6の1 石原莞爾
陸軍参謀本部作戦課長の石原莞爾大佐(四十七歳)が、北海道の異変を知ったのは昭和十一年(一九三六年)二月二十一日の夜である。聞くところによると、前夜に秩父宮殿下が、本日夕刻には妃殿下が北海道に向かわれたという。「北方で何かが起きている」と石原の直感が働いた。
第八師団長の下元熊弥中将に電話をすると、重い口ではあるが状況を話してくれた。要約すると次の通りだ。
一、青森の住民および歩兵第五連隊が神隠し
二、九十年後の人間と自動車および航空機の出現
三、御病気の秩父宮殿下は北海道の病院に入院
四、小型無線機で殿下と交信
五、御見舞いに妃殿下が北海道へ渡る
この話が本当ならエライ事だ。九十年の未来世界が北海道に出現したことになる。
参謀本部にて新技術獲得の議論を戦わせた石原は、陸軍の代表として明朝、北海道に行くことになった。
羽田飛行場にDC2旅客機が用意された。
DC2旅客機はマクドネル・ダグラス社製で、一九三四年に初飛行した新型機である。昨年の一九三五年に日本へ輸入した八機と、日本で中島飛行機がライセンス生産した六機がある。乗員二名、乗客一四座席である。
石原は未来世界に思いを馳せて、夜も眠れなかった。
翌二十二日の朝、車で羽田に向かい九時に石原は、操縦士二名と佐藤謙三技術大尉および市川純一郎中尉を連れて空へ上がった。芝生の滑走路はガタガタで、心も震える感じであった。
二時間の飛行で、やっと函館まで来た。窓から見える景色は白く美しく、ビルが多いようだ。
「着陸します。しっかりと掴まっていて下さい」
機長が用心のため、石原らに声を掛けた。DC2旅客機はゆっくりと降下し、僅かな振動ですんなり着陸した。かなり路面が良いようだ。
やれやれと人心地ついていると、サイレンを鳴らして車がやって来た。もうここは未来世界だ。黄色いのが警戒車で赤いのが消防車であることは理解出来た。
「石原大佐、どうしましょうか」
困った様子の機長が振り返ったので、取りあえず返事をした。
「よし、エンジンを切って降りよう」
石原ら五人が順に滑走路へ降り立つと、何やら空港の制服を着た人が挨拶した。
「函館空港警備局の浅田です。失礼ながらお名前をお聞かせ下さい」
立ち振る舞いから推測するに、五十代でベテランなのであろう。
「帝国陸軍の石原莞爾大佐と他四名であります」
「ようこそ石原大佐、空港施設にて入国手続きを行って下さい」
「失敬な、我々は日本人だぞ」
石原は言葉尻に食いついた。
「すみません、言葉を間違えました。入道のご案内をお聞き下さい」
浅田氏の言葉と仕事振りは丁寧だが、眼が真剣勝負をしていたので、石原は素直に従った。
「了解した」
「飛行機を駐機場に運びたいので、機長さんは手を貸して頂けませんか」
「はい」
操縦士の二名はその場に残り、石原とお供の二人は車に乗った。滑走路は平坦でよく舗装されており、何より広かった。これが九十年の差かと石原は思う。
綺麗な空港施設では警察官立ち会いの下で、銃刀法とお金の説明があった。
「現在は銃刀法により、銃も剣も持ち歩いてはいけません。警察官や猟師などは許可が必要です。あとは昨日の知事による宣言で、一円は二〇〇〇道円になるそうです」
石原は反論した。
「帝国軍人も警察官と同じであろう。なぜ軍人の武器を認めないのだ」
「法は法です。もし拒絶されるなら逮捕拘束し、北海道を退去してもらいます」
浅田氏はきっぱりと宣言した。
「悔しいが取り敢えず今は従おう。秩父宮殿下の御見舞いに来たのでな」
実は体面など如何でもいい。九十年後の世界を直に見ることが主目的だ。
「金の両替を頼む」
財布の中から十円札を二〇枚取り出した。どうも未来の単位は「道円」と言うらしい。
「しばらくお待ち下さい」
待っている間に拳銃と軍刀を警察官に預けた。それは長いアタッシュケースに仕舞われて鍵を掛けられた。
両替した四十万道円(一万円札が四〇枚)を財布にしまって「札幌まで案内してくれ」と道案内を頼んだ。
その間、ちょうど操縦士の二名がやって来たので、
「ご苦労。お前らは羽田へ帰れ。昼食とガソリン代だ」
と言って五万道円を手渡すと、一万円札のピン札を見て操縦士たちは目を丸くした。
一方、空港の手配はつつがなく進み、五分で警官がやって来た。
「森川巡査です。御同行いたします。札幌へ参りましょう」
軍刀の入ったアタッシュケースは市川中尉が持ち、鍵は森川巡査が持った。
広い空港ロビーを抜けて石原らはパトカーに乗り、函館駅へ向かう中で説明を受ける。
「十三時三十一分発の特急北斗に乗ります。札幌到着は十七時三十分です」
「いいでしょう。よろしく」
雪は綺麗に除雪されている様子で、車やトラックが多く行き交っていた。
函館駅には多くの乗降客が居り、昼食に森川巡査の薦めで函館ラーメンを食べた。
金色で出汁の利いた汁にこの麺がよく合っている。焼き豚も美味い。これで八〇〇道円だから四〇銭で妥当な値段だ。
「石原大佐殿、かなり美味しいでありますね」
「ああ、本当だな」
緊張していた佐藤と市川の二人も笑顔となった。
森川巡査も「でしょう」と頷く。ラーメンをおごってくれたこの御目付役のお巡りさんは、憎めない奴だと思った。
切符とグリーン特急券で一万三一〇〇道円だった。部下二人を含めて三人分の三万九三〇〇道円を石原が払った。そうして電車の前面が黄色いドアの特急北斗に乗車した。
車内は座席が広くゆったりとしていて、乗り心地がよかった。石原は右座席窓側、隣には森川巡査が座った。
森川巡査は四十歳で嫁さんと娘が一人、ひと冬の暖房費が四、五万円もするそうだ。昨日までお金の単位は「円」だったそうで、石原はどの札にも「道円」と書かれていない理由を知った。
石原らは車内販売で弁当とお茶を買う。カニめしを頬張った。さっき昼食を取って数時間と間もないが、さすが北海道のカニだ。甘味と食感の美味さにぺろりと完食した。
「知っていますか」と前置きして色々話してくれる。
たとえば町中には品数豊富な一〇〇円ショップがあるらしい。無理矢理に例えれば五銭雑貨店であろうか。
石原が陸軍軍人なので、戦車の話にもなった。陸上自衛隊の最新式戦車はヒトマル式戦車で、詳細は不明だが凄いらしい。しかし、ミサイルという誘導ロケット弾もあり、これを上空のヘリコプターから撃たれると逃げ場がないらしい。ヘリコプターとは回転翼機で竹トンボだと教わった。これら手振りを交えて森川巡査は話してくれた。