8の1 新体制
岡田啓介総理大臣は今回の事件の責任を取って辞任した。
このような場合には、元老である西園寺公望が次期総理の奏薦にあたるのが慣例である。二・二六事件を察知して静岡の老舗旅館に避難していた西園寺を秩父宮殿下が訪ねて来た。
「お爺さま、次の総理は誰になるのですか」
秩父宮殿下は三十三歳でまだ若い。八十七歳の西園寺を「お爺さま」と呼んでくれる。
「近衛文麿(四十四歳)でも良いかと考えています」
「近衛公で陸海軍への重石になるでしょうか」
真っ直ぐに見つめられた。
「殿下には何かお考えがお有りのようですね」
「出過ぎた真似かもしませんが、軍部の暴走を止められる人物でお願い致します。それから空軍を作りたいのですが」
庭の池で錦鯉が跳ねた。四十センチはあるだろう。
この日は北海道の土産話で盛り上がった。
三月五日、元老の西園寺公望は書状を携えて、威厳を保ちながら皇居に参内した。
「西園寺公、お元気な様子ですね」
「有難うございます」
西園寺はいつもより凛としていた。陛下に丁寧なご挨拶を交わして本題へと入った。書状を広げる。
「慣例により次期総理を奏薦いたします。かつて陸軍大臣として軍縮と近代化を実行した宇垣一成六十七歳を推します。宇垣には予備役から現役に復帰して、陸軍大将として陸軍の重石になってもらいたい。
一方で現在の陸軍大将十一名は、今回の事件の際、全く役に立ちませんでした。よって予備役に編入してもらいます。参謀総長の閑院宮様も例外ではありません。
さらに、海軍軍令部総長の伏見宮様も反乱軍に同情を示されたご様子で、よろしくありません。戒厳司令官の香椎中将にも不手際があったようです。
なお、近々に第二次世界大戦が起きるようです。その為にも空軍が必要です。陛下は原子爆弾を御存じですか」
「ええ、秩父宮さんから聞きました。戦争についても本で勉強しております」
陛下は感がいい。西園寺と秩父宮が事前に話したなと気付いたであろう。構わずに続けた。
「勝ち負けは別として、多くの日本人が死にます。これを防ぐには軍部の改革が必要です。この改革要求は二・二六事件の首謀者たちとは違います。軍事拡大ではなく、軍縮近代化なのです」
「わかりました」
その日の午後、斎藤実内大臣が死亡していたので木戸幸一内大臣秘書官長が、宇垣を急きょ参内させた。
鈴木貫太郎侍従長は重傷なので広幡忠隆侍従次長が立ち会った。ちなみに侍従武官長の本庄繁大将は身内(娘婿)から二・二六の反乱将校を出したので蟄居謹慎していた。
西園寺、木戸、広幡の前で陛下から、
「朕、汝に組閣を命ず」
と畏まった宇垣に大命が降下された。
元老の西園寺と打ち合わせをした後に宇垣は、現役に復帰し、陸軍大将兼総理大臣として組閣を準備した。外務大臣に官僚出身の吉田茂をあて、陸軍大臣に中村孝太郎中将、海軍大臣に米内光政中将を承諾させた。
重要だったのは空軍大臣の人選で、海軍航空本部長の山本五十六中将を口説き落とした。
かつて派閥を作っていた宇垣には陸軍からの反発もあったが、現在の大将一一名が予備役となったことで昇進し、重要ポストが空いたことを喜ぶ声もあった。
三月九日、宇垣一成内閣が成立した。
【総理大臣】宇垣一成(陸軍大将)岡山県出身。六十七歳。
【外務大臣】吉田茂(官僚)東京府出身。五十七歳。
【内務大臣】潮恵之輔(研究会)島根県出身。五十四歳。
【大蔵大臣】馬場鍈一(研究会)東京府出身。五十六歳。
【陸軍大臣】中村孝太郎(陸軍大将に昇進)石川県出身。五十四歳。
【海軍大臣】米内光政(海軍大将に昇進)岩手県出身。五十五歳。
【空軍大臣】山本五十六(空軍大将に昇進)新潟県出身。五十一歳。
【司法大臣】林頼三郎(官僚)埼玉県出身。五十七歳。
【文部大臣】田澤義鋪(無所属)佐賀県出身。五十歳。
【農林大臣】山崎達之輔(昭和会)福岡県出身。五十五歳。
【商工大臣】結城豊太郎(民間)山形県出身。五十八歳。
【逓信大臣】大橋八郎(研究会)富山県出身。五十歳。
【鉄道大臣】伍堂卓雄(海軍造兵中将)石川県出身。五十八歳。
【拓務大臣】永田秀次郎(同和会)兵庫県出身。五十九歳。
【内閣書記官長】藤沼庄平(政友会)栃木県出身。五十三歳。
【法制局長官】次田大三郎(同成会)岡山県出身。五十三歳。
陸軍は大将十一名(閑院宮載仁親王元帥、南次郎、林銑十郎、阿部信行、真崎甚三郎、本庄繁、荒木貞夫、川島義之、西義一、上田謙吉、寺内寿一)と戒厳司令官の香椎浩平中将を予備役に編入させた。
参謀総長の閑院宮様は七十歳の長老で、実際にかなりの反発があった。無礼な宇垣総理を討てと、怒りの閑院宮派閥が参謀本部内を叫んで回った。
しかし、「陛下」と元老の西園寺公が強く希望していると知ると、急に静かになった。
新たに参謀総長となったのは、閑院宮様お気に入りで参謀次長だった杉山元大将(元中将)だった。
一方、二・二六事件を解決させた石原莞爾大佐は、少将となって参謀本部第一部長に昇進した。
石原は改革案を示して行動し、参謀本部と陸軍省は三宅坂から市ヶ谷に、教育総監部は北ノ丸から市ヶ谷に移転した。市ヶ谷にある陸軍士官学校は座間に相武台を築いて移ることになった。青山練兵場にある陸軍大学校は川越へと移転した。
【陸軍大臣】中村孝太郎大将(五十四歳)陸士一三期
【陸軍次官】板垣征四郎中将(五十一歳)陸士一六期
【軍務局長】山脇正隆少将(四十九歳)陸士一八期。
【参謀総長】杉山元大将(五十六歳)陸士一二期
【参謀次長】西尾寿造中将(五十四歳)陸士一四期
【第一部長】石原莞爾少将(四十七歳)陸士二一期。
【教育総監】山田乙三中将(五十四歳)陸士一四期。
【関東軍司令官】梅津美治郎中将(五十四歳)陸士一五期
【関東軍参謀長】東條英機少将(五十一歳)陸士一七期。
【侍従武官長】岸本綾夫大将(五十六歳)陸士一一期。
海軍では、軍令部総長の伏見宮博恭王元帥(六十歳)が予備役に編入し、永野修身大将がその席に着いた。伏見宮様お気に入りの嶋田繁太郎中将はそのまま軍令部次長に残った。
二・二六事件にいち早く反応し、横須賀特別海軍陸戦隊一五〇〇名を準備させた井上成美少将には、重要ポストの軍務局長が充てられた。事実、井上の機転で霞ヶ関を奪還できたのだから、当然とも言える人事であった。
石原莞爾からは陸軍の不祥事のお詫びにと「太平洋戦争」の本が送られて来た。
これを読んで井上は海軍改革案を提出し、陸軍の反乱に対抗するためにと称して、軍令部と海軍省を霞ヶ関から海に面した築地へと移転させた。そのため築地にあった海軍大学校は浦賀に小原台を築いて移ることになった。連合艦隊も「平時における」という但し書きが付いて、旗艦(水上)から横須賀鎮守府(陸上)へと移動した。
【海軍大臣】米内光政大将(五十五歳)海兵二九期
【海軍次官】吉田善吾中将(五十一歳)海兵三二期
【軍務局長】井上成美少将(四十六歳)海兵三七期。
【軍令部総長】永野修身大将(五十五歳)海兵二八期
【軍令部次長】嶋田繁太郎中将(五十二歳)海兵三二期
【第一部長】宇垣纏少将(四十六歳)海兵四〇期。
【連合艦隊司令長官】及川古志郎中将(五十三歳)海兵三一期
【連合艦隊参謀長】小沢治三郎少将(四十九歳)海兵三七期。
【侍従長】百武三郎大将(六十三歳)海兵一九期。
憲法改正を経て、正式に空軍大臣となった山本五十六大将は、陸軍とのバランスを取るため、航空総長に畑俊六大将(元陸軍中将)を招いた。
奏上された畑大将は、軍令として陛下から勅任された。
航空本部と空軍省を明治神宮外苑内に新設した。航空士官学校は厚木飛行場とともに新設し、校長には懐刀の大西瀧治郎少将(元海軍大佐)を就任させた。
【空軍大臣】山本五十六大将(五十一歳)海兵三二期
【空軍次官】木下敏中将(四十九歳)陸士二〇期
【軍務局長】草鹿龍之介少将(四十三歳)海兵四一期。
【航空総長】畑俊六大将(五十六歳)陸士一二期
【航空次長】塚原二四三中将(四十八歳)海兵三六期
【第一部長】菅原道大少将(四十七歳)陸士二一期。
【航空士官学校長】大西瀧治郎少将(四十四歳)海兵四〇期。
宇垣総理は昭和十一(一九三六)年度予算を再検討し、政府・陸軍・海軍・空軍を四対二対二対二とする法案を議会に通した。
よって歳入二三億七二〇〇万円のうち、九億四八八〇万円を政府が、残りを各軍が四億七四四〇万円ずつ受け取ることになった。
陸軍参謀本部第一部長となった石原莞爾少将は、空軍省の山本五十六大将を訪ねた。
「よく来たね。石原君」
「この度はよくぞ空軍大臣を引き受けてくれました、山本閣下」
二人は笑い合った。陸海の勢力争いは表面上、空軍にはない。裏事情は山本閣下の顔からは判断できない。まあ、想像の通りであろうが。
「コーヒーでも飲もう」と自ら豆を挽いてくれた。
「確か石原君と宇垣総理は敵同士だったはずだ」
「はい、でも梅津・東條コンビよりは好きです」
遠回しには嫌いだと答えた。
「どうぞ、ブルーマウンテンだ。海軍時代のツテから入手したものだ」
「顔が広いですね。いただきます」
さらっとした苦みも美味いし、香りもいい。
「石原君は、未来の北海道へ行って来たようですね」
「その件で来ました」
「お陰で改革は進んだようだ。陸軍と海軍、で空軍に何の用だい」
石原は、山本閣下がギャンブルに強い理由を垣間見た。すこぶる直感が良いのだ。
「実は、北海道の原田知事との協議により、羽田、伊丹、福岡、那覇、桃園、仁川、新京に三〇〇〇メートル級空港を整備する予定です。北海道にはジャンボジェット機がたくさん有りますが、離着陸には三〇〇〇メートルが必要なようです。土木工事を北海道の建設工事会社に発注し、飛行機の修理点検は北海道の航空会社に委託します。この計画を陸軍から空軍にお譲りします。お金は掛かりますが、勉強にもなるでしょう」
「なかなか良い話だな。金は使うべき時に使うものだ」
山本閣下は、ちょっと考える風であった。コーヒーを飲み、電話を取った。
「大西少将は居るか。居るならちょっと来てくれ」
今の話を大西少将と図るようだ。大西と言えば元海軍航空の専門家・大西瀧治郎少将であろう。
「石原君、ちょっと待っていてくれ」
「はい」
石原もコーヒーを飲み、窓の外を眺める。ここは旧陸軍青山練兵場で、この建屋は陸軍大学校であった。懐かしい。ここの競技場ならヘリコプターも十分に着陸できると、石原が奔走したのだ。
「失礼します。お呼びでしょうか」
大西少将が入って来た。
「大西君の航空士官学校と厚木飛行場建設だが、どんな塩梅だね」
「はい、元陸海軍の航空兵を再編成し、優秀な者を士官教育いたします。仮校舎建設と飛行場の地ならしを大急ぎで進めております」
ここで山本閣下が石原を紹介した。
「こちらは陸軍の石原莞爾少将だ。今日、良い話を聞かされた。羽田、伊丹、福岡、那覇、桃園、仁川、新京に民間と空軍の共同空港をつくる。それには土木工事から機体の設計整備まで、北海道の技術者と調整する必要がある。忙しいところ済まないが、すぐに北海道へ行って、札幌に空軍省の拠点建物を買って来てくれ。航空機の設計に必要だ」
「承知しました」
大西少将は承諾し、振り向いて石原にも頭を下げた。
「それと山本大臣、飛行場予定地について岐阜と岩国も加えたいのですが」
「いいだろう。中京地区も呉軍港も大事だ」
二人の話を聞いていた石原は、山本閣下から良い事を学んだ。未来の北海道に、陸軍省のビルも欲しい。陸軍の兵器設計に活用できるではないか。
「石原君、すまんが北海道の案内を頼みたいのだが良いだろうか」
山本閣下に頼まれたので「判りました」と石原は快諾した。




