11の1 航空ショー
一九三九年五月七日、時空転移から三年と二ヶ月半――。
桜の美しい季節に北海道の函館空港では、航空ショーが開かれていた。これは中止となった東京オリンピックの代わりである。
日本空軍からの出品は、赤トンボ、直協機、零観、三座水偵、零輸のレシプロ機と「隼」のレシプロ高速実験機が用意された。
中島飛行機に作らせた二〇〇〇馬力級エンジンは、排気タービン搭載で最大出力が二一〇〇馬力の強力エンジンとなっていた。ボア一四六ミリ、ストローク一五〇ミリ、空冷星型複列一八気筒で、四バルブとセンタープラグのOHV、過給圧〇・六五気圧、直径一一四〇ミリ、重量八二〇キロ。
史実の「誉」エンジンを容量増大、軽量コンパクトにした高性能版である。中島はこの新エンジンを「スバル」と命名した。
アメリカでは四月からテレビ放送が始まっている。函館航空祭にも国際ゲストとして大西洋単独無着陸横断飛行のリンドバーグ(三十七歳)が、テレビクルーと共に来ていた。
テレビの目玉は、リンドバーグが操縦する米カーチスP‐40ウォーホーク戦闘機と加藤建夫空軍中佐(三十五歳)の操縦する「隼」のデモンストレーション飛行である。
ウォーホークのエンジンは、通常のアリソンV‐1710エンジン一〇九〇馬力をレース用にチューンアップさせた一八〇〇馬力のものであった。
リンドバーグは、日本の航空機の美しさに目をみはった。全体的にスマートで繊細である。それでいて日本刀のような強さも秘められているとあれば、ハートも熱くなる。
「やあ、リンドバーグさん、今日一緒に飛ぶ加藤建夫です」
「隼」の前で加藤中佐に挨拶された。アジアのどこにでもいそうな丸い顔である。
「加藤さん、お会い出来て光栄です。良い戦いを望みます」
リンドバーグは右手を出して、加藤中佐と握手した。この模様をアメリカと北海道のテレビカメラが同時に撮影していた。
「日本にもテレビジョンがあるのですか」
リンドバーグは素直に尋ねると、加藤中佐は応えた。
「北海道にはあります。他の日本各地では映画で見ます」
この会話を多くの新聞記者が書きとめている。カメラのフラッシュが瞬いた。
リンドバーグは、過去に長男が誘拐されて殺された悲惨な事件を思い出した。
当時、新聞記者が大騒ぎしてリンドバーグ夫妻を付け回し、それが交渉中の犯人を刺激して二歳の息子は殺されてしまった。フラッシュと共に悲しみは心に刻まれている。
今回はテレビ撮影という条件で、デモ飛行を引き受けた。そこにはムービースターへの憧れがあったのかも知れない。仕事だ、ベストを尽くそう。
「ハヤブサの性能を教えて下さい」
「はい、エンジンはスバルエンジンで二一〇〇馬力、速度は約700キロ出ます」
加藤中佐はいかにも誇らしげに話してくれる。堂々としていて悪くない。
「二一〇〇HP、ビックパワーですね。七×三の二一気筒ですか」
「いいえ、一八気筒です」
面白いことになったとリンドバーグは思った。今回特別にチューンアップしたウォーホーク戦闘機は、テスト飛行で時速705キロの速度記録を出していた。
日本の「隼」戦闘機の時速700キロという話が本当ならば、速度対決をしてみたい。今回のために最高レベルの一四〇オクタン鉛添加ガソリンを用意したのだ。
「では後ほど。空で逢いましょう」
リンドバーグは、加藤中佐に手を振って別れた。
テレビ撮影のことは一たん忘れて、デモンストレーション飛行に集中する。
耐寒用の飛行服を着て、酸素ボンベとパラシュートの確認をし、愛機ウォーホーク戦闘機の整備員に声を掛けた。
「一一時まであと少しだが、調子はどうだい」
「問題なしです。もうすぐ本番なのでエンジンの暖機運転を始めます」
「よろしく頼む」
リンドバーグは操縦席に入った。まず、計器類を確認してから、エンジンを始動させた。
ブルブルとV一二気筒エンジンが掛かった。三〇秒ほど様子を見てから、徐々に回転数を上げると、ターボ特有の爆発力でプロペラ風が急に強くなった。
「今日も行けるぞ」
すこぶる調子が良い。少し離れた所では「隼」も準備を整えている。
「よし、時間だ」
車輪止めを外せ、の合図を送る。
整備員たちが離れたので、リンドバーグは滑走路で速度を上げた。離陸する。
すぐに「隼」も上がって来た。
函館の上空三〇〇〇メートルで左旋回を始めると、「隼」も着いてくる。
「ドックファイトだな」
スロットルを上げて操縦桿を強く引いた。
急制動に見事に応える愛機ウォーホーク。「隼」も離れなかった。敵も中々やるな。
次に、直線スピード勝負へと切り替えた。横並びになった加藤中佐に「行くぞ」と人指し指を前方に向けた。
北に向かってウォーホークはスピードを上げる。その右に「隼」だ。
時速500キロ、時速600キロ、650、700キロを超えた。
まだまだ加速は続く。705、710、715キロで目いっぱいであった。
「おおっ、神様。信じられない」
リンドバーグの真横を、加藤中佐の「隼」が飛んでいる。
「時速715キロだぞ」
日本の「隼」は凄いと感じた。これは日本という東洋の島国を見直した。加藤中佐が帰ろうと身ぶりで示すので、左旋回でUターンした。
帰路に見る下方、北海道内浦湾の海面は美しく、リンドバーグの心に残った。
「良いライバルを見つけた」
これがリンドバーグの率直な気持ちであった。
函館上空に戻ると、加藤中佐が上を指差す。
「何だろう。ははーん、例の上昇力だな」
リンドバーグは理解した。親指を立ててOKを出す。
高度三〇〇〇メートルから先に「隼」が急上昇した。ウォーホークが追い掛ける。
二機は、ぐんぐんと急上昇した。気圧の変化で耳が痛い。
「まだまだ、負けるかっ」
酸素マスクを装着し、小型ボンベから酸素を胸に深くゆっくりと吸い込んだ。
高度八〇〇〇、九〇〇〇、一万メートル。
このアリソンエンジンは強力な排気ターボ仕様で一八〇〇馬力。
「このまま宇宙まで行ってやるぞ」
しかし、前方の「隼」はそのまま上昇して行くが……。
大気圧が弱くなり、空気が薄くてプロペラが空回りしている。
一万三〇〇〇メートルで加藤中佐の「隼」が、水平へと戻した。
外気温はマイナス五〇度となり、刺すような痛みだ。
ウォーホークは丈夫さが売りの戦闘機なので機体重量が大きい。
それに対して「隼」は馬力が二一〇〇馬力で、機体は軽量なのだろう。
もしこれが実戦であったら、完敗したかも知れない。
しばらく青い地球を眺め、ゆっくりと下降した。
「空は良い。そして世界は広い。日本も凄い」
緩降下で函館に下りて、無事着陸した。
「うぉーっほう」
加藤中佐に駆け寄って握手し、共に健闘を称えると基地は拍手で溢れた。
「今日の飛行は如何でしたか」
リンドバーグに感想を聞くためのテレビマイクが向けられた。
「空は広い。空は自由だ。私は幸せです」
「彼は興奮しているようです。とても速かったですね。何キロぐらいで飛んだのですか」
リポーターが質問を変える。
「私たちは時速715キロで飛びました」
「世界新記録じゃないですか。皆さん、時速715キロの世界新記録です」
ここは日本なので応援は控え目であった。もし、アメリカだったならお祭り騒ぎになって、怪我人も出たであろう。
リンドバーグは加藤中佐の手を握って、上に掲げた。両者引き分けの優勝であろう。
このテレビ番組は、五月十四日にアメリカで放送された。
飛行機速度の世界新記録を出したリンドバーグの言葉「空は広い。空は自由だ。私は幸せです」は流行語になった。
リンドバーグは、ルーズベルト大統領から「空軍准将」の肩書をもらった。そして残念な知らせも大統領から聞かされた。五月十三日にドイツのメッサーシュミットMe209V1が、時速755キロの速度記録を出したそうである。
「なにも授賞式に言わなくても」
リンドバーグは、ルーズベルト大統領のスピーチを呪った。