一九三九年九月一日、史実通りにドイツがポーランドに侵攻して、第二次世界大戦が始まった。
しかし、北海道の時空転移は、歴史を変えていた。
ポーランド侵攻直後に英仏は〝日独〟に対して宣戦布告を行ったのだ。
「日本はナチスとは違うぞ。なぜ日本にまで戦を仕掛けるのだ」
巻き添えを食らった日本の米内総理も寝耳に水で、これには誰もが驚いた。
そこで急きょ、政府・軍部連絡会議を開いて、今後の対応を検討することになった。
助言を求められた北海道の石田知事だが、代理で原田が東京へ行くことになった。
九月三日の早朝、新千歳発羽田行きの定期路線で原田たちは飛んだ。エアバスA320の座席一五〇席は満席であった。
知事相談役の原田は、同行する北海道統合幕僚長の岩田良広陸将と「専守防衛のあり方」について考えた。
「自分たちは日本のために戦いたいのだが、自衛隊には専守防衛のしがらみがある。どう解釈すればよいのだろうか」
本来は原田たち政治家が判断する問題ではあるが、岩田陸将にも聞いてみた。
「例えばですが、日本本土と朝鮮、台湾、関東州、南樺太、千島、内南洋は現在、日本の領土です。これを第一範囲とします。次に満洲国やタイ国などの同盟国を第二範囲とします。最後に全ての戦闘地域を第三範囲とします。北海道だけの安全など考えられません」
そこで原田が口を挟んだ。
「第三範囲では道民に理解されないだろう。専守防衛でもないし、兵力も少ないし。今や満洲国は石油確保の生命線だ。この線までだろう」
原田は政治的考えを述べると、岩田陸将も同意してくれた。
「北海道は日本国および満洲国に味方する。この線が自然でしょう」
「よし、そう米内首相にも進言しよう」
「歴史的決断ですから、法解釈の記録を残してもらって下さい」
「解った。石田知事にも話を通しておくよ」
飛行機は一時間半で羽田へと到着した。三〇〇〇メートル滑走路が一本あり、北海道の建設技術で完成したのは二年前だ。
他に、伊丹、福岡、那覇、桃園、仁川、新京にも三〇〇〇メートル空港が出来ていた。
空港に入ると、タクシーでパリッとしたシャツの運転手が話し掛けて来た。
「お客さん円タクです。乗って行って下さい」
「じゃあ頼みます」
原田と岩田陸将は、羽田空港玄関で円タクに乗った。東京市内のどこへでも一円(二〇〇〇道円)で行ってくれるタクシーだ。
このタクシー車は、トヨタのプリウスだった。中古車はどこでも人気がある。九十年の技術差は凄くて「北海道の中古車は故障知らず」と解釈されている。
「霞ヶ関の総理府へ行って下さい」
「元海軍省ですね」
「はい」
「わかりました」
総理府とは、米内光政総理が先月に開設した省庁である。行政各所の調整と総理事務をつかさどる。場所は元海軍省の赤レンガビルを再利用している。
史実では、海軍省の建物には地下防空壕があったそうだ。さらに地下鉄へと繋がっていたとする都市伝説もある。
「運転手さん、最近の景気はどうですか」
「はい。新空港が出来てから、景気いいですよ。北海道の人は良いお客さんばかりです」
「ガソリンはどうですか」
「リッター一〇銭(二〇〇道円)です。でも昔より質がよくなりました」
北海道の技術協力で、川崎の石油精製工場に改質プラントを増設したのだ。
まもなく総理府に到着した。九十年後と違い、車も少ないので二十分弱で着いてしまった。




