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 暗闇の中、久しぶりに光を見ると安心してしまうのは何故なのか。


 まるで光に群がる蛾のようで光にどうしようもなく惹かれてしまうのだ。


 縋ったところで幸せにはなれないとわかっているのに、それでも追いかけて、もう一度…と願ってしまう。


 いつになったら諦められるのか。いつになったら終わりがくるのか。わからないまま走っている気分だった。








「……婚約…、…ですか。」


 豪奢な装飾で彩られた一室でアメリアは目の前でどっしりとソファーに座る男を見る。


「わかっているだろう。それが一番いい方法だと。借金も無くなり、生活は安泰。おまけに家を立て直すことだってできるんだから、そうしない手立てはない。有難いことに持参金も無くていいと言ってくれている人がいてな。」


 いいものを食べているのだろう。油ノリのいい肌に、男の体格は良いというよりも余分な肉が付いてただ大きいというだけにしか見えなかった。


「お前がちまちま働くより、価値があるうちにいいとこに嫁いだ方が金になる。それともこのまま日銭を稼いで、家を諦めるか?」


 男の言葉にアメリアは何も言えない。


 湧き出しそうになる苛立ちを腹の底に飲み込んで、出そうになる言葉を喉で押さえ込む。


 冷静に、冷静に…。


 感情をぶつけたところでどうにかなる相手でも無ければ、ただ状況を悪化させてしまうだけ。


 アメリアは静かに男に言う。


「レイリーが戻るまであと一年です。それまで待って貰えますか。」


「待ったところでお前はなんの役にもたたないだろう。」


「レイリーを支えて、家を建て直します。用が済めば自分で出て行きますので。」


「その役目はお前じゃない。レイリーにも妻を迎えて貰う。その妻がレイリーを支える。そして家の建て直しでお前ができることは一つもない。現に誰が金を払ってる?今、レイリーの代わりに家を守っているのは誰だ?お前じゃない。」


 アメリアは押し黙る。


 腕にギュッと爪を立て、表情を崩さないように耐えていた。


「まぁ、顔くらいは合わせてやる。

 一年後。レイリーの顔を見たらお前はブライム子爵のところへ嫁ぐんだ。」


 アメリアはより一層手に力を込めた。


 ブライム子爵。

 彼は早くに妻を亡くし、その後は女遊びに狂っていた。


 子爵の無くなった妻は実家が有力貴族で子爵は妻に何も言えず、妻が死ぬその日まで蔑ろにされ続けていた。

 その反動から今は女を甚振ることが趣味になっていた。

 まるで妻への鬱憤を晴らしているかのように。


 歳もアメリアとは随分と離れており、爵位も子爵と男爵となれば、アメリアは百発百中できっと奴隷のような生活を強いられることになる。


 嫌だ、と言えればどんなにいいか。


「話はそれだけだ。また用があれば呼ぶ。…あぁ、そうそう。金は忘れずに置いていけよ?」


 言葉をグッと堪えているアメリアに男は追い討ちをかけるように言葉を吐き出す。


 日銭だなんだと言っていた癖に、きっちりと金だけは吸い取ろうとする。ズルくて卑しいクズのような男だ。


 そう思っていてもこの男に何も言えない自分にアメリアは甚だ悔しさが増す。


 アメリアは男に言われるがまま、金の入った袋を男の前のテーブルに置くとそのまま男に背を向けて部屋を出ていった。






 



 仕事は変わらず集中できていたが、ふとした瞬間にあの男のことが思い出されてしまい、アメリアは少しばかり苛ついていた。


 勿論社会人なので表には出さないが、その心情はドロドロの憎悪で満ちていた。


「なんだかおつかれ?あんまり無理したらダメだよ。この間も体調崩したばっかりでしょ?」


 アメリアの隣の同僚に不意に声をかけられてアメリアはハッと顔を上げる。

 何か心配かけるような顔でもしていただろうか…。


 そう思っていれば同僚はアメリアのその顔で言わんとしていることがわかったのか、ちょいちょいと自分の眉間を指差した。


「ココ。皺がすんごいよ。」


「えっ…、あ…。す、すみません…。考え事してたらつい…。」


 慌てて自分の眉間を指でぐりぐりとほぐせば、同僚がアメリアのテーブルにちょこんと小さな小袋を置く。


 なんだ?と思って同僚を見れば、まるで悪戯っ子のような顔でイヒヒと笑っている。


「接待のお菓子貰ってきたんだ。これめっちゃ美味しいから食べてみて。でも俺があげたってのは内緒ね。」


 しーっ、と口に指を立てて内緒のポーズをすると同僚は何事もなかったかのように自分の机へと向き直る。


 アメリアは同僚が置いた小袋に手を伸ばすと徐に袋を開けて中のものを一つ口に放り込んだ。


 口の中に入ると瞬く間に溶け出し、噛めばカリッとした食感に香ばしさが増した。


 それはチョコレートで中にはアーモンドが入っているものだった。


 チョコレートなんてこのご時世、裕福なお貴族様しか食べられない高級品なのに、どうやって隣の同僚はこれを貰ってきたのやら…。


 疑問はあるが、初めて体験する口に広がる甘い幸せにアメリアは野暮なことは聞くまいと、その疑問を頭から払いのけるのだった。






 甘味というのは不思議なもので、先程まで悶々と業を煮やしていたアメリアはチョコレートを口にしたことで幾分か鬱屈した気分が晴れ、視界がクリアになった気がしていた。


 同僚のおかげで気持ちの切り替えもでき、さくさくと仕事を片付けていたアメリアだが、あまりにも背中の視線が鋭さを増していたので、休憩時間にシュティルを呼び出すことにした。


「長官。何か用ですか。」


 いつも通り聞いているはずなのに、シュティルはなんだが気まずそうにそわそわしていた。


 まるで母に怒られて拗ねている子どものように。


 何か長官にしただろうか、とアメリアは今日を振り返るが、いつも通り部下として挨拶をして、いつも通りうるさい視線をほっといただけである。


 もしかしてそれがいけなかったのか?休日遊びに行くような仲になったのにあまりにも淡白と言いたいのだろうか。しかし職場ではただの上司と部下の関係だという条件付きで友人になったのだから、約束を守る長官が今更それを蒸し返そうとはしないだろう。


 そう思ってアメリアがシュティルの思考を読み取ろうとシュティルの顔をもう一度まじまじと見ると、シュティルは恥ずかしそうに顔を逸らした。


(バーレンスさんに見られている。恥ずかしい。恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。大の大人があろうことかバーレンスさん達の仲間に入りたいだなんてっ!!)


 なるほど…、とアメリアは頷いた。

 シュティルはやっと仲良くなったアメリアが別の人とも仲良くしていて、自分だけその中に入れなくて寂しかったのだ。


 アメリアはシュティルの視線でやっとそのことに気がつくと、あははっ!と声を出して笑ってしまった。


 生真面目、堅物を絵に描いたような男が友達の輪に入れずいじけているだなんて誰が思う。


 アメリアはシュティルのまた違う一面を可愛く思うのだった。


 しかし、シュティルはシュティルで顔を見られて笑われてしまったことにひどく落ち込んでいた。


(バーレンスさんにはきっと自分が何と思っていたのかわかったのだろう。やはり軽蔑されただろうか…。)


 ずーんとこの世の終わりかのような視線でチラリとアメリアを見てくるシュティルに、アメリアはまたおかしくなって笑ってしまう。


「アハハッ!すっ…、すみませっ…!ふふふっ!長官でもそんなこと思うんだと思ったらおかしくてっ。長官は本当に…。」


「……本当に?」


 シュティルがアメリアの言葉の続きを催促するように繰り返せば、アメリアは笑って言う。


「見かけによらず可愛いですね。」


 その笑顔はまるで花が咲き誇るようだった。


「……、…かわ、……。」


 アメリアの言葉を一拍遅れて咀嚼して飲み込めば、シュティルは途端に顔を赤く染め上げた。


 アメリアはそんなシュティルを目を細めて見る。


「長官は本当に不思議な人ですね。」


 さっきまで鬱屈して憎悪の塊みたいになっていたのに、いつの間にか笑っているのだから。


 アメリアにとってそれは全く嫌なものではなかった。


 むしろ暖かく心地よくすらあった。


 自然と手を伸ばしたくなる不思議な感覚をアメリアは静かに噛み締める。


「大丈夫ですよ。きっと今に長官の周りには人が集まります。」


 それはきっともうすぐ。


 アメリアは何故かそんな予感がした。


 まるで未来を見ているかのように言うアメリアをシュティルはただ黙って見ていた。


 シュティルはアメリアが言うならばきっとそうなのだろうと疑いもしない。


 何故かアメリアが言うとそうなることが決まっているように感じるのだ。


 自分の未来にこれほどまでに希望を見出したのはいつだったか…。思い出そうとするが、シュティルの記憶の中にそんなことは一度もなかった。

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