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タイムスリップ北海道  作者: いばらき良好
第一部 時空転移
12/30

7の1 二・二六

 昭和十一年(一九三六年)二月二十六日の未明、降りしきる雪の東京に兵隊たちの足跡が刻まれていた。昭和維新を掲げて反乱を起こしたのは、歩兵第一連隊、歩兵第三連隊、近衛歩兵第三連隊の合計一五〇〇名あまり。

 首謀者は思想家の北一輝で、元軍人数名と野中四郎大尉、香田清貞大尉、安藤輝三大尉ら尉官将校二一名が指導した。


 主張はこうだった。全国の百姓小作人は飢えで苦しんでいる。中でも飢きんの東北では多くの娘が苦界に身売りしている。しかしながら、重臣や財閥は巨利を貪っているではないか。不公平だ。政治が悪い。だから天誅を加えねばならない、というもの。

 天皇親政を主軸として「真崎甚三郎内閣樹立」を目指したクーデターであった。


 野中四郎大尉(三十二歳)ら四〇〇名は、警視庁を占拠して警察の動きを封じた。

 香田清貞大尉(三十二歳)ら一五〇名は、陸軍大臣官邸を占拠し、川島義之陸軍大臣を使って陛下に上奏させた。

 安藤輝三大尉(三十一歳)ら一五〇名は、鈴木貫太郎侍従長官邸を襲撃して重傷を負わせた。とどめを刺そうとするところ「もうこれ以上は」と夫人が必死に止めさせた。

 栗原安秀中尉(二十七歳)ら三〇〇名は、岡田啓介総理大臣官邸を襲撃し、間違えて義弟の松尾伝蔵予備役大佐を殺した。岡田総理死亡と発表したが、実は岡田総理は押入れに隠れていて無事だった。

 中橋基明中尉(二十八歳)ら一〇〇名は、高橋是清大蔵大臣私邸を襲撃し「国賊」と叫んで殺害した。高橋蔵相は享年八十二歳であった。

 坂井直中尉(二十五歳)ら一五〇名は、斎藤実まこと内大臣私邸を襲撃した。夫人が「殺すなら私も殺しなさい」と斎藤内大臣に覆い被さったが、押しのけて拳銃を乱射し続けたのち、「天皇陛下万歳」を三唱した。斎藤内府は享年七十八歳であった。

 安田優少尉(二十四歳)ら三〇名は、渡辺錠太郎教育総監私邸を襲撃した。夫人が「なぜ玄関から入らないのです」と立ち塞がったが、押しのけて渡辺大将と銃撃戦になった。渡辺大将は一人だったのですぐに決着し、軍刀でとどめを刺した。渡辺大将は享年六十二歳だった。

 その他にも多くの要人を襲ったが、不在などで未遂に終わった。


 二十七日午前一時、枢密院から「戒厳令」が提出され、天皇陛下はご採択なされた。

 それを受けて午前三時五十分「戒厳令布告」がなされ、戒厳司令官に香椎浩平中将、戒厳参謀に石原莞爾大佐が就いた。

 皇軍の同士討ちを憂いて、軍令部総長の伏見宮博恭ひろやす王や陸軍大臣の川島義之大将が上奏するも、鎮圧のご決心に揺ぎの無い陛下は「朕の股肱の老臣を殺りくす。これは反乱である」と仰って退かせた。

 侍従武官長の本庄繁大将は御前へ十三回も進み出て、青年将校の訴えを伝えた。


 総理死亡説が流れて、やる気満々の真崎甚三郎大将は陸軍省に乗り込み、青年将校たちに「お前らの気持ちはよく分かるぞ」と神輿に乗った発言を繰り返した。

 真崎甚三郎、阿部信行、西義一、荒木貞夫、林銑十郎ら軍事参議官の大将たちも懐柔策ばかりを考えていて、真面目に討伐する気力はなかった。


「作戦会議をやる。関係のない者は出て行ってくれ」

 戒厳司令部となった九段の軍人会館に到着した石原莞爾大佐は、口出しする陸軍大将たちを退けた。彼らに任せていたらクーデターの真崎内閣が出来てしまうからだ。

 石原は不平を言う大将たちにも容赦しなかった。

 戒厳司令官の香椎浩平中将、参謀次長の杉山元中将(皇族で参謀総長の閑院宮載仁かんいんのみや・ことひと親王は実務には参加しない)、陸軍大臣の川島義之大将、陸軍次官の古荘幹郎中将、それに戒厳参謀(参謀本部作戦課長)の石原莞爾大佐ら五人が集まった。


 香椎司令官と川島大臣は、懐柔策。

 石原参謀と杉山次長、古荘次官は、断固討つべし。

「いずれにしても佐倉、水戸、宇都宮、仙台から兵力を集めます。よろしいですね」

 石原は強引に、香椎司令官を押して前へと進む。東京にある戦車や火砲も集めさせた。


 まだ迷っている香椎司令官は参内して陛下にご相談。

「反乱は赦さぬ。お前がやらぬなら、朕が近衛師団を率いて鎮圧する」

 とキツイお叱りを受ける。これで香椎司令官は発憤した。


 二十八日午前五時、参謀本部から「奉勅命令」が下った。天皇陛下から参謀総長への命令という形で「決起部隊は兵営に帰れ」という内容であった。

 反乱軍は永田町の山王ホテルに立てこもった。

 このころ海軍陸戦隊一五〇〇名が横須賀から到着し、海軍省のある霞ヶ関一帯の守りに着いた。

 石原が各方面から集めた軍勢は、二万四〇〇〇名にもなった。戦車を前面に出して、山王ホテルを取り囲んだ。


 水戸から来た歩兵第二連隊の中に秩父宮は居た。上京してすぐに皇居のある宮城へと向かい、陛下とご対面なされる。

「この度は陸軍が申し訳ありません」

 秩父宮は素直にお詫びした。

「よく来てくれました。身体はもう良いのですか」

 陛下は平常心でおられた。

「陛下のお耳にまで入っていましたか。九十年未来の北海道は薬も良いものです。この偶然には感謝しております。陛下は動植物がお好きだと存じておりますが、品種改良された北海道のお米は美味しゅうございました。今度、お取り寄せてみて下さい」

「そうですか。その時は高松宮さんや三笠宮さんも呼んで夕食会などしましょう」

 秩父宮は相談役に徹するつもりで、二・二六事件については言葉を選んだ。


「それにしても陸軍大将は反乱将兵の味方ばかりで、鎮圧組は石原莞爾参謀のみです」

 陛下も上奏に来る面々を想い浮かべて静かに頷く。

「それにしても石原莞爾という男はよく分かりません。満洲事件を拡大させた人物が、今度は事件を取り締まっている。どちらを向いているのですか」

 ご質問に秩父宮は「詳しくは知りませんが」と前置きして「作戦と実務能力は高いのでしょう。反乱鎮圧は彼にお任せ下さい」とお答えした。


「うむ。では秩父宮さん、北海道の様子を詳しく聞かせて下さい」

 秩父宮は本を数冊取り出してご説明される。北海道で買った世界地図帳、太平洋戦争、北海道旅行ガイドブック等であった。


 その頃、石原は原稿を書いていた。反乱軍将兵に対して、原隊へ復帰せよという言葉をラジオで流すためだ。飛行機からビラも撒くし、アドバルーンに垂れ幕を吊るす。あらゆる心理戦を展開させると決めた。

 それでダメなら、残念だが全滅させるしかない。


 二十九日午前八時四十八分、NHKラジオで「兵に告ぐ」が放送された。

「兵に告ぐ。勅令が発せられたのである。既に天皇陛下のご命令が発せられたのである。

 お前たちは上官の命令を正しいものと信じて、絶対服従して、誠心誠意努めて来たのであろうが、既に天皇陛下のご命令によって、お前たちは皆、原隊に復帰せよと仰せられたのである。

 この上お前たちが、あくまでも抵抗したならば、それは勅命に反抗することとなり、逆賊とならなければならない。

 正しいことをしていると信じていたのに、それが間違っていたと知ったならば、いつまでも反抗的態度をとって天皇陛下にそむき奉り、逆賊としての汚名を永久に受ける様なことがあってはならない。

 今からでも決して遅くないから、直ちに抵抗をやめて軍旗の下に復帰せよ。そうしたら今までの罪も許されるのである。お前たちの父兄は勿論のこと、国民全体もそれを心から祈っている。速やかに現在の位置を棄てて帰って来い。戒厳司令部 香椎中将」

 何度も放送されたこの放送を聞いて、反乱兵は止めどなく涙し、がっくりと落ち込んで原隊に戻って来たそうだ。

 指揮した尉官たちは自決あるいは投降して身柄を拘束された。

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