6の2 石原莞爾
時は過ぎ、夕方の十七時半に札幌駅についた。森川巡査は携帯という小型無線電話機で上役と連絡を取り、石原は北海道庁に案内された。
札幌駅から雪道をざくざくと歩いて数分、赤レンガの旧道庁の奥にあるビルが道庁本館だ。そこの三階知事室に四人は入った。
女性の事務員が応接椅子に座るよう勧めてくれた。温かいお茶も出してくれた。
「やあ、お待たせしてすみません」
そう言って知事がやって来た。何やら書類の束を持っていた。
石原たちは直立し、挨拶を交わす。
「陸軍の石原莞爾大佐であります。こちらは佐藤謙三技術大尉と市川純一郎中尉であります」
「北海道警察函館警察署の森川巡査です。ご案内いたしました」
「北海道知事の原田一樹です。どうぞよろしく。腰掛けて下さい」
そう言って知事は名刺を四名に呉れた。原田一樹、五十七歳で妻と息子が居るそうだ。
石原は気になっていた軍人の武器携帯について知事に問うた。
「空港で武器を取り上げられたのが納得できないが、この世界では、どうなのだ」
持参した長いアタッシュケースをにらむと、知事は答えた。
「これは申し訳ありません。もし軍人さんの武器携帯を許可しますと、偽軍人が出没した場合に、我らは誰何できませんので、凶悪犯を野放しにしてしまいます」
まあ、知事の申し分にも一理ある。憲兵隊も居ないのだから。
「自分がここへ来たのは秩父宮殿下の御見舞いと、北海道の視察である。噂の自衛隊を見せてもらいたいのだが」
「殿下はお元気です。近くの札幌グランドホテルにご滞在です。それに自衛隊の見学も良いと思います。ちょっと、待って下さいね」
知事は奥の机へ行って電話を掛けた。
「もしもし、石田君、明日……石原莞爾さんだ。それで……」
知事は受話器を耳に当てたまま、片手で丸を作った。自衛隊の見学は許可されたようだ。
「陸上自衛隊に見学を予約しました。明日、戦車を見るといいでしょう」
「有難う。ときに知事は北海道宣言を述べたそうだが、その真意を伺いたい」
話が解かる知事なので、石原は核心を突いてみた。
「私たちは日本人です。しかし、北海道は二〇二六年の秩序を維持します。それゆえに大日本帝国とは一国二制度を希望します。それがお互いの繁栄となるでしょう。北海道が一九三六年の世界に合わせてしまっては科学技術の後退であり、大日本帝国にとってもうま味はないでしょう。石原さんは、どう思いますか」
政治家というものは話が上手い。
「軍事的に見れば、強力な軍隊が北海道にあり、いつ牙をむくか解らないとなれば、疑心暗鬼になる。確認するが、敵ではないな」
「もちろんです。経済協力や技術協力は惜しみません」
石原も安堵した。ただの列車でさえ文化が格段に違うのだ。この道庁や周りのビルディングも凄い。知事が言葉をつないだ。
「一つ大事なお願いがあります。ご存じのように北海道は寒い。暖房にも石油が必要です。さらに交通にはガソリンが必要です。船は重油が必要です。そこで満洲油田開発株式会社の共同設立をご提案いたしますが、ぜひ石原さんのお力をお借りしたい」
「なに、満洲に石油が出るのか。何度も探鉱させたが、結局見つからなかったのだが」
石原は驚いた。
「少しお待ち下さい」
知事は地図帳を開いて見せてくれた。中華人民共和国という知らぬ国の東北部にある井戸マーク。
「ここです」と知事が指差したのは大慶市。
「印刷します」と歩いて行って、すぐに戻って来た。
「大慶から松原までの大慶油田、盤錦市の遼河油田、唐山・大沽・大港の大港油田、黄河デルタの勝利油田、河北の任丘油田です」
石原は僅かな時間での天然色印刷に驚いた。知事は鉛筆でなぞりながら記しを付ける。
「満洲油田開発会社の件、ぜひ進めましょう。技術協力を頼みます」
石原は乗る気になった。幸先良い収穫である。
「この件は、佐藤技術大尉に任せたい。石油調達の担当になってくれ」
「承知しました」
そのあとパソコンでの説明となった。普及型の電算機らしい。
「アメリカのサーバーが消滅してしましたが」と知事は前置きして、いろいろ表示して見せてくれた。
印刷してくれたのは、四式戦闘機「疾風」、T34‐85戦車、二・二六事件の資料だった。
「あとで読んで下さい」と意味深げな表情をして、回線の説明を続けた。頭脳機械は回線でつながっているらしい。インターネット光回線と言っていた。
「情報共有のために東京と北海道を光回線で結びましょう。電話線を引く要領です。電気も合わせて売りたいので、東北送電株式会社の共同設立をご提案いたします」
原田知事は商売が上手い。どれも悪くない話である。
「専門外の経済ですが、前向きに働きかけてみましょう」
「空港はどうしますか。ジャンボジェットには三〇〇〇メートルの滑走路が必要です」
原田知事の提案では、羽田、伊丹、福岡、那覇、桃園、仁川、新京に三〇〇〇メートル空港を整備し、土木工事は陸軍から北海道の建設工事会社に発注すると良いそうだ。
飛行機の修理点検も必要になるので、北海道の航空会社も進出するとある。
「いっそ今のうちに空軍を作っては如何ですか。未来世界は陸海空の三軍です。それに海兵隊や情報部隊などもあります」
「考えておきましょう」と石原は言葉を濁した。高度な軍事政治的問題であり、たかが民間人の知事が口を出すことではない。
石原は、礼を言って道庁を退出した。
午後八時、石原たちは札幌グランドホテルにて秩父宮殿下を御見舞いした。
殿下はこの地で、沢山の本をご購入されていた。
「自由にお使い下さい」と仰って下さり、石原は恐縮ながらも非常に嬉しかった。
二・二六事件、日中戦争、太平洋戦争の推移と敗戦。戦後世界の情勢や軍事バランスなど。一晩中、我を忘れて読みふけってしまった。
目ぼしい図書を何冊か、お願いして譲ってもらう。
翌朝の二月二十三日、秩父宮殿下と妃殿下から朝食会に招かれ、直々に「二・二六事件の処理を頼みます」とのお言葉を賜った。
石原は丁寧に承り、本日の自衛隊見学に殿下をお誘いした。
お附き武官の本間少将と山根海自三佐、中隊長の双葉中尉もお供することになった。
こちらは石原に、佐藤技術大尉と市川中尉、森川巡査の四人で、あわせて八人だ。
移動は急きょ森川巡査が道警に掛け合って、警察のライトバンとパトカーを手配してくれた。
九時には、北千歳の第七一戦車連隊を殿下と見学。対応してくれたのが武藤広報官で、基地内を丁寧に案内された。
そして遮光カーテンのある一室に通されて映画を見た。説明によると富士総合火力演習、観艦式、航空自衛隊千歳基地であったが、休憩と弁当を挟んでの有意義な時間であった。
質問にも丁寧に答えて頂いた。
お土産に小型DVDプレイヤーと共にDVD円盤をプレゼントされた。使い方は簡単で一〇〇ボルト電源。DⅤDの表面を傷つけないようにとの注意も頂いた。
石原も喜んだが、佐藤技術大尉などは「これは最高だ」と特別な宝物を見る目であった。
そしていよいよヒトマルではなく、前世代の90式戦車を見た。軍事機密ゆえであったが、度肝を抜かれる大きさであった。
急発進、急停車、スラローム走行などを行い、その間も砲身はスビライザーにて安定していた。
これは凄いと思った。それは陸軍軍人の石原にも表現出来ないほどの感動であった。
午後二時、石原たちは新千歳空港に移動した。ここではジャンボジェット機の大きさに、さらに驚く。
特別に室内を見せてもらうと、本当にこんな巨大な飛行機が飛ぶのかと思う。
「殿下、空軍は必要でございますね」
「はい」と秩父宮殿下は頷いた。
殿下たちのお見送りに恐縮しつつ石原たち三人は、へリで羽田へと飛んだ。
タービンエンジンとプロペラ音がけたたましいが、未来技術とは凄いものだ。小さな機体なのに安定感があるではないか。
上空で思った。あの憎めない森川巡査にも感謝の意を送りたい。とてもよい出逢いと巡り合わせであった。そして原田知事だ。噂話はハッタリかと思いしや全部本当であった。これは北海道を敵には出来ないと思った。
豪華客船ボイジャー・オブ・ザ・シーズ一三万七〇〇〇トンは横浜に入港していた。
誰もがその巨大さに目をむいた。日本人乗客を下した後には「見学させろ」と海軍軍人や財界人が殺到した。もう芋を洗うような状態である。連日の大騒ぎにトラブル続出で、対応に疲れたノルウェー人船長は、アメリカのロサンゼルスへと進路を取った。
船長を「金と石油のある米国へ行こう」と誘ったのは、あのトーマス・グリーンだ。
アメリカは豊かな国だ。売り込める資産家は数多くいるだろう。